goo blog サービス終了のお知らせ 

King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

『日本中枢の崩壊』読了

2011年06月12日 12時55分50秒 | 読書


『日本中枢の崩壊』を読みました。

新聞の広告を見てすぐ本屋に行きましたが、中々売ってなくて
ネット注文にてやっと入手。

この本を読むとかなり憂鬱になります。

彼の述べていることは正論であり、誰もが改革を
願っているのにもう20年も経済は停滞し、首相も
一年ごとにころころ変わるという危機的状況です。

この首相がころころ変わるというのは、権力が定まらない
戦時中に起こった状況に似ています。

小泉改革が中途半端に終わり、人気とりと政権交代という
掛け声で生まれた鳩山内閣も結局何も生み出せず、混乱の
うちに終息し、期待の菅はすっからかんとか散々無能キャラ
が定着した時に史上まれに見る惨事が襲いました。

この非常時にと誰もが思っているこの時期。

またまた権力闘争に明け暮れる政治。

行政は、変な会議ばかりやって増税を押し付けようとして
います。

この危機的状況はどうしてもたらされているのか、この
国民の疑問に答えるかのように出版されたこの本ですが、
読むと改革は望めないのかと落胆がまします。

こんな状況でも自分の省益しか考えない役人どもは全員
一度解雇して、県とか市町村の役人主導で後は政治家に
予算措置を任してしまえばいいのです。

中でもひどいのが復興会議という賢人会議だと思います。

一番の識者を集めいかにも一番の方策をまとめているのかと
思いきやここの人も復興のための増税をせよと言っています。

本当に復興させようと思っているのか。

誰が何を目的にさせているのかもうすでに存在目的は知れています。

このデフレの世に神戸での震災時のような復興をしても
インフラだけ元に戻そうとしても無意味です。

高台に住民を移転させようという意見もどれだけの意味があるか。

復興には、今までの漁港とそこに住む漁民の人達が今までの
様に暮らせる町が必要です。

今度また巨大地震と津波が襲ってもそこそこ生き残れる町と
いう発想で、まず海にかかわる人達の産業を復活させれば
いいのではないでしょうか。

いくら高い堤防や頑丈な防災施設を作ろうともまた震災も
津波もやってくるのです。

壊れても直ぐ治せる、襲われても直ぐ逃げられるという発想
の方が復活は早くでき、無駄や利権にしゃぶられることなく、
人々の営みが取り戻せるのではないでしょうか。

全員の意見など聞けるはずもなく、誰もが満足などできない
のです。

でも、町が動き出せば生活も徐々に取り戻せ明かりも見えて
来るのです。

いつまでも無駄な会議や入らない仮設住宅などを作るのをやめ
前に動き出すことをやらないといけません。

行政の考えることは花見の自粛を打ち出して、経済が収縮
すると見るや取りやめたのを見るようにろくなものはないのです。

それをコントロールできない政治家にも自分たちの足元しか
見えていないようなのばかりです。

著者のように日本や国民の事を考えている官僚も居るというのは
少し安心するのですが、意見が正統であればあるほど、その実現
の程が遠くみえ、暗澹とした気分に浸れる本でした。

『死ねばいいのに』読了

2011年06月07日 10時06分05秒 | 読書


『死ねばいいのに』
を読み終わりました。

京極作品はずっとあの分厚い京極堂シリーズを愛読していました。

最近の本のだし方を見ると一応売れっ子となり、ああいう濃密な
作品はもう手を出さなくても食っていけると言うことなのか、
それとも時間がなくてかけなくなったのか、種が尽きたのか
気になるところです。

今回、色々な書評でも話題の売れ筋の本と言うことで手に入り
読みましたが、今までの京極堂を知る身としては、もはや
こんな雑誌に投稿の作家になってしまったかと言う落胆もあります。

最後のページで最後の章は、単行本の発行に寄せて付けられたと
知り、雑誌の読者もファンも何か裏切りながら本を売ろうという姿勢を
感じてあまりいい感じはしませんでした。

