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King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

当たり前のこと

2020年04月10日 12時37分19秒 | 日々のこと

先月末に家人が臥せってしまいしばらく自炊生活になりました。

忙しい昼間はパンにしようと食パンの上に生ハムを乗せせっかくだから

チーズを乗せてピザ味にしようとサルサソースを探しました。

 

すると近くのスーパーに前は売っていたサルサソースはなく、そもそも

生ハムでなくベーコンを乗せるはずが前は売っていた保存料や発色剤不使用の

ものが全く売ってなかったため生ハムで代用したのです。サルサソースも

ないのでピザソースなるものを買いました。

 

トマトソースなどは色々と売っているのですが、どこでどう作っているのか不明なもの

でとても安全とはいいがたい感じです。

 

さて、上記のインスタントピザトーストですがなんとも味気ないものとなったのです。

 

昨日これを改善すべく毎日食べても飽きないピザトーストにするにはと考えてみたら

意外な解決方法を見つけました。昨日は別のスーパーで無添加ベーコンを買い、さらに

とろけるチーズもモッツァレラチーズなどナチュラル系にしました。さて、これだけで

改善した気でいましたが、何か足りないと思いたしたものはピーマンと玉ねぎだけです。

 

たったそれだけでなんともまともな味に変わったのです。

 

その玉ねぎを薄く切るために鎌歯の薄刃包丁を取り出してピーマン玉ねぎを薄く切り

久しぶりにその包丁の刃の滑りを楽しみ、その切れ味の良さに気持ちをよくして

できたトーストもイメージ通りの味になっていました。

 

たった二つのあたりまえの野菜を加えただけでこうも変わるのかという変化です。

 

当たり前すぎてわざわざこうしなくてはと取り上げることもばからしい出来事です。

 

昔、ある会社で同僚の人が寿司屋のカウンターで刺身を食う意味が解らないと平然と

いった人がいてああそうなんだと思いましたが、世の中プロの包丁の生み出す味を知らない人も

いるのです。

 

プロの料理人が銅の鍋を使う意味や幾種類もの包丁をそろえるのも厚いやなぎのまな板を

注文するのもすべて意味があるのにそれすら知らず、寿司屋のカウンターに座るよりスーパーの

刺身に満足してしまう感性は今のコンビニ世代の人の味の感覚にも通じるものがあるのかも

しれません。

 

秩父ではすっかりなじみがなくなった仕出し料理なども今でも京都ではあたりまえで

人が来ればなじみの店の仕出し料理が供されます。

 

家庭料理には家庭料理の良さがあり、プロにはプロの技と仕入れの妙もありうまく両方

使い分けてこそです。

 

昨日民泊経営の方と話をして思ったのですが、民泊だから普通の旅館のような料金では

いけないということはないのではないかということです。

 

私の家に泊めるのだからこれだけほしいと要求したり、特異な体験を売りにしたり

特別な部屋や料理を出したりしていいはずです。

 

何も安いだけがよいことかということです。

 

もっと求められるものは多岐に分かれていいはずです。

 

でも当たり前のことは当たり前でちゃんとしたサービスは解っている人と

つながりたいという最近の欲求です。ピザはどこでも食べられますが、

昨日食べたピザトースト以下のものさらに言えば、冷凍チルドピザ以下の

店もすごくたくさんあるのです。

 

安全な食品を使い当たり前の道具で当たり前に調理するというこんな簡単なことさえ

できていない店もたくさんあります。味がいいとか悪いとかの前のことですが、実は

これが一番大事なのではないでしょうか。


家で過ごそう

2020年04月07日 13時49分50秒 | 日々のこと

さすがに家で過ごすことばかりだと息詰まるような事態になるわけですが、

普段から家にいることが多い自営業の場合いつものことで、家にいても

やることや豆焼とか仕事はあるのです。

 

それなのについ普段から世間並みに同調しようという日本人意識が働き、

ついついさぼってはスマホなどを眺めてしまうのです。とりわけずっとナンプレと

かパズルゲームに勤しんでいますが、さすがにポケモンgoはウロウロとするゲーム

なので最近は自粛気味です。

 

それでも近所のジムの様子とかみているのですが、以前よりその争奪戦は激しくなった

ように感じます。レイド戦は鬼印5つで三回連続勝ったものの最後の捕獲で逃げられるという

経験の後、鬼印2つ以下のものしかやれず、近所のジムではそれ以上では人がいたことがない

ので参戦もしません。お香を焚いて居ながらにしてモンスターも捕獲し放題ですが、これが

また味気ないことこのうえなく、目新しいことも楽しいこともありません。ネットで他の

プレーヤーの様子をみると結構レイドやら色違いをゲットしたりと満喫したポケモンライフを

過ごす様子が伺えますが、最近この色違いというのに出会ったことがありません。

 

別に出会ってもそれほどうれしくないような気すらします。

 

それなのについついスマホを眺めてさぼりまくるのですが、最近は木製ピースを置いて縦横が

一杯になるとその列とか行が消えるというものをやりだし、これが癖のようについやり続けて

しまうものとなっています。これをやり続けてふとナンプレを思い出したようにやってみたら

なんと全然すすまないのです。頭がばかになったのかと思うほどの後退ぶりでこうして人は

愚かになって行くのかと思ってしまいました。

 

庭の草取りとか掃除とかやることはいくらでもあるのですが。ついついスマホをみては

過ごし、頭が後退していくというこれが現実かと不思議な心地にとらわれるのでした。

 

