goo blog サービス終了のお知らせ 

King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

『The expanse』感想

2019年04月22日 17時21分04秒 | 映画

これはAmazonで一気に見てしまいました。

それだけ面白く、今までのドラマSFとも次元を異にしていました。

最初、刑事が富豪の娘の行方を追うというサスペンス仕立てなのですが、

それが宇宙の三つ巴の政治問題軍事問題にすり替わる民族と軍事とか宗教が

果たす役割とか武力により開拓される宇宙の姿はこれは米が経験した建国の歴史でも

あり、自身がとってきた奴隷制や賄賂と汚職だらけの公職や人種差別に偏った宗教と

何も誇れるものがなかったのが広大な国家と自由と平等という築き上げた理念を

アピールして世界のトップであり盟主であるという暗い部分の黒い歴史には

それはもう見事に蓋をしてしらを切り触れないという日本も少し見習った方がいいのかも

知れません。

 

未だに日本は敗戦国だからという論調や米追随を批判したりする人はいますが、

それはその方が都合がいい人がいるからそうなっているのであり、そもそもそれを

招いたサンフランシスコ講和条約署名を果たすための戦略を未だに不平等条約や

日米地位協定を見直せないのも米に頼り切っている方が儲かったり得したりする人が

多いという事です。

 

本来なら朝鮮も南北統一したいらしいから米も韓国日本から撤退してグアムまで

引いてくれと要求すればいいのです。

 

それを日本の安心安全のために基地があるだとか占領の抑止力になるとか大嘘を

かまし自分たちの私腹を肥やし続けているのです。

 

先日、韓国の海産物輸入禁止は不法ではないという判断が下されましたが、これなどは

日本は早く気付くべきことで、正義とか正統などより自国の都合が一番大事なのです。

もし、日本の主張を認めたら今度は自分たちが輸入再開をしなくてはならないのです。

今でも米や中国EUはいわれなく禁輸を強いているのにそんなことできるはずがないのです。

 

正しさよりも力関係で成り立っている国際社会は、クリミアは併合されたままであり、

ゴラン高原に武力制圧したのも米によるお墨付きを得やりどくの世界、武力制圧OKという

大戦以前の侵略模様なのです。武力による侵攻は認められない、基本的人権の尊重と、

法の支配の下での平等というこれまで国際社会が経験して得てきたものを今こそ具現して

行かなくてはならないそんな時に、声を大きくして騒いだもの勝ちのような状態にしては

ならないのです。

 

今までのピンチにヒーローが現れたり騎兵隊が駆け付けたりするのが米の物語で正しいものは

最後まであくまで正しくて悪がくじかれるのですが、もはやそんな嘘くさいものではだれも

騙されず、共感も得られないことから『The expanse』では愛するもののために戦うでも

なく、正しいことのためにできることをするという一貫した正義感も常にかっこよく勝利し

続けるわけではないのです。

 

テロ組織やら暴走した民族意識の団体とか勝ち目のない戦いや全人類を滅亡させかねない

愚かな存在なども自分たちの子孫により良い未来を残すためだったリ軍事行動にもなにかしら

の意味合いが滲み、全くの悪という描き方でないのが秀逸です。ナオミがフレッドジョンソンに

プロト分子サンプルを渡してしまうのも愛する人の裏切りなんだけどベルタ―も持つべきという

考え方はその三すくみの力の均衡という今でいえば北朝鮮の核武装のようなもので実に現実的な

選択なのです。

 

ただ、そのプロト分子というものが実験ではとてつもなく手の付けられないものでハイブリットで

子供に移植して兵器化するなどしてもそれがどうして兵器になるのかと思ったらとにかく感染させる

だけという使い方で地球軍が火星軍に実戦使用して、それをフレッドジョンソンが阻止して助けるという

あれよあれよという展開で気になったのはプロト分子なるものは核が好きで核ミサイルで釣ってエンジンで

焼き殺したという話だったのに核ミサイルで攻撃して消滅したというのはいかがなものかと思ったり、

いささかおかしい点は各所に点在するのです。それでもそれを感じさせない早い展開と今までにない

複雑でいて現代に通じる世界観というこの先どうなっちゃうのという感じでつい先を見たくなるのでした。

 