これが人気作家というところなのでしょうか。

ファンとしては、時代遅れの読書の世界をまだ望んでいるという
のをしって於いてくれといいたいです。

人気作家の本なので、京極堂シリーズもアニメや映画になりました。

本人もテレビなどに出るときは、自ら京極堂のコスプレをしているような
ビジュアル重視ですから、作品の映像化を望んでいたのでしょうが、あの
独特の世界観は、本の中だから起きる物語展開だと思います。

今回の短編読み切がシリーズになって繋がってひとつの物語になって
いるスタイルも雑誌連載というスタイルがあり、雑誌になかった最後の章があり
というスタイルで本としてのスタイルが成り立っています。

感じた事は、作家の生い立ちとか世の中の求めている下流化を
書かなくてはならないのだけど本人としては古臭い昭和を今まで
フィールドとしてはいるものの、決して下流に属していたわけ
ではないので、今時のフリーターの若者を描くのもなんとなく
ぎこちないのです。

今を書くというニーズが生じて人気作家たちも現代をえぐるような
まがまがしい物語を生んできましたが、現実に起きる事件は小説並に
皆まがまがしく、おどろおどろしくなっているため下手な小説は
ただうそ臭く感じてしまいます。

そんな中、京極堂はやはりもともとはそんな下流を描くにはふさわしく
ない育ちのよさが感じられるところが面白いと思われました。

それは登場人物のやくざや上司や隣人や肉親の描かれ方に現れています。

それぞれの破綻振りや心の闇が糾弾されているようでいて、その実
何もえぐり出していないという物足りなさはあります。

ミステリの構造としてのやられた感は雑誌の読者を裏切る裏切る最後の章
とか、それなりにあるものの実際の犯人探しというミステリの実相では
結末が簡単に予想されてしまうため、やはり最後の章が実に重要となって
いるんだと思います。

京極堂が出てこない京極作品はやはり物足りないのです。

『破綻した神キリスト』読了

2011年05月24日 09時23分27秒 | 読書
連休の時にまとめて買った本の一冊です。



『破綻した神キリスト』です。

永年、なぜこの世は苦しみに溢れているのかと思って
色々とずっと考えてきました。

ですが、同じような事を誰も気にしないし、ずっぽり
宗教にはまってしまうかして普通に生きています。

宗教にかかわらず、これをひとつの問題として誰も
考えないのかと思っていたところ、全く同じような
テーマで本が出ていることに感動しました。

先月のローマ教皇のビデオ会見で千葉の日本の女の子の
質問に答えたシーンにこの本は重なります。

私の周りでは誰も教皇の答えにうろたえもせず平然と
生活をしています。

もしかして震災について、福島原発の事故について
何も思わず何も考えずなのでしょうか。

私はずっと千葉の少女が問うた事を考えていました。

今まで同じようなテーマを書いた小説を読みましたが
あの少女のようなインパクトがないばかりか、教皇の
こたえのようにありきたりで素っ気のないものばかりでした。

この本は、素朴な疑問から哲学的思考まで、聖書では
こうなっているということからその答えを探ります。

これを聖書上の整理とみるかキリスト教との決別と見るか
人それぞれでしょう。

ただ、現実に起きている事と今ある政治判断と是非
並べて考えてもらいたいということです。

ジョージブッシュの日経上の履歴書で語られた事と
震災と原発とテロ。

10年もかかってバングラディシュでオサマビンラディン
を殺害した米国。

その後、イスラエルに自重を促したオパマ演説。

アメリカの映画にしろ物語にしろ、特長としては
正義はあくまで徹底的に正義であり、常に正義は強く
最後には勝利するというテーマが全てのものに行き届いて
います。

一方ヨーロッパの映画や物語では、例え警察や政府を
主人公にしていても、観客には最初から真犯人や真相が
最初から明かされているのに、捜査当局やその機関には
解決能力がなく、挙句は悪と繋がっているという構図が
多く見受けられます。