 


茅の輪くぐり再び

2020年03月26日 10時25分18秒 | 日々のこと

まあ江戸時代のような世界的な疫病騒ぎについに神社も動きました。

いつもは六月の末に設置される茅の輪が秩父神社境内に置かれたのです。

しかもご丁寧にくぐり方まで書かれています。ただし、その時に唱える言葉はありませんでした。

これは片手落ちなような気もしますが、どこの神社でも作法がおなじということはありませんので

これはこれでいいのかもしれません。いつもの六月のよりなんだか小さいような気もしました。

今朝のニュースでは東京がオーバーシュートになったと危機宣言的会見をしていました。

日本国内の感染より世界にその感染と死者数の増加は広がりもはや中国の患者数と死者の

数を上回り舞台が変わったかのようです。当然それを受け安倍氏は五輪の延期を決め、沈静化

に向け積極的に動いているようです。日本では学校再開とかイベント再開の動きもあり、

人に見られることのない桜が咲いている中、閉塞感も緩和されるのかというときに東京の

急な感染拡大が発表され何日本も負けていませんというかのごとき状況になってしまいました。

本当にこの先どうなるのかという感じですね。


清志郎をプロファイル

2020年03月15日 14時02分43秒 | 日々のこと

3月5日放送のプロファイラーは『忌野清志郎 キング・オブ・ロックの憂鬱』でした。

例によって録画して先ほど見るといつものようになぜ死んでこうも定期的にとりあげられるのは

どんな需要があるのかと思ってしまいます。

 

私が清志郎のコンサートに通っていたころは3000人位のキャパの会場がメインですが、会場によっては

当日券があったり地方ではソールドアウトも難しいようなそんな寂しいファンとしてはそんなに売れない

人で、本人もヒット曲が欲しいとか売れたいとかいうものをメディアに語っていたし、同時代の小田和正とか

桑田佳祐と比べるとヒット曲の数も一度の動員数も違うわけですが、決して実力的に力負けしているとは

ちっとも思わないのです。

 

今回今までのように取り上げられてまた新事実とか新発見があったわけでもなく、いつものような

内容だったわけで、ゲストの大宮エリーなどは自身のHPで夢と野望の人生という題にしていますが、

間違いです。スタッフが適当なのでしょうが、ゲストとしてもどうせ適当な仕事をしているのだろうことは

想像できてしまいます。

 

今回の番組で少し違うとすれば声帯をとることを勧められるが拒否してあえて死を近くしたという点が

問われたことです。

 

番組では語られませんでしたが、ファンは最後のアルバムでは声がかすれひどい歌声でその異常は

発表のある前から感づいた人が多かったのですがそれは大っぴらには批判されることもなく、ただ、

入院から復帰するときにNHKのsongsという番組で歌ったときに前よりいい声だと声がかかったり

ファンは実際に声にすることはなくても知っていたのです。そして映像で流れた復活祭とされた最後の

武道館ライブの映像で何度も出てきた完全復活しちゃいましたという本人の言葉にファンは酔ったの

ですがその一年と三か月後に死の報に接するのです。

 

キングオブロックと公言しても彼ならだれも文句言わないし、だれもが認めるというのも彼だからと

いうのも納得ですが、ファンとしてはこのフレーズに何やら苦いものも感じるのです。

というのも彼が出したアルバム『King』これはキングレコードにあてこするようないみもあり

彼独特のセンスともはやキングとつけてもだれからも文句は来ないということで付けたと本人も

命名のいわれを述べており後に出したのが『GOD』でおいおいどこまで行くのという危ぶむ感じも

やばい流れのようなものも感じていたのも事実です。しかし、それをやってしまうのが清志郎であり

声帯を失ってまで生きないというのもキングオブロックの生きざまでありファンへのすべてが

メッセージだったんだなあといつも思います。それを生半可なプロファイルで番組にして語られるのも

はんちくなゲストに語られるのも実に面白くないのです。まあでも流れれば録画してみてしまうわけで録画は他の

番組のように消すこともできずということになるのです。私のハードディスクにはそんなのばかりです。


NHKクローズアップ現代のトレンドブログに思う

2020年03月14日 12時57分44秒 | 日々のこと

毎日のニュースが全てコロナウィルスの日々でネットのニュースも

熱心には見たくない日々です。そんな中、NHKのクローズアップ現代で

トレンドブログを取り上げていました。

それによると何も自分では取材もせずネットで拾った名前を公表して

ブログで金を稼ぐ人がいるという内容なのですが果たしてそれを公共放送で

取り上げる意味とは何なのかという感じがします。

 

というのも私がやっているポケモンgoですが突如聞こえてきたニュースで

炎上しているという記事が週刊誌で出ているというのでネットでも話題に

なり読んでみるとこれがコロナウィルスの影響でイベントが中止になり、

その代替策が原因でユーザー離れが進んでいるというのですが、その後

ライバルの出現で苦しいというようなところを読むとどうやらこれは

提灯記事なのかというような憶測もできます。

 

どちらもさっと火を点けておーい火事だぞとあおって逃げるそんな商法のような

物を感じます。

 

現在レベル32まで来ましたが、20までは何の疑問もなく簡単にたどり着け、20-30は

段々目新しいこともなく何が目的なんだろうというような感じに疑問を感じだし、

それでもまだなんとなく続けているものの出てくるポケモンもありきたりになり、

身近に知り合いのプレーヤーもいないとなかなか楽しみも共有できず、レイドバトル

という共同で戦うイベントなどもやりづらくなんとなく手詰まり感がでてきています。

 