プロト分子がリングになり、この先外宇宙とアクセスが可能でこの後どんな勢力が登場するのか実に気になる

ところで終わり、原作はもうかなり出ているらしいのでどこまでやってくれるのか楽しみです。

 


『運び屋』

2019年03月20日 08時46分29秒 | 映画

ここのところスキーにも行けないで随分引き籠り的な感じに思え

外出をしようと閉店後映画に行きました。いつものシネコンではやっていなくて

入間か熊谷ということで久しぶり熊谷のシネコンで見ました。

駅ビルにくっついた施設で入るのに渋滞が予想されましたが、さしたる混雑もなく

余裕で車も止められました。

クリントイーストウッドが監督で主演という久しぶりの全力投球ということで、いまだ

役者としても現役ぶりを示したのですが、なんと役は90歳にして麻薬の運び屋という

ものです。これは実話をもとにして作られたもので、その運び屋という汚れ仕事をやる

というクライム映画なのかというと人生とか家族とか愛とかを考えるようになっていて

さりげなく繰り返し描かれるのは多様な社会で差別的な現状がでてきますが、それは

あまり押しつけがましくなく、強い暴力で描かれることはなく、普通にあることで

それは知恵と工夫で乗り越えられるものだと言われているように感じます。

私がこの映画を見る気にさせたのは来日したクリントイーストウッドが語った主人公は

罪の意識を持っていなかったことだという一言でそれはどうゆう事かと見極めてみたい

気にさせました。つまりこの映画で言いたいこととか描きたいことが最後のシーンに

込められていたんだなあとしみじみと感じるようにできていてなかなかやるなあと思わせます。

つまりは世の中の法律とか正義以上に大いなる力とか超自然的存在により与えられた生とか

意義とかを考えさせられるのですが、それを神とか特定の宗教とかを語らずに表したところが

散々差別的な表現や人種や嗜好の人との出会いとふれあいの中で対比させたことで

全人類に通じるテーマとして示されたという感じになっています。

同じように運び屋を描いた事実の映画化としてすぐ思い出すのがトムクルーズのバリーシールですが、

こちらはCIAの潜入捜査という事で始まり国の主権とか貧富の差とか色々と考えさせるものの持ち味は

強者や世間を出し抜く痛快さや強権の前には手を出せない事案もあるという複雑さで時に何が正義かと

いう事にも絡んでくるのですが、今回のようにテーマの最後の持って行き処が誰でも納得できるもので

示されたことや一番の悪に最後やられるかどうかという差も見た後の後味の良さにつながっていて

前作のグラントリノとの差もありまだ次にやってくれそうだと感じるものもあるのもすごいことだと

感じました。逮捕されたときの後ろ姿は80後半の老人の枯れた姿ですが、歩く姿はあの往年のローハイド

やハリーキャラハンのままなのです。ファンとしてはまたかっこいい男を演じてほしいと願わずにはいられません。

さて、映画を見た後はさらに車を飛ばして大泉まで足を延ばして夕食を食べに行きました。

大泉はご存知のブラジルからの移民が多く暮らすブラジルタウンです。真っ暗であまり感じられ

ませんが明るいうちなら看板など異国情緒に満ちた様相です。もちろん訪れたのもブラジル料理のレストラン

ブラジルです。ここは孤独のグルメにも紹介されました。シュラスコと煮込み料理を味わうのですが、

以前訪れた時とは逆で私たちが訪れた8時ごろにはもう誰もいませんでした。不安な気持ちで中に入り、

注文すると途端に映画の一シーンの人になったかのような不思議な状況になりました。これは最近のスキー場

などでも感じる日本に居ながら海外旅行をしているような感じです。今後そういうイメージを多く抱く事態に

なるのかという気もします。そういう特別な感じもあり遠出しましたが、料理の味がどうも私にはしょっぱすぎ

帰りの道中ずっと気持ち悪くて仕方ありませんでした。

 