それでは日本はどうなのか。

日本ははっきりいわない。

いわないで済ます。

それでも考えてもらいたいです。

多くの人に。そして止められる理不尽な不幸はみんなで
止めて行こうと必ず思うはずです。

多くの人がなぜこんな事が起こるのかと考えてくれたら。

宗教の次は

2011年05月03日 18時10分37秒 | 読書


『代替医療のトリック』です。
サイモンシンの本は今までどれも面白く、最高の知識を
与えてくれます。

なおかつ内容の確かさも今までの自分の信じていたあやふやな物から
科学的なものと歴史的事実に置き換えてくれます。

かつて『フェルマーの最終定理』において数学の歴史を
『宇宙創生』において宇宙論を知り、『暗号解読』では
その謎解き宝探しの歴史を知的興奮とともに味わって
来ただけに、本屋でこの本を見たときには迷わず買って
しまいました。

内容は、期待にたがわず今回も知的興奮をまた味あわせて
くれました。

ショックなことに、日本では現在も鍼治療の看板を
普通に見かけますが、それも似非治療の類に入れられて
いることです。

これら代替医療の蔓延る下地と宗教が人々に求められる
ことも共通したものを感じます。

どちらも信じてしまった方が幸せなのかということです。

それが例え嘘で詐欺的なものでも、嘘だからと知っている人より
信じてしまった人と何が違うのでしょうか。

先月のジョージブッシュの履歴書がいい例です。

彼は歴史的指導者の評価は時間がかかると言って
いましたが、今の状況で我々は彼のせいで苦しまされて
いるのか、それともより繁栄に向かっているのか判断
できないのです。

それならば、いっそ正しい決断をしていい方向に
向かっていると信じて生きる方がはるかに気分が
いいでしょう。


スピチュアルも視点を変えれば

2011年05月02日 10時50分14秒 | 読書


『矛盾だらけの禅』は前回紹介しましたが、
コメントについては禅についてのエッセイで
あると書きそれで止まっていましたが、
スピチュアル系というだけで毛嫌いしたり、
もういんちきだと決め付けてしまいがちな世の中にちょっと
待ってくださいという意味でもう少し書いてみます。

まず、この著者の書き方が斬新で現在と過去とが複雑に
行きつ戻りつしていて、何かを説明するといったもので
はないのです。

つまり、禅の矛盾を追及したり、自分の悟りを開陳したり
するものではないのです。

本の中に出てくるように、アメリカ人が禅を始めるきっかけ
は、LSDだったりヒッピーのコミュニティみたいなものから
だったりと世の中から離脱した人の吹き溜まりの文化みたいな
ものだったのです。

『太陽を曳く馬』にも宗教に惹かれてしまう人々が出てきますが、
彼らの事を評して自我の拡張を図る人々と評され語られます。

しかし、この本では座禅をして取り組んでいるのは自我を取り払い
そして見えてくるものが見性であり、目的であるのです。

太陽を…ではあえて彼らの事を悟りのための自我を解放する事を
目的にしていた人を自我の拡張と揶揄していた事を改めて知らされる
のです。

そんな事はできないのにという伏字の部分まで聞こえてくるほどに。

著者の友人のジェミーがその見性に至る最後の試験の時に、失敗
して精神病院に入院させられるところはひとつの物語の山場となって
います。

気がつけば、行きつ戻りつしている話の現代軸の話として常に
語られる球童老師の話といつも失敗している禅へのアプローチ。

彼の師はことごとくいんちきだったり、怒りと落胆の内に崩壊
していくのです。

日本人の禅堂がセクシャルハラスメントで崩壊したり、空手の
道場の先生がエネルギー注入しても何の効果がなかったり、
西海岸から進出したゆるい団体の設立の理事になったり、みんな
ことごとく悟りへの道としては失意の別れへと繋がります。

ただ、この本が読み終わるととてもほっとして読後の爽快感が
残るのは、ずっと同時間軸で語られる球童老師との修行には
修行の失敗とかいんちき行為とか落胆の指導者というものがなく
最後まで師としての信頼関係が続いているからでしょう。