ネットで他のプレイヤーの興味を見てみるとやはり色違いのポケモンとか人の持ってない

物を見つけてそれをネット上で見せるというのが一つの楽しみのようなのですが、最近

初めてみるというようなのもいなくなり、いつもおなじようなのがでてきてもう捕まえる

気にもならないような状態でそれでもジムにポケモンを置きに行ったり、レイドでもしや

人が集まるかと様子を窺ったりと断ち切れないでずるずる続いている感じです。

 

毎日ランニングをしてかつてはコースタイムが常に更新され日々進化を感じていたのが

最近は無理して速く走ると足とか腰に故障がでてしまうので速く走ることもタイムもそれ

ほど気にすることもなく、それでも走らずにはいられないという状況に似ていなくもないと

いうなんかみんなこんな感じなのかという気持ちと逆にトレンドブログのようなことも

必要なのかということも考えてみたりとこれは自分の自由度の問題であり、今コロナで

影響を受けているまさに同じテーマのことなのだと気が付く事態となったのでした。


ポケストップ増設、ジムも

2020年01月27日 11時42分30秒 | 日々のこと

スマホの罠で書きましたが、長年使用したFOMAからスマホに変え今どきの

スマホユーザー気分を満喫するために始めたのがポケモンgoです。

何をいまさらという感じを受ける方もいるかもしれませんが、このゲームの

世界的ヒットは毎日朝のニュースでも取り上げられ、個人の方のこだわりとか

楽しみ方が色々と報道されました。

 

実は私が構想していた地域振興策とこのゲームは非常に似ていてこれに地域通貨とか

疑似通貨的な役割を持たせて公共サービスもポイント化してさらにそれを一般のポイントとも

交換できるようにすればよいと考えていました。

 

今でもまだ行われている地域振興券とか商店街の補助金事業など何の検証もされることなく

ただ税金のばらまきに終わり、ちっとも効果を感じませんが健康増進と地域活性化には

このソフトの構造が最適だと思います。

 

しかし、三年遅れで始めたポケモンgoはすでに知り合いでこのゲームをしている人はなく

周りでやっているのは高校生ぐらいのようです。それはそれで色々と支障をきたすのですが、

どうにかネットの力を使い進展させることができました。

 

レベル20くらいは全然何の問題もなく進み、段々面白みや何のためにこれをやっているのかと

いう疑問も生じてきて、続ける意味などを考えるようになりましたが、とりあえず最終40まで

たどり着くまで続けようかと思っています。

 

今から思うと色々と失敗したことや未だに疑問に思う点もありますが、やはり出かけると

そこで出会ったポケモンが良いお土産になり、なるほどなあという感じもします。

GPSの精度やソフト自体のバグなどもあり快適に動かなかったりもしますが、土曜日曜ごとの

イベントや世界的規模でのプロモーションなどやはりユーザーの多さが生きているところも

あります。ただ、このポケモンの名前とかデザインについてはあまり褒められたものではなく、

似たような猿のキャラクターがいくつもいたり、蝶や昆虫系もダブったキャラクターとか

デザインに平凡なものが目立ちやっつけ的な感じもします。

 

それにこのポケモンの強さも実態と表示されているCPとの整合性やHPやいくつかの個体値と

どのような役割があるのかよくわかりません。

つまりそれは自分のキャラクターの成長を感じにくいことにもつながり、ゲームの達成感や

成長させる喜びとか強さの実感がいまいち伝わりにくいのです。

 

先日驚いたことに自宅周りのポケストップが増えポケモン環境がにわかに充実しているように感じたと

思ったら近くのポケストップがジムに昇格してまた便利になったのです。

 

レベル20以降はなかなかすんなりとスピード感もなくレベルアップの進捗もはかばかしくなくなって

ましたが、どうやらカーブボールに切り替えてから捕獲率が上がり、なおかつ経験値の獲得も上がり

そんなものかと感じるのでした。

 

秩父の街中は秩父鉄道の秩父駅から西武秩父駅まで非常にポケストップやジムが多く、観光客向けなのか

非常にポケモン環境が整っていますが、ひとたび郊外に出ると全く何もない空白地域も多く、これは地域を

選ぶものになっているなあと感じます。今回の自宅周りの充実は逆にうれしいかんじですが、草津でみた

温泉街のポケストップの多さは秩父以上で秩父ではめったに出ないエアームドが複数出たりと地域色を

今までと違う視線で見れたのは収穫でした。

 


関電問題

2019年10月09日 12時13分10秒 | 日々のこと

森田健作知事や関電関連から政治献金を受けた世耕元大臣などが話題に

なっていますが、そんなの話題にすることや騒ぐ前に自分たちが選んだ政治体制とか

政治家の質がそういうことをする人たちを選んでしまったんだという指摘をなぜ誰も

せず、 自民党を選んだからこういうことも当然予想できたことだと言わないのでしょう。

 

そもそも政治献金というのは違法ではなく、土建会社がキックバックするのは当然のことで

通常のビジネスとして行われています。リベートは仕事をスムーズにするための支払うのも普通の事だったのです。営業職を

経験した人ならこの種のリベートを支払ったりもらったりする経験はしているのです。

 