じっくりとミッションインポッシブル

2019年01月03日 23時37分20秒 | 映画

今年はまだスキーに行っていないという異常事態のような感じの冬です。

予約サイトを色々見ていると最初の予定の今まで行ったことのないスキー場に

行くという目論見も段々と後退していく感じでした。というのは今まで経験した

スキーの何が毎年スキーに行くという行動に走らせたのかを考えるとまだ見ぬ

スキー場に今まで経験したスキー以上のものが得られるのかどうしても疑問に

感じるのでした。

まず、予約サイトで出てくる宿がみんな魅力的に見られないばかりか料金も今までより

高くなってしまっているように感じられるのです。昨年とまった草津などは1万以下で

ヴィレッジはいつもの9000円も切ったプランもありました。

それにリフト券はコースが半分になり3000円となり、一番の魅力の本白根の壁が滑れない

ということでもまた行くことになったのです。

しかし、今年リフトは噴火前より値上がりし、宿も高い感じなのです。一度8000,9000円

で泊まってしまうともうそれ以上出して泊まる気にもなれず、他のゲレンデも魅力的な

所に映るところもないのです。

そんな中、お正月や年末のテレビはいつもの特番で変わり映えしないのですが、昨年の番組を

再放送していて、見比べることができるという変わった感じを体験します。また、再放送も

一気見という事でシリーズを連続でやるケースが多く、今年はどこも出かけず来店者も少なくこの

一気見をするという有意義なんだか時間の無駄なんだかわからない時間を過ごしました。

なかでも、BSでミッションインポッシブルの一気見があり、ぜひともとみたのがローグネーション

で、昨年のホールアウトを見る前にテレビでも復習してから映画館にということで放送されました。

私はそれを見ていたのですが、最後の方は寝てしまい良く解らないままで新作を見たため、何か

まずいことをしたのではという懸念を持っていました。

というのはホールアウトはずっと追っていたテロ組織が、実はIMFであり、イーサンハントそのものだ

という懸念が政府やCIAにはあり、その監視の元活動するという始まり方で、随所に続編なんですよという

雰囲気が出ていてそのくせジェレミーレナーは出てこなかったり、ローグネーションでは出ていなかった

元妻が出てきたり、これは伏線を理解するうえでも前作や前々作を見てみようという気になるのです。

それに私はローグネーションを見ておりああみたとおりだったという事で途中寝てしまいそのため

肝心なものを見逃した感じがしたのでまたローグネーションは見たのです。そして、思ったのは

見たとおりだったのです。つまり、新しい発見もなく、前見たのと同じ話だったのです。これを

みてもまたホールアウトをみても特に深くなることはなかったのです。

ただ、解ったことは謎のテロ組織がローグネーションでは名がまだなくその首謀者は逮捕して

完結したのをまた引きずりだしたのは後から新ストーリーにするために深みを出すための

再登場で、これは色々と都合があり、キャスティングできた人とできなかった人の都合なども

含めてのストーリー展開なのだという事を改めて感じました。

前評判や見どころとしてアクションがクローズアップされていますが、見どころとしては

人間関係と味方の失敗を攻めない姿勢とか信じる正義感とかゆるぎない信頼感と会話や

表情で解らせる演技力などが魅力だと思います。


『ハンズオブゴッド』鑑賞

2018年12月03日 20時53分50秒 | 映画

ここのところの空き時間はこの『ハンドオブゴッド』と『パトリオット』を見て過ごすという

感じです。

主役のロン・パールマンは映画でよく見る顔で、私はキューブの印象が強いのですが、調べると

キューブには出ていないので誰と見間違いしているのか、調べるも解りませんでした。

 