折からサイババの死が伝えられたり、玄侑宗久氏が復興会議の
メンバーになったりと大災害に因んでスピチュアルな話題は
気にかかるのです。

今日経の朝の連載小説は等伯で、日尭上人の悟りの件の時に
この本を読み終わり、世の中人の悟りとか魂の説伏とか普通に
出てくる時代になったんだなあと変な関心をしました。

でも、スピチュアルな世界とはやはりいんちきであり、それを
信じて行動する人が実に多く、世の混乱を深くさせていると
いう認識に変わりはありません。

宗教にはまったり、変な水を買わされていたり、手で病気を
治す人にだまされる前にせめて本を読めばそれらが人の依頼心
から来ている事に気がつくはずです。


まあ自粛ムードの中、やはり読書でしょ

2011年04月28日 10時28分58秒 | 読書
震災の時から『OPローズダスト』を読み
地震で液状化など臨場感たっぷりに読みました。

さて、今年はすっかりスキーの回数も減り、出掛ける
事もほとんどなく、それでも本は買って積み上げると
いう習慣は残っています。

今回は

矛盾だらけの禅』です。

これはアメリカ人の禅に対するエッセイのようなものです。

アメリカ人は精神科のセミナーとかグループセラピーとか
自己啓発、瞑想教室など実に色々な精神ケアが発達していて
東洋の禅に対しても宗教と言う観念とは別に取り組んでいる
人は多いようです。

私の家のお墓は曹洞宗の寺にあり、当然その寺の檀家という
ことになります。

しかし、一度も禅など組んだ事もなく、お経も普段読みません。

ですが、有名な公案はしっていますし、達磨大師のはなしや
仏画なども何をめざし何を表現したのかもしっています。

西欧人がなぜ東洋の精神の関心を示し、禅に取り組んだり
するのか興味があり手に取りました。

日本の場合、禅は修業であり、生活全て修行ととらえて
生きるという観念がありますが、西欧人の頭では、禅は
ゲーム、悟りへ至れるかもゲーム感覚なのだなと感じました。

精神世界とか思考実験などの事がかかれているのでなく、
日常と師との会話や行動など実に表面上のことばかりで
実際何をどう感じて禅が矛盾の世界と告発するのかと思えば
そんな堅苦しくなく、ただ自分が禅と触れた時の話をだらだらと
展開しているのです。

原発がいつ収束するのかも被災地がどうなって行くのかも
まだ解らない中、こういう本はふと気持ちが楽になるから
不思議です。

ヘッドライトで読む『Op.ローズダスト』

2011年03月22日 14時06分51秒 | 読書
『Op.ローズダスト』を読んでいます。

それも丁度地震の時からです。


地震で暇になり、常にこれを読むかテレビでニューズでした。

ニュースもやがていつも同じ絵ばかりになってくるとこの本に戻りました。

停電で震えながら、ヘッドライトで読みました。

そうするとテロに襲われた日本の臨場感が増して不思議な感覚で同時進行
しているような感じでした。

やがてリビアで戦争が始まり、武力で自衛しないと本当に主権は守れないのか
考えさせられました。

そんな武力で守るほどの物がこの国にあるのかとか色々な議論がでてくる
なか、日本の現実は巨大な地震と津波で一瞬にして地獄に落とされている
現実の中では、小説もまるで陳腐な絵空事です。