営業で接待などというのは人として仲良くなり仕事を受注するという営業の基本作業で

その際金品で取り入るというのも昔から行われていることです。それを公共性がある企業だから

だめだとかあの政治家があの企業から献金をもらっていると騒ぐ前にそういう営業スタイルや

公共事業と票を結び付けた昔ながらの自民党政治とかを問題にせずその額の大きさや個人が

亡くなったら表立った事件とか税務調査で明らかになったというそのきっかけの方が私は

気になります。

 

今、後継ぎがいないからとか人が原因で仕事があり、黒字の企業がその事業が引き継げずに廃業する

ケースが増えています。それも皆個人が立ち上げた地方の小さな会社や個人事業主だったりでそれが

存続できずに廃業すると地方の衰退とか人口減につながり国の存亡にもかかわる事態なのではと思い

ます。秩父でも昔からの名店が突如消えてしまうような事態が相次いでいます。そんな事業の存続に

何か有効なシステムとか引き継ぎさらに発展していく地方のモデルケースのようなシステムを構築

すべき時なのではないでしょうか。

 

それと自民党政治についてはコンクリートより人という事で政権交代した民主党がとても仕事ができず、

自民党政治が復活したという経緯は国民に選択肢がなくなったさまを感じさせ余計選挙にいかなくなった

だけのようですが、消費税が上がり財政再建もままならずという体制に国民の関心が薄まりよりひどい

現状に少しでも国民が関心を寄せ自分たちが関電事件をもたらした自覚を持たないといけないのでは

ないでしょうか。


アンストラクチャー

2019年10月03日 12時50分55秒 | 日々のこと

今更に捨ててしまったPCについてああだこうだ考えています。

 

出口のないところに入りこむことになるので、もう過去は振り返らないとしてラグビーワールドカップの録画を

見始めました。

カナダとニュージーランドの試合は朝のニュースで結果は知ってしまったのですが、それでもこれはどうしても

見ておかないとと見ていると今まで見てきた試合とは違うシーンにびっくりするのでした。

とにかくニュージーランドは早い展開でボールが止まってからの次の展開ももうその結果を予測しているかのような

素早い動きであっという間にトライまで行ってしまうのです。

 

バスケットで言うところのランアンドガンです。相手陣系がととのっていないところを走ってつんざく攻撃です。

 

後半などはスクラムからスタートしてだれもタックルできずにそのまま走ってトライというシーンを何度か見せられます。

 

何がそんなに簡単にトライにつながっているのか、あまりの速さか相手の穴を突く妙なのか今までのゲームでみるような

スクラムする選手から滝のような汗が滴るようなシーンもなく、あっさり走り抜けていく攻撃が多く、そんなに防げない

攻撃なのかというサモア対イングランドにつづく完封勝利でした。予選Bそれでもニュージランドは二位です。


豚コレラ拡大

2019年09月17日 12時52分57秒 | 日々のこと

昼のニュースによると小鹿野町でも豚コレラが確認されました。

そしてその農園は秩父市の南五キロとのことでしたので元の秩父の養豚場は

旧吉田町だと知れました。これ以上の拡大がないことと早い復旧を祈ります。

そういえば、この辺でも牛や馬豚を買う農家はありました。

家の前を牛車が通ることも珍しくなく今のように車のみとなったのはいつぐらいからでしょうか。

前は乗馬クラブが柳大橋のところにあり、秋葉神社にあった自宅前を馬が通るのは珍しいことでは

ないのでした。

 

ところが現在その市営馬飼育施設は羊山にありますが、馬がそこから降りてくることはなく毎年

秩父夜祭の時だけ神社と市役所を歩くだけです。今月その馬に乗せてくれるイベントがありましたが、

土曜日で用事があり参加できずでした。残念。


タングラムと今後のパウダー享受の行方

2019年07月10日 18時10分26秒 | 日々のこと

八方尾根を思うとタングラムの事に触れないわけにはいきません。

今年はいつもの雪の緩む三月でなく、最盛期の二月に行ったので

行くのも大変でしたし、昨年はいかなかったのに今年はわざわざ最盛期に

いったのはその姿勢の変化です。

 

隣りの斑尾高原もマック―スから中華系の資本に売却されたという変化も

気になった事やそれによってかいつも付属するリフト券が共通リフト券が付くこと

になり、俄かに値下げしたのと同じ効果になり、でかけました。

 

そもそも、ホテルの食事などのサービスはずっと通っている身からすれば年々

悪くなっており、バイキングの品数も少なくなっていると感じていました。

さらにスキーコースまで縮小されたように感じたので昨年はいかなかったのですが、

今年はそれが一番上のリフトからキングへも降りられるし、そのレイクビューも

全て開通していることにコース上は改まりました。それを受けての最盛期に出かけると

いう行動になったのですが、雪がいい時にはこういう風になるのかという再発見もあり

それはそれなりに楽しめました。

 

ただ、やはり不満は草津のような本格温泉でないという事と食事が連泊するとさらにがっかり

度が増すということです。まあそれは違う食事をレストランを変えるなどそれなりの出費をすれば

さらにリゾート感を得るという事でいいのかもしれません。ただ、以前の食事の内容を知っている

為、せめてそのぐらいに戻ってくれたらという思いもします。

 

まあそれだけ今年のスキーは楽しめたのですが、そうすると何であれだけ人出のある斑尾をマックアースは

手放してしまったのか不思議に感じます。

 