その他ボディオブプルーフのダナ・デラニー、ギャレットディラハントなどなど脇も豪華出演陣と

なっています。

 

死んだ息子のビジョンが見えてそれで事件の全容が明かされていくというサスペンスなのですが、

そういう超自然現象も精神病と疑う主人公と薬のせいで見る幻覚とか精神的ショックによる幻覚とか

様々な角度でその扱いが病気か薬か本物のビジョンかというところがこの物語の中でも

真実かという不確かな中で科学的アプローチによりビジョンは本物の啓示で、真実のアプローチを

示しているとなっていくところに最初から事件を解く超常現象を真実の声としないところに

信憑性と果たして結末はどうなるのかという興味が湧く構図となっており、続きを急いでみてしまう

のでした。

 

ただ、被害者のPJだけが正しいかのような内容と暴力と復讐を肯定するようなストーリーに違和感も

あります。夫婦そろって犯罪者であることには変わりなく、神に見いだされたら殺人もOKなわけない

のであり、メッセージを誤って理解して被害者も出てしまうので随分手前勝手なお話なのです。

 

アメリカ人の思考はこうなんだ。これがアメリカファーストなんだと良く解るドラマです。

 

このドラマを見ていて日本語の台詞に比べ、英語の台詞は画一的で決まった言葉しか使われず語彙が

随分少ないのにびっくりします。ののしる言葉もshit,fack youばかりで、使われるシーンでくそだったり

ばかだったり、くたばれだったり日本語の表現の多様性に比べ馬鹿の一つ覚えのようなセリフで英語って

つまらない言語なんだと思ってしまいます。なにかにつけてfaking bagとか形容詞にファックがつきますが

いちいち場面に合わせて意訳していてあれそういってないよなあという事が多く、日本のドラマなんか

英語にしたらどうなっちゃうのと思うのでした。

 

朝のニュースでも生きがいという本がヨーロッパを中心に話題になっていると言っていましたが、もったいないなど

英語にない日本語は多いのです。グローバリズムといいつつ相互理解も言葉の差と精神性の理解から入らないと

とんでもないことになるでしょう。


悲しそうなスーツの男

2018年11月28日 10時54分48秒 | 映画

ここのところの寒さに体が慣れていないせいか調子がイマイチな感じです。

夜のランニングもそうで、いつもの10Kに向かうも途中でいや最初の走り出しの

時点で今日は少なめでと最初から諦めムードが漂い、いつもの昨日のタイムより

少しでも早くという自分に挑む姿勢が見られないのです。

 

ひざのせいとか寒さのせいなのかただ自分に挑もうという心の萎えなのか不明です。

 

まだ、オリオン座は東の空にやっと上がったばかりで、まだ冬の空に君臨する時期、

あの冬将軍の寒さの時期でもないのです。

とはいえ本格的な冬の寒さや寒の時期より、年末の頃が一番寒さを感じるのは例年の

ことです。これは単に体の慣れのせいです。

 

なれとは恐ろしいもので、何でも慣れはやってきます。

 

いつも見る海外ドラマも一番観たい出来のいいスパイアクションものも、ネタ的には

出尽くした感じでトムクルーズのようなスタイリッシュで最先端のハイテク機器を駆使して

でも最後の勝負は体力と知力というあまりに出来すぎのお話も見る側の低浮上状態の

ときにはばからしくもあり、そんなときにみた今までと違うスパイものとして感心したのが

『パトリオット』です。

 

これはアマゾンプライム専用プライムオリジナルドラマでシーズン2が今月から配信されて

いました。

イラン核合意のために選挙に介入すべく闇資金を運ぶ役目を負ったスパイの物語ですが、

正式な部署も正式な命令を受けたわけでもなく、心強い仲間もいないというなんとも

颯爽としている他のスパイものとは違う味がある物語で、実際の社会のサラリーマンとは

こんな立場の人たちなのではないでしょうか。

 