主人公が架空の自衛隊実行部隊の若い隊員と警視庁のおじさんがコンビに
なるというおっさんと若者コンビと言ういつもの福井小説の定番でまたか
と思う人も多いはずです。

しかし、このスタイルに物語としての安定感があり、実社会でもバリバリと
動くのは若者でそれを制御しながらフォローするベテランと言う図式は
どこにでもある景色です。

現実をしるおじさんの方に属する人間としては、途方もない物語ですが、
毎日襲う停電に震えながら読むには丁度よい読み物でした。

『スカーペッタ核心』読了

2011年03月02日 09時59分17秒 | 読書
『スカーペッタ核心』これは店頭で年末に見つけて
買って置きました。

クリスマスの時に新しいスカーペッタ物を買う。
これがしばらくの年末の恒例になった時季がありました。



それが長いシリーズによくあるだれが生じ、もはやこの作者も
ここまでがと思わせ、読むのをやめようと思った時季もありました。

しかし、前回あたりから取り戻した感があり、サザエさんと
同じマンネリに徹して回復したという感じを受けました。

前半のこの本でもそれを発揮して前回とまったく同じ雰囲気で
まったく新しい事も展開もないまま、昔の敵の一人が生きていて
襲ってくるという丸で斬新さもストーリー的な面白さも感じない
ものに成り果てていました。

前半は付いていけたのですが、後半になったら新しいキャラとか
ストリー展開がないともうだめだなあと感じました。

結局、変なベントンの患者はどうなったんでしょうか。

ロサンゼルスにある日本料理屋とかすし屋などを見ると
日本文化を完全に読み違えていると思いますが、禅や
瞑想についての著述については正確に理解しているのに
びっくりさせられます。

それは日本人より科学的解釈であり、整理もされていて
感覚的感情的なものは廃除されています。

日本人は、宗教とか人の心情とか公の場では語っては
いけないこととして心に秘める傾向にあり、かえって
立場や心情理解をややこしくしているところがあります。

そんな意味では、なんでも科学的に簡単にしてみることの
重要性をしらしめてくれました。

先日友人にいわれてNHKがだれが戦争をさせたのかという
番組を見てみました。

驚くのはなぜ第二次世界大戦への道を今検証してしなければ
いけないかです。

世界第二位の経済大国の場を奪われた日本の今は、戦争した
ことより、なぜ日本だけ先進国で成長が止まり、バブル後の
低迷を続けたのか、なぜ、アメリカは冷戦後唯一の勝ち残りと
して盟主の位置を守れなかったのか。

新興国の台頭がいわれる中、もっと目を向けるべき事は
多々あるのに、日本はずっと戦後をいい続けるのです。

世界では、その後も朝鮮、ベトナム、湾岸、アフガン、と
戦争は続いていたのに日本だけ戦争は終わったとして、今後も
戦争は起きないような論争をしています。

この本を読み、シリーズの中で新たな敵を作ることが
むづかしくなってかつての巨悪の生き残りを登場させて
つつ、9.11の惨劇の残りを書く事から、アメリカは現状に
抱える何と戦ってきたのかを我々は考えてみるべきでしょう。

『ピアノノート』読了

2011年02月10日 11時26分58秒 | 読書
これも店頭で強く引かれた本です。
『ピアノ・ノート』



値段が高かったのですが、一目ぼれです。

そして読んでみてよかった。

こういう本を書斎に置いておきたいものです。

私はピアノはもっぱら聞くだけですが、それも
地元ピアニストが定期的に開くリサイタルがあって
生の音を楽しめる環境があればこそです。

これは他の地域では中々ない事かもしれません。

ましてそれが色々とイマジネーションを刺激して
モロモロの思考につながると言うことも滅多に得られない
経験なのかもしれません。

作者のチャールズ・ローゼンのピアノを
聞いてみたいとアマゾンを見てもずらっと出てくるかと
思いきや一つしか出てきません。

日本ではまったくなじみがないと言っていい人です。

しかし、本を読めばなぜこんな人物が今まで日本で
しられていなかったのか不思議に思うほどの内容です。

興味深い事と色々考えた事はあるのですが、中でも
ピアノ弾きとコンクールについての記述が地元ピアニスト
の事とも重なりどうなんだろうと思いました。

リチャードドレイファスが出た映画で、コンペティション
というのがありました。

その中で、ドレイファスは萬年2位の役で、今度こそ最後と
意気込んでコンクールに臨むのですが、それには30歳という
年齢制限とそれまでにどこかのコンクールで1位になれないと
プロのピアノ弾きとしてやっていけないという事情の説明
がされます。