八方尾根や志賀高原に感じるマンネリ感とそれでもビックゲレンデゆえの長期滞在で楽しむリゾート感とか

魅力は依然あるわけでただ気楽にいつ来ても空いていてその上サラサラのパウダースノーも満喫でき、

極上の温泉とうまい食事という完璧な布陣の草津は噴火によりもう望むべくもないとなると今度は

おいそれとはいけない未踏の地に計画してゲレンデスキーのような楽しみ方でなく、山に登り山を滑る

方向にしたのがいいのかとか計画の見直しも考えます。

 

それでもまた来年タングラムは行くでしょうし、今年行っていない上越へも行くかもしれません。

 

ゲレンデスキーとバカにしても自然を相手にする以上いつでもこちらの都合通りに良い雪質が

常にあるわけでもなく、風が吹けばリフトやロープウェイは止まり、高速道路も閉鎖されます。

あのお気楽に簡単に春の雪山を登ってスキーをして見せた300名山の田中陽希のように

行かないのはいろいろ経験しています。

 

しかし、温泉とスキーとパウダースノーをより楽しめる環境を自らより多くするにはと考えたら

もっと積極的に普段の生活からすべて変えて雪山に近づいた方がいいのではという気にもさせます。

ただそれがゲレンデスキーをより楽しむためならそんな意味もありませんが、降りたての誰も

いない雪原をどこまでも滑っていくようなそんなスキーならやる価値があるのではとおもったり

します。

 

この考えには今の生活の珈琲とランニングとバスケットの試合とスキーとどれかひとつかふたつは

諦めるという選択にしないとどうしても成り立たないようなそういう人生の選択を迫るようなことに

なりいつも今以上の事になるのかどうかと考えてしまうのです。しかし、年々起きる変化やここ十年で

果たしたこととか考えたらやはりさらに上の体験にするのか広く浅く長くするのかという選択も

そろそろ決めなくてはいけないと感じるこの頃なのでした。

 


八方尾根のジレンマ

2019年07月09日 09時37分18秒 | 日々のこと

今年の三月四月にスキーに行けなかったのはものすごい残念な事でした。

昨年同様今年も三月に毎週のように法事とか葬式とかが重なり、スケジュール的に

厳しかったことが原因としてきましたが、それは昨年も全く同様だったのに

昨年はその間を縫い毎週のように出かけていたことを思うとこの差はなんだったのかと

思わずにはいられないのです。

 

そこで最近八方尾根のことを思い出すという展開になります。

 

スキーTVでも今年映像が流れ、昨年私が行った時にも一番上の山荘の所からさらに歩いて

登っていく人はいたのですが、帰ってからそのルートとかコースを調べてもたいして面白い

物ではなさそうだったと思ったそのコースを丸山貴雄がスキーで登って行って滑走した映像を

みたら矢鱈山岳的なコースで日本のゲレンデではないような迫力あるスキーシーンでびっくり

しました。

 

昨年裏黒菱なるコースを滑ったり今までにない面を発見をしたものの、四月の八方はもう外国人も

さり、年寄りがコブ斜面の練習に来ると言う所に変わり、入り口にダブルブラックダイヤモンドの表記が

あるものの別に大した困難も斜度もあるわけでなく、ごみが多く板が傷つくだけという感じしかしません

でした。

 

ところが丸山貴雄が滑ったシーンや300名山の田中陽希が滑ったシーンをみるとなんだかゲレンデスキーの

ばからしさをつくづく感じさせるのでした。

 

特に今の時期、ふとしたことで動画サイトを覗くとビデオのおすすめリストに並ぶのが殆どスキーシーンの

もので、特に志賀の何々コースを滑ってみたとかいう素人がヘルメットに付けたカメラで前走者を追跡した

だけの映像を見られます。

 

最初は今年は三月四月にスキーに行けなかったので、ただああいいなあという事で見ていましたが、

一つ気になることが出てきました。それは滑走者のスキー技術です。スキーTVのようなデモが滑るので

もない普通のおじさんが滑っているものは見ているうちに自分もこんな感じなのかという事をどうしても

思ってしまいます。

 

自分はこんなことをやるために毎年スキーに行くのだろうかと考えてしまうのです。

 

そして、滑っていたスキーヤーが今年で70とか80ですと紹介があり、そんなものが80万回とか再生されている

のをみると需要があるのかというまた不思議な世界に感じるのでした。

今年のスキーはいつも猛吹雪の中滑るような感じであっという間に終わり、田中陽希も年寄のユーチューバーも

実に良い天気の中山を堪能したという感じに見受けられ自分は何かつらい経験や困難な状況を味わいに出かけて

いたのかというのも感じたり、スキーは楽しいのかという事まで考え今後続けるのだろうかとかその存続まで

考える事態になったりします。

 

それはそもそも本白根が噴火して火山ロープウェイが廃止されその上のコースもあっさりと廃止となり、今まで

お気に入りのさらさらパウダーももう味わえないという事がひとつ原因になっています。

 

草津がだめでも八方尾根や志賀、斑尾、野沢温泉と雪質のいいところはあり、何もスキーがだめになったわけではない

のにこれは大きな問題です。というのは、今年の三月にも八方や志賀に行く計画をした時、その両方とも昨年も滑ったと

いう事が原因で行くのを躊躇したのです。

 

もはやパウダーの時期ではないし、ひたすらコブを滑りに高速道路を使いまた昨年と同じことをすることを良しと

思えなかったのです。

 

それがアルツ磐梯や猫魔のようにまだ行ったことがないというとまた話は別ですが、そうチャンスがこれからなくなる中で

同じことを繰り返すという気になれず、いつもならまだまだ続けるスキーに行かなかったというのは私には何か将来に

禍根を残す行動だったのです。

 