最近のNHKの番組などを見ていると世の中は高齢化で働く人がいなくなり、政府は

外国人材を拡大しようと永住資格を与える労働者を単純労働者にも拡大したという

感じですが、現実には借金をしてやってくる労働者にそもそも問題があり、それを

解決するには本音の安い労働者の確保と言う所を語らないとこの問題は解決できないし、

日本の社会に必要なのはデフレマインドを脱却できる明るい未来像であり、未来設計

なのです。

 

ところが、本音を隠して現在の労働問題を労働力の確保とだけ言い張り、低賃金の派遣や

非正規の人たちが仕方なくそんな状況に追いやられている現状を理解せず、ただ、大企業や

正社員の今の立場を守らんがための外国労働者の拡大だというご都合主義な法案でそもそも

そんなものを出して将来どんな日本の姿を見ているのかすら考えてもいないので、社会環境や

社会保障を乱す要因になるの明らかです。

 

野党も政策論議よりそういった根本の部分での論戦をせずに法案が白紙だからとか中身がないとか

いって議論せず審議に反対するのでなく、安い労働力を入れたり、偽の研修制度でごまかしている

現状に切り込んで労働者の人権というものを議論していかなくてはならないのにいつもの大臣の

不信任案とかやらずもがなの行動ばかりで相手の懐に手を突っ込む姿勢はないのです。当然これは

馴れ合いの茶番劇にしかみえず、『パトリオット』のようなドラマにはまってしまう結果になるので

しょう。


『三度目の殺人』と『ハクソーリッジ』

2018年10月15日 11時36分52秒 | 映画

『三度目の殺人』

『ハクソーリッジ』

どちらもテレビで放送したのを見ました。

どちらもすごい違和感を抱きました。

三度目の殺人の三度目とは何を指すのか。

それに死刑判決という結末は、これが三度目ということなのかと

いうそもそものテーマは今の司法制度とか刑事事件制度とか

そんなものを問うことなのかということで、それならば起訴されてしまうと

90%以上の確率で有罪という現状や自白だけが唯一の証拠で死刑が確定

しまう現行の制度とか先進国とは思えない司法制度など死刑制度をとり続ける

意味合いとかこれは憲法改正より先に刑法や司法改革をすべき点でしょう。

日本では検死というのが殆どされず、死んでしまうとうやむやになり、その原因さえ

解明されず司法解剖も行われないのです。そういうことで見れば真実の解明がされない

今の裁判などまさに三度目の殺人でしかないと思えばかなり衝撃的な作品です。

ただ、そう見なければもやもやするだけのいやな映画かもしれません。

『ハクソーリッジ』はずっとこの映画前にも同じような武器を持たず助ける

兵士がいて勲章ももらったという話を見た気がして初めて映画になったのじゃ

ないよなと思いました。しかし、いくら検索してもその映画はでてきません。

それと史実とはいえ自分の信仰から武器を持たないとしたのは宗教の教えというより

個人の信条であり、アメリカに多い聖書原理主義の新興宗教を信じた人が仲間を

救ったということで、それをクリスチャンと呼んだりキリスト教徒が教えを守って

かつ国のために働いたとするのは違うと思います。まず、そういう原理主義者で兵役を

拒否した人は刑務所に入れられました。教えを守るという事ではそれでよかったのかも

しれません。映画の中で同じ教区の人で兵役に就き戦場で戦った人もいます。神との契約とか

宗教が生活と密接だった古代と違い、信仰に実践した生き方をするというのは難しい

ことです。しかし、そもそもその教えが間違っていたらということになったらこの話も

いくら勇敢に仲間を助けたからと言って美談にならないのではないでしょうか。

彼が銃を手にしない、人を殺さないという信念に至ったのは幼いころの経験や実体験により

聖書の教えを実践しようとこころに決めたことであり、それを映画でも強調したから特定の