日本では、別に1位になれなくても海外有名コンクールなら
例え2位でもそこそこ有名になれ、本人のキャラクターに
よってはテレビなどにも呼ばれて多分一生音楽家として
生きられるでしょう。

もとより日本の場合、本人の演奏テクニックと芸術性など
関係なく、タレント性の方が重要な感じも受けます。

チャールズ・ローゼンはコンクールを回避して一流演奏家と
して生き残った人です。

彼の説では、有名な音楽家名のコンクールほど突飛な芸術家
や演奏テクニックの持ち主はチャンピオンに立ち難く、また
地域やら審査員の政治力やら弟子師匠の関係などがあり、
つまらないものが勝ち残るとばっさりと切って捨てられています。

そんなつまらない審査員に自分もなり、私のせいで落とされて
しまった天才もいるというところなどまるで漫画『森のピアノ』
を髣髴とさせるような内幕を見るようです。

うちの地元のピアニストもコンクールで優勝してマスコミに
取り上げられた事もなく、2位というのはあるものの、世間的
には注目されるでもなく地元でコツコツとコンサート活動を
続けています。

ペーターレーゼルの弟子であり、私も師匠はどんなピアノを
弾くのか聞きに行きましたが、何度も聞いていた曲がこうも
ドラマティックかつ色彩感覚溢れて響くのを聞き呆然として
異次元の宇宙に漂ったかの感覚を味わったのを覚えています。

弟子と師匠の関係では、弟子は師匠のコピーではないという
持論を展開しています。

レーゼルのピアノを聞いた私もこの文章を肯定して読みました。

なのに、この本の末に添えられたローゼン・ノートと言う文章
は、リスト-ローゼンタールと言う系譜を強く意識しており、
この本にふさわしいのだろうかと思ってしまいました。

日本では知名度がないための一文だと思いますが、まったく
そんな心配は不要で、楽しくかつ興味深く読みました。


『きことわ』読了。

2011年02月06日 23時24分29秒 | 読書
これは『苦役列車』より読み応えはありませんでした。

『きことわ』



苦役列車が中卒の日雇い人足で、まあその対比で現役女子大生
が書いたお上品な小説と言うことなんでしょうが、内容は
どうでもいいような物で、時間を行き来して二つの人生を
浮き彫りにしていくなんてのもテーマ的に新しくもなければ
目を見張る展開もありません。

どうでもいいような話として読むと人物描写やら出来事が
ぼやけてしまい、現在どちらの誰の事を言っているのか
何やらわからなくなってしまいどうでもいいか的な読み方になって
結局、美女と野獣と言う構図のために選ばれたんでしょと
言う感想しか残らないのです。

しかし、人生を経た人の立場で言えば、この同じ体験をした
人と10年20年と言うときを経て再会して、当時の体験を邂逅
すると言うことは経験済みで、その際記憶の記憶というものも
それを夢でまた作ると言うのも体験済みです。

現役女子大生がそんな中年体験をしたとも思えないので、
何かお手本にした物があるはずです。

それを利用して何を描くかというのがもっとあれば面白い
物になった可能性もありますが、やはりこの受賞にはもっと
政治的なものがあり、苦役列車とのセットだったことが
一番の原因と思われます。

『苦役列車』読了

2011年02月06日 22時51分52秒 | 読書
最近この芥川賞はもう商業的過ぎて
選ばれる作品も時代を狙った作家で
なんか狙いすぎのところがばればれで
どうしてこの作品なのかの必然が見えて
きません。

ならば受賞作など読まなければいい物を。

これがこういうの買うのが好きなやつが大勢いるわけで、
家人が2冊とも買ってきました。

もう少し待てば、雑誌に載るのにわざわざ単行本で
買ってきました。
『苦役列車』


読みづらいひねた書き方で、受賞時の本人の言葉通り徹底的な
私小説での自虐的なストーリーで、読者は自分の境遇や
体験より悲惨な人生を見て安堵し喜ぶ事を求めているのか
それは全て受け入れるわけには行きません。