人生は短いのだから同じようなことをしていてはいけないという他人の人生訓はつい繰り返し私の中でうるさく鳴り響く

のでした。

 

何か新しいことに挑戦したり、新境地を開拓したりしなければいけないという気持ちにさせるのです。

そんな中ひとつの変化がありました。これは今年の四月に来た免許更新のはがきによりもたらされました。

私は大型免許もあるので、更新の時に深視力のテストもあります。これが年齢でクリアするのが憂鬱でした。

五年前には簡単に通過したものが次回は年齢で衰えて更新が難しいかもしれないと思ったのです。

 

ですから普通ならせっかちな性格からハガキが来たら直ぐに試験を受けに行くのに今回は先延ばしにして

ぎりぎりまで行かなかったのです。それ程加齢に敏感になったのも目が悪くなっていることや耳が聞こえにくくなっている

という自覚とそれにあがなおうとする気持ちからです。特に目は暗くなると見えづらくなったり小さい字が見えなくなり、

読書するのも苦労して読書時間も減っていました。それでも裸眼で新聞を読んだり本を読んだりしてなるべくメガネは

掛けずに老化に抵抗する気持ちでいました。

 

そうすると細かい字が何だか判時できず、文章の流れからあああの字かと推理して読むようになっていて本を読んで

直ぐ遠くをみたりするとぼやけてしばらくピントが合わないというようになりました。それでもこれで眼鏡をしたら

どんどん目が悪くなり目の筋力も使わないと衰えるとパソコンも本も眼鏡を使わずにいました。ところが、ふと眼鏡屋で

眼鏡をしたら今までより驚くほど本がくっきりと見えびっくりしたのです。テレビで宣伝している何とかルーペの値段の

十分の一の値段でそれより良く見えるのです。

 

それから読書はその眼鏡をするようになり、さらにびっくりしたのは今まで裸眼で本を読んでテレビなどの少し離れたものを見ると

ぼやけて見えてしまうという現象もなくなったのです。つまり、眼鏡で本を読み裸眼でテレビを見てもどちらもピントが合うのです。

前は本を読み続けると目が痛くなり、本を読み続けることも苦難でしたが、眼鏡はそれを解消するばかりか前と同様の速度で本も

読めるようになり眼鏡をはずして直ぐ同じにピントも合うので不便もありません。

 

裸眼で年寄りになりもう本も読めなくなっていると思ったら眼鏡をかけただけで普通に本を読んだり運転したりと全く問題ないと

なると免許更新も難なく更新でき前の時と同じように普通にパスしてまた五年後もできそうな気がしました。

一冊の本を読むのに一年もかかっていたのが二日で一冊に変わり昔と同じようにできると感じ今まで感じていたことは何だった

のだろうかと思うのでした。

 

つまり年を取ると少しづつ衰えていくというのは老化で誰も回避できないことであり、それはほんの少しづつ起こり、

自分がかつて思ったようにガクッと衰えたり年寄りだからできないという事が増えるのではなく、少しづつ終わりに向かうのだと

いうことです。これは大きな収穫でいまならまだ木に登って庭の木を切ったりできるし、昔と同様スキーもバスケットもできる

のでできるうちにやらなくてはいけないという事です。多くの同年代は既にスキーもバスケットも辞めており、すると

もう昔を思い出してまたやり出すという事もおそらくないのであり、これは能力の喪失に違いありません。

 

私の毎日10Kランももう年だからいいやとなったらもう二度と走ることはなくなってしまうのでしょう。

 

つまりスキーやバスケットやランニングを続ける以上終わりでないという事です。

 

今年感じた八方は昨年滑ったからという感覚はこれが草津の本白根だったらというのもあり、複雑な問題になりますが、

解決の方法は色々あるのです。眼鏡をかけることで解ったことです。


遺伝子ドービングの違和感

2019年05月20日 12時28分58秒 | 日々のこと

遺伝子』の中にも遺伝子ドービングして資格はく奪される話が出てきます。

そして、それと同時に先天的に遺伝子異常で造血作用が人一倍強い人とか

もでてきます。ドラマ『インハンド』という家人が好きで付き合いで見ているドラマの

テーマも遺伝子ドーピングでした。しかし、強い違和感が残ったのです。科学番組でも

ある酵素が遺伝子のある特定のパターンの所で切りそこに新たに修正したパターンを入れるという

治療を行えるようになったというニュースを流しています。今年の初めに中国の医師がHIVに

かかりづらい遺伝子治療をしたと発表しました。

 

それは受精卵の状態で行われたので理解できますが、ドラマでは成人男性であり、それが

遺伝子治療で筋肉増強を目論むわけですが、誤って違う所を切り分けてリンパ腺にガンを発症すると

いう設定のようでした。我々アマチュアスポーツの世界でもサイクリングやマラソンの大会に出るのに

ドーピングといいながらやたらとスポーツ飲料やら栄養ドリンクを飲みまくるという事をする人もいます。

 

それはオリンピックとか世界記録に関係ない人にはドーピング検査もないし、誰も注目してないところで

せめて自己ベストをいくらかでもあげたいという切ない努力です。よくマラソン選手は高地トレーニングとか

低酸素トレーニングをしますが、これなどは体の改造であり、環境で高地の国とか地域がマラソンに強いことから

日本で始まったものです。同じ理屈で手っ取り早いのは自己輸血があります。これは違反で禁止されています。

しかし、ドラマの中で主人公が何でダメなのかという問いをするのですが、遺伝子の本の中でも先天異常はよくて

後天的に遺伝子をいじるのは禁止というのは果たして公正なのかという疑問がありました。

 