宗教の教えとか主義が問題になることはなく個人の信仰のみがクローズアップされるように

なっています。でも、それをクリスチャンと呼んでいる人がいるのは間違いですよと一言

いいたいと思ってしまうのです。当然こういう人が仲間にいれば攻撃され激しい暴力や

仲間からの弾圧にあいますが、それにも屈せずただ助けたいと懸命に働く姿はやはり感動

的に映ります。人の心とか個人の信条をおもんばかる心があればそもそも戦争など起きなかった

のではとも思います。映画戦闘シーンはすさまじく、ハクソーリッジとは沖縄の前田高地と

言う所だそうで、この映画を見るまで全く知りませんでした。米兵の話でも当時の戦闘を

最近やっと語り出したというドキュメントを見ますが、それはまさに地獄のような出来事で

その時の悪夢はいまも続いているといいます。そういう体験を米はしているのに朝鮮、ベトナム、

イラン、イラク、アフガニスタン、リビアと戦争を続けるのでしょうか。結局、戦争をしている

為政者は前線で死んでいる人たちや難民となって逃げまどっている人のことなど考えないのです。

人類史上初めての原爆攻撃を受け、非戦の誓いから戦争を放棄するという憲法を持った国として

改めて世界平和を訴えていかなければいけないのではと思います。

今では普通に海外に自衛隊が出ていき、国際軍事演習や軍事パレード的観閲式などが実施され

本当に必要なことなのか、憲法でいう武力の威嚇にあたらないのかという疑問はいつも思うのです。

映画の中で現実に攻撃されているんだからやり返さなければ愛するものを守れないとか、国が

なくなるとか出てきますが、その前に人と人が殺しあう事態にならないようにすることはできる

はずです。守るためには攻撃してもいいと安易に武力を認めるのは簡単ですが、それが地獄の

はじまりと知れば誰も武器等持たないでしょう。つまりはそうならないように相互理解と

多様性を認める社会の構築が必要で、今強まる自国第一主義や非グローバリズムなど移民排斥など

に走る前になぜ移民が生み出されているかかつて自国主義に走り移民排斥から戦争が繰り返されて

きたことを心に留めなくてはなりません。


『いぬやしき』鑑賞

2018年09月26日 11時19分55秒 | 映画

いぬやしきは春に実写版が公開されましたが、その時は奥浩哉氏の

アニメが原作であることも知らず、Amazonでたまたま見つけて

昨年深夜のアニメ枠ノイタミナで放送されたものと知れました。

早速見てみるといくつかの不可解な部分と科学的な見地から無理な

部分はあるものの奥氏らしい作品だと感じました。

世界観のずれとかネットから感じている世界観と読者の意識を重ねると

こんな内容になるのかという感じです。

例えば海外の人が作るともしこの犬屋敷壱郎のような力がさずけられたら

人間を超えた力から世の中を支配するように動く人と人を地球のために排除する

という動きをするというパターンが考えられますが、昨今のホモサピエンスと

ネアンデルタール人の違いと繁栄の違いを考えると人類の多様性をどう進化に

つなげるかとかさらなる進化に必要なものとか電子とか電気に頼った文明とは

違う伝達仕様とか電気に拠らない文明の構築とか全く新しい世界観が展開できる

のに今までの機械化人間と小惑星による終末とみんな焼き直しな既出感満載で

陳腐でこれに満足してしまうようでは創造力も未来の力もこれからの人間社会も

期待できないなあという感慨に包まれます。集団の意識とか社会正義とか道徳が

テーマになる時、海外作品では直ぐに愛とか家族愛とか大切な人というのはでてくるものの

日本人のような大和魂とか武士の生きざまとか海外で評価されている姿勢とは

君主に仕えるために死も辞さないという個人犠牲の精神が評価されているのに

日本人は今その意識の高さとか孤高の生きざまというのがそういう自己犠牲とは

感じていないのではないかという疑問も感じました。

そんな意識のずれがあるからまだこのアニメも見て感動すると書き込む人が