圧倒的な安全なところから見る見下した人生に何の勝者と
誇れるところがあるのでしょうか。

これを読んで本人の言うように楽しめる人がいるとすれば
これはいじめの構造と同じで、弱い者がさらに弱い者を
叩くと言う構図です。

しかし、この作者のメッセージは酔って暴言を吐いた
核心的な指摘にあるのではないでしょうか。

中卒で仕事がないとは言いつつ、この作者は既に本を
何冊も出していこの作品の中の様な人足仕事を今でも
しているはずもなく、芥川賞というステータスが加わり
もしテレビに出て気の効いた事でも言えればコメンテーター
として、または格差社会の生き証人として評論的な仕事も
出て来るでしょう。

そんな時に先のメッセージが通用するかと言うとそれは
ないのです。

誰でも若いときに夢見た生活と語っていたものと違う
職、と立場になり、平凡な日常を過ごすわけですが、
今ではそれも非常に難しくなってきているのです。

普通に平凡な仕事につき、結婚して子供ができてかつて
若い時に語っていた夢とは違う姿になり、気がつけば
中年で余計な脂肪が付容貌もかつての顔色はないとなれば
馬鹿にされても仕方ないとはならないことをみんなしって
いるのです。

こんな平凡事が実は大事なことであり、築いた家庭も
幸せも誰がほめてくれなくても掛け替えのない大事なものに
違いないのです。

それをしっている人たちに底辺を見る必要があるでしょうか。

逆に上をみせてうらやませる必要もなしで、結局文藝春秋の
商業主義だけが強く感じる受賞作と言うイメージだけ残る
のでした。

『信じない人のためのイエスと福音書ガイド』読了

2011年01月30日 13時19分45秒 | 読書
店頭で題の特異さに引かれて買ってみました。


『信じない人のためのイエスと福音書ガイド』

目新しい事はなかったものの、福音書を横断的に整理して
比較し、書き手の特長とかかれた時間軸と場所の違いなどの
理解することができます。

しかし、宗教が果たしてきた時代的な背景やら戒律の意味と
いう宗教の持つ意味とか世界的な意味とかは期待できません。

そもそもキリストが歴史的に実在の人として、その歩んだ
道から言葉の記録として各福音書があるものとして説明され
ていますが、それは果たして公平で公正なことでしょうか。

聖遺物として、キリスト関連のものが実際に数多く残され
ていますが、それはほとんどが偽物であるとされています。

歴史書としては不確かでそもそもキリストの実在を示す物
も世の中には存在していなのに、実在し史実の人として
語るのはそもそも信じない人には向かないのではと思われます。

今から数年前にクムランとか遺跡から古文書が発掘された
と言うニュースが注目されたことがあります。

その後、キリスト教に関する本も多数発表されました。

世の中の人はその時に、いまさらキリストが実在していた
かどうかが問題になること自体驚きだったはずです。

新聞にも度々、キリスト実在を示す証拠云々の記事が出ます。

日本人にとってはひどく不思議な話です。

そもそも今世界中で使われている暦もイエスキリストが
生まれたときを紀元にして作られているはずです。

ならば、なぜいない人の事を計算して暦など作るので
しょうか。

そもそものそんな疑問から解かれている本だと思ったら
マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネはそれぞれこうなっていると
言うものでそれだけなら本を買う必要があるのかと言う
内容です。

ひとつ気になったのは、イエスが治した皮膚病という
ところなのですが、多くの翻訳がらい病なのですが、
この本ではそうじゃないと書かれていたたことです。

昔は、らい病は不治の病で神の罰として人にも移るので
離島に隔離されたりしました。

今でも離島に専門病院があります。

そして、キリスト教でも仏教でもこれは神(仏)の罰と
書かれていて、現代ではそれは間違いで、薬で治るし
伝染力も弱いと訂正されています。

つまりは、宗教なんて全てうそであり、神も仏もいんちき
であった証拠になってしまったのです。

そういう事もあって、らいと聖書中の皮膚病とは別物と
言ういいわけが広まったのかもしれません。

まあそう言う根本的な事は抜きにして、聖書の構造は
こうだよという程度の事でいい人には読むべき本でしょう。

『洗心講座』読了

2010年12月14日 23時18分40秒 | 読書
『洗心講座』は読む本がなくなって
人から借りていた本の中の一冊で、いわば読めと渡された本です。
まあ一種の強要のように感じましたが、どちらかというと挑戦の
ようにも感じたので最後まで読んでみました。