人間以外では筋肉が多い牛とかタイとか作られていますが、今後どうなるか解りません。

 

日本ではこの遺伝子組み換えに違和感を持つ人が多く、アメリカでは当たり前の大豆の組み換えも

日本人は受け入れないためわざわざ日本向けに組み換えでない大豆を作っています。

しかし、品種改良として自然にできた品種通しの掛け合わせで同様なことは行われていて、遺伝子を

組み替えなくても突然変異という組み合わせをずっとして利用してきたわけです。それと何が違うのか

はっきりした区分けも法の整合性もない世界に今後、なりはしないかと大変心配します。

 

今回のドラマこで特に疑問に思ったのはその遺伝子の切り貼りをした細胞というのはどのくらいの

物だったのかという事です。人間の細胞は何兆もの数に上り、さらにそれに寄生する生物の細胞は

その十倍だといいます。つまり600兆もの細胞があるのにそのいくつかの細胞の遺伝子を改変したところで

人間の個体に然程の影響が出るのかという事です。これは受精卵という単一の状態の時にやるから

効果があり、成人した人間には使えないのではないかと思います。

 

最近の治療ではIPS細胞を使った脊椎治療が有名ですが、それも他人の細胞を使うらしいことから

他人の細胞には異なる遺伝子が入りそれらはどのような影響があるか解りません。これなどは

どう捉えられているのでしょうか。いずれにしろドラマのように簡単に遺伝子ドーピングなどできないと

いう事は確実でしょう。逆に高濃度酸素の吸引とか直前にやって効果のありそうなことは今後

増えていくのではないでしょうか。


ローカル路線バスの旅の感想

2019年05月17日 12時58分41秒 | 日々のこと

最近楽しみにしているテレビ番組など無くなっているのですが、

つい見てしまうというものの中にローカル路線バスの旅のシリーズが

あります。

 

現在、ローカル路線バスの旅Zというシリーズと復活した蛭子能収と太川陽介の

コンビのものがあり、二年ぶりに復活という大宣伝の元昨日放送があったのですが、

それにつれその放送前に過去の蛭子と太川のバス旅を昼の時間に再放送しており

それもなんとなく見てしまうという事になって色々思うことがあり書いておこうと

思います。

 

というのはまず昨日放送されたのは旅バラという毎週放送そうされている田川と蛭子の

旅番組の中でバス旅が復活したもので、二人の旅番組としては少し数字が落ちてきたため

この満を持してのバス旅の復活でテコ入れを図ったことは想像に難くなく、抜かりなく

再放送で盛り立てるという復習放送までしているということでそれもみてしまったのですが、

思ったのはとにかく再放送された回は8、9、10というのは京都から出雲大社、出雲大社から

枕崎、四国大周遊というまさに一大大作であり、一番シリーズ中でも見どころ満載のよいところ

ばかりのシリーズを再放送していることから抜かりはないなあという事と当時のバス旅といま

Zになって何かと本家と比べられる彼らの何がまずくて何が良いのかもつくづく解る結果と

なったのです。

 

まず、再放送を見て思ったのは時代の変化です。蛭子がふっくらしていてバスの時間調べにもコース

に対しても積極的に調べて走って様子を見に行ったりとフットワークも良かったこと、とにかく食事や

バスの会話に面白みがあり、旅にドラマが感じられること、それぞれタレントのさりげない演出など

わざとらしくなく絵作りをしているのは感じられるもののそれら魅力となっている数々が実はZでは

全くないものになっているという事が改めて感じられたのです。

 

その後、時代が進み、9回などは地震前の熊本城が映っていたりと時代を感じられる場面も多々あり、

このあたりの回ではとにかく食事がうどん350円かつ丼500円と物価がやたらと安いのです。今週の

バス旅で特別ルールで一万円までタクシーを使っていいというルールになったり、成功するとご褒美が

あったりと何かと即物的になってしまい今後が危ぶまれるような要素も感じられました。

 

その即物的な要素は毎週放送の二人の電車旅でのルールで途中下車する駅ごとに賞金がでてそれで

その駅の名物や魅力を紹介するという使命があるというゲーム性を強くしたために現れた現象で

段々回を追う度に視聴率が下がったのもこのルールが面白さをそいだのではと予想され昔のドラマ性

とかふれあいとかが本来の魅力として認知されているのは制作側も知っていて今回の再放送なのだと

感じました。

 

その後、回を重ねるごとにバス旅が歩くことが多くなり、ミッション成否にこだわる難しいものになり

ドラマ性やつかの間に観光する珍しい旅番組の要素が少なくなり、滅多に現地の名物とか名所が映らない

物に変化しました。特にZではないとなるとあまり情報収集してコミュニティバスなどを探すより直ぐに

10K程度は歩いてしまい、その大変さがあまり画面から伝わらず、高齢の蛭子が歩くのを嫌がり、マドンナ

がへたったりという構成もとにかく体力が問題にされるような画面となってくると共感性やおもしろさが

損なわれ旅なんかどうでもよかったんだという事が改めて際立ったのです。

 

というわけで視聴率を上げたいという制作側と蛭子と太川でなくちゃという視聴者の欲求が合致して復活した

という昨日の放送は、一泊二日というサイズと変速マドンナの起用とか過去にこだわり最終回の地からの再出発など

ドラマ性と太川のバス旅能力の高さなどを再認識させてファン心理をくすぐるものになってはいたものの、これを

毎週やるとなるとみる方もやる方も何か無理があるようにも感じるのでした。

 

