King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

『苦役列車』読了

2011年02月06日 22時51分52秒 | 読書
最近この芥川賞はもう商業的過ぎて
選ばれる作品も時代を狙った作家で
なんか狙いすぎのところがばればれで
どうしてこの作品なのかの必然が見えて
きません。

ならば受賞作など読まなければいい物を。

これがこういうの買うのが好きなやつが大勢いるわけで、
家人が2冊とも買ってきました。

もう少し待てば、雑誌に載るのにわざわざ単行本で
買ってきました。
『苦役列車』


読みづらいひねた書き方で、受賞時の本人の言葉通り徹底的な
私小説での自虐的なストーリーで、読者は自分の境遇や
体験より悲惨な人生を見て安堵し喜ぶ事を求めているのか
それは全て受け入れるわけには行きません。

圧倒的な安全なところから見る見下した人生に何の勝者と
誇れるところがあるのでしょうか。

これを読んで本人の言うように楽しめる人がいるとすれば
これはいじめの構造と同じで、弱い者がさらに弱い者を
叩くと言う構図です。

しかし、この作者のメッセージは酔って暴言を吐いた
核心的な指摘にあるのではないでしょうか。

中卒で仕事がないとは言いつつ、この作者は既に本を
何冊も出していこの作品の中の様な人足仕事を今でも
しているはずもなく、芥川賞というステータスが加わり
もしテレビに出て気の効いた事でも言えればコメンテーター
として、または格差社会の生き証人として評論的な仕事も
出て来るでしょう。

そんな時に先のメッセージが通用するかと言うとそれは
ないのです。

誰でも若いときに夢見た生活と語っていたものと違う
職、と立場になり、平凡な日常を過ごすわけですが、
今ではそれも非常に難しくなってきているのです。

普通に平凡な仕事につき、結婚して子供ができてかつて
若い時に語っていた夢とは違う姿になり、気がつけば
中年で余計な脂肪が付容貌もかつての顔色はないとなれば
馬鹿にされても仕方ないとはならないことをみんなしって
いるのです。

こんな平凡事が実は大事なことであり、築いた家庭も
幸せも誰がほめてくれなくても掛け替えのない大事なものに
違いないのです。

それをしっている人たちに底辺を見る必要があるでしょうか。

逆に上をみせてうらやませる必要もなしで、結局文藝春秋の
商業主義だけが強く感じる受賞作と言うイメージだけ残る
のでした。

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