感想としては、高校時代の教師を思い出しました。

その先生と私の人生ではいくつかの接点がありましたが、
そんな身近な感じを受けてはいませんでした。

ただ、彼が教えた事は私にとって長年反発を生むもの
で、最近では解決したのですが、長年重石になっていたのです。

その先生が言うには、本を借りても返さなくていいというのです。

素直な私は、その先生の教えを守り、友達関係を少しぎくしゃく
させました。

しかし、私の中でその教えはやがて改正され、借りた物は
返すと修正され、本を借りても今ではちゃんと返します。

本は借りても返さなくてもいいというのは、この本の中
でも出てくるのです。

それが中国の思想から出てくるものではないと思いますが、
花と本は盗んでもいいと言っているのです。

もともとこの本は、著者がどこかでしゃべったものを本に
起こしたようなもので、発刊は9月ですが、内容はとても
古く現在の時代様式にも合わない事だらけです。

旧制高校の増設を批判したり、いつの時代の話かと発刊日
を調べる事が度々でした。

なぜこんな本が、今でも出版されるのか謎です。

多分講師として人気で、その人の講義録として、信者が
そばに置きたいと言うものなのでしょう。


『龍神の雨』読了

2010年11月30日 23時51分37秒 | 読書
読むものがなくなって、積んである誰かが
買っておいた本を読み出したのがこれ。


『龍神の雨』です。

ミステリーとかサスペンスのジャンルのようですが、
小説としての中身が薄いので、所々違和感が起こり
ひっかかり、物語に浸れません。

それに、『太陽を曳く馬』を読んだ後だと、そのできの
薄さにいまさら色あせた絵画を鑑賞する気にもなれない
と言う感じなのです。

もっと読み応えのあるもの。

そんな欲求があるのです。

作中、秩父の山と言うフレーズが何度か出てきて、作者
が自作を語るテレビ番組でも取材と言うことで秩父を
訪れる作者がありましたが、宣伝してもらっているよう
ですが、なんか使い方が間違っていると言う印象も受け
ました。

最近はやっている作者のようですが、とても陳腐な
感じを受けました。

『宇宙は何でできているのか』読了

2010年11月12日 18時50分40秒 | 読書

『宇宙は何でできているのか』
これも新聞の書評で最新の物理理論を宇宙から
素粒子までわかり易い言葉で解説しているという
ことで、手に入れました。

しかし、完全な失敗です。

説明が不完全であり、せいぜいお茶の間レベルの
解説どまりで、とても人に説明できる知識がつく
ものでもありません。

この手の素人にわかりやすく説明する本はいくつも
でていて、日本人がノーベル賞を取ったりしたので
興味を持つ人も増え売れ筋なのでしょう。

かつてエレガンスな宇宙や宇宙創成などを読んでいる
人には、内容は初見ではなく、ただ下手な説明に
なっただけの印象です。

それにあとで説明しますがという部分が多く、それが
結局何にも説明されていない印象につながります。

それに素粒子の説明も、すでにクォークが6個あると
解説を受けている人がこれを読むと余計無用の混乱を
招き、三個で構成されているというのとどちらが正しい
のかも解らなくなってきます。

2008年のノーベル賞の時に、CP対象性のやぶれで
6個あれば説明がつくということで、予言した事が
認められてというインタビューなどの記憶があり、
電荷の数や構成から言われると今までの知識が
どう当てはまるのかぴんとこないのです。

結局、説明がサイモンシンよりへたくそなんだと
そんな本でした。