放送予定をざっと見ると次の週は蛭子だけの電車旅で次はバス旅が続くようです。

 

果たして数字は戻るのか何よりバス旅を毎週というのは続けられるのかファンとしてはこのシリーズをもっと大事に

持続可能なものとして取り扱ってほしかったなあという気分が今は強いです。

 

今週の感想としては田沢湖周辺というのは今年の冬スキーに行こうと計画していた地だけにその果たせなかった

思い入れで乳頭温泉だとか雫石とか関東からの距離感を改めて感じて画面を見入ったのでした。

 

次のシーズンに田沢湖に行けるのかそれとも夏に八幡平を歩くのかいずれにしろまだ見ぬ景色を今度は初めての地を

踏むことに重点化して今後の行動とともに考えるのでした。


ガンサバイバーのつぶやき

2019年05月13日 11時29分29秒 | 日々のこと

先日のテレビのドキュメンタリーで元アイドルの人がガンを公表したその後を

やっていました。

いまではガンは直ぐに死に至る病気とは言えない実態とそれにつれて感じること

が最近周りにあり考えることが続くのでした。そのアイドルの言ったことによると

若い女性が乳がんになるのは10人に1人の割合であり、仕事を続けて治療が可能な

病気であるという事でした。

 

一方樹木希林さんのように全身に転移して亡くなる方もいるわけで直ぐには死なない

けれど以前のように実験的最新治療を受けてもたいして余命が伸びるわけでもなく

苦しいだけという状況でもないようです。

 

そうなると何故とか理不尽とか、怒り、不安といった感情が渦巻くといった状況の中

何気ない会話が癒されるのだとか。

 

人生100年時代などといわれ高齢の人が増える中、昨年、今年と葬式に参加する日は増え

その人たちの年齢は皆80以上でした。

 

人間の寿命は最高で130歳という限度は変えられないそうです。

 

いずれはほとんどの人が130の寿命を全うし、その人格は電子保存されるような未来があるかも

知れません。

 

一方地球上で一番寿命の長い生き物として楠や銀杏などがあります。400年500年という寿命と

いわれていますが、現存する巨樹は2000年の物もあります。しかし、黙して何も語らない彼らに

その存在理由と現存を問うとなにやら生そのものの意義を考えざるを得ません。

 

そうなると人類の一員としての生とか、DNAを残す意義とか、ハイデガーの存在論などだしてきても

元々東洋の思想としては最初に無という観念があり、西洋の神やら創造主というそれこそ想像の物を持ち出して

応えてきた歴史からすれば、現実に2000年も生きている生命を前にすれば100年と2000年の差は歴然で

一言も発しないその存在の前に人間などは何を言っても無意味に思えてくるのでした。

 

確かに今までに人類が解き明かした科学的実績は自然の一端を明かし、その謎に光をさしはしたものの、

なぜ我々が生まれ何をなそうとしているのかという単純な事さえわかってはいないのです。それは2000年も

生き続けた巨樹とたいして差はないのではとどうしても思えてきます。

 


妻籠目宿と山の中

2019年05月08日 12時01分52秒 | 日々のこと

夜中にドキュメンタリーで妻籠宿が世界遺産から除かれたというのを

やっていました。

 

今やこういう世界遺産は外国人旅行者であふれています。

 

平成の大合併で色々と不都合な事は起こっています。

 

この妻籠が岐阜になり世界遺産からも除外されたというのですが、現実問題として

ネットで検索する限りその弊害というか行政が変わったことによる差別化とか

中山道の宿場町から除外されたようには受け取れません。

 

未だに妻籠と馬籠と両方普通に皆訪れているようです。この合併による弊害を

取り上げている人もいません。

 

番組では観光予算が行政により違うので施設に差が現れているとか。

 

ドキュメンタリーが言うほどの弊害もないほど世間は今まで通り妻籠と馬籠を受け止めて

おり、今まで通り木曽路は全て山の中です。

 

秩父も同様山の中であり、過疎が問題になっています。

 

とかくテレビで流れるのは芝桜の映像や武甲山ですが、定期的に秩父に訪れている人は

そんなものを求めているのでしょうか。

 

そんな見えない需要を掘り起こして応えるのが今の情報化社会です。

 

秩父の家々には珍しい花や季節の花々が植えられていてそれらは私がランニングする時には

時には萎えそうになったり気分の乗らない日でもそんな花や木がそっと応援してくれるようです。

私と同じように秩父に走りに来ている人も最近は増えて旅ランナーにも出会います。

 

そんなランナーにお勧めなのは駅中の温泉もいいですが、市内のレトロな銭湯などは

おすすめです。

 

こういう今ある資源ややがてなくなるだろう消えゆくものに行政に何かやってもらう

という態度や期待する姿勢の前にそんな者たちやちょっと変えればもっと良くなるものを

考えたらどうでしょう。

 

我々は行政の枠やら線引きとは関係なく山の中に住んでいるという過疎とその将来に

不安を感じつつそれでもその楽しみの中にいることは間違いなく、それを楽しんでいます。

 

かつてあった国民宿舎や桜のぞんざいに切られた羊山など生かせるものはたくさんある

と思います。

 

こころを形にするとか気持ちを必然に変えていくとかやりようも最近は見えたりします。