いるのかと思いました。


『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』見てきた

2018年08月05日 23時56分57秒 | 映画

日曜日の試合が終わり夕方いつものシネコンに見に行きました。

このシリーズというのは最初の頃のしょぼいネタから段々痛快アクションと

世界を感じさせるロケ映像など他にない要素も加わり人気の映画であり、

トムクルーズを現役アクション俳優の地位に押しとどめています。

有名なワイヤーアクションのシーンは時代を象徴するシーンとして人々の

記憶に残り、ただの焼き直しから痛快シリーズとして不動の地位を築いたのも

良いものを選択して製作陣、脚本家など超一流の人々を結集してきた結果なのだと

思います。

 

ですから最初の頃から肝心のIMFはいつもつぶれたり、ボスが一番の悪人だったリ

裏切りと敵と味方が入れ替わり実際に出ている人たちの相関関係とか既存のストーリーとの

整合性などつい振り返ってどうなってんだろうと考えさせられるのです。

 

今回のストーリーも前回の女性スパイの存在も一回限りの女性枠として出てきたものと

思っていたら今回前回は全く出てこなかった妻も出てきて守らなくてはならないものが

どんどん増えて追うものも謎の組織だったり、謎の組織のトップを追っていたら、それは

自分を追っていたというような複雑な入子構造のような話で、それなら最初から邪魔だから

パリに降下した時に殺してしまえばいい話だったんじゃないんだろうかとずっと帰りの道

の中、このストーリーを辿り考えていました。なぜ成りすまし、もともとエリート諜報員を都合よく使い

簡単に見捨てたり使い捨てにした結果、そのスパイたちが寄り集まって復讐して来たというのが

前作のローグネーションで前回苦労の末そのボスは捕らえたのです。

 

しかも今回、自らの手で今度は奪還作戦をイーサンハントがしなくてはならないということと

そもそも自らロシアのマフィアから核のコアを買うのはイーサンたちで前作の悪役シンジケートの

生き残りがアポストルという組織で、そのトップがジョン・ラークという顔も素性も解らない人物です。

その人物にすれ違いざま薬で眠らせ顔をスキャンして成りすますという計画ですが、そもそもその顔も素性も

解らない人物になりすませるのか。という単純な疑問を持っていると相手に気づかれ格闘になり、

マスクを作るパソコンで殴って気絶させ、機械が殴った結果すんなり動かない中またまた危機が

襲い益々なりすましが不可能に近くなりますが、なんとマスクなしで会うという行為に出るのですが、

その原因を作った前作登場のMI6のイルサに助けられるのですが、前回の人だと解らないほどちょっと印象

が違うのです。前作ではもっとぽっちゃりした感じでしたが、本当におんなじ人と私は思いましたが、

この人誰と思った人も多いのでは。このように、

前作の知識を要求し、前作出てなかった妻を今回アポストルが人質的に利用するなどイーサンの

弱点を突いてきて、そもそも世界を救うより愛する人や仲間を守ることを優先してしまうという設定に

本当の手段とは何憶何千万の人類を救うために自分は犠牲になるという精神から不可能なミッション

となっていくわけです。

 

つまり、イーサンは愛する人や仲間を大事にするというのを弱点としそれが魅力となりにIMFの存在

意義となっていると主張する展開なのです。既存のCIAが自らの存在から世界の緊張と危機を生み出して

いて、危機を救っていると主張しても関係者を全員抹殺するなどその正当性が問われる安易に想像

されてしまう描き方は実際イーサンの様なスーパーエージェントが世界を守とってるという設定をどこまで

信じて物語に入っていけるかにかかっているのです。

 

それが前回もよく見ていないか見ても結局どうなっていたんだっけという向きの人も一遍で物語に

引き込み最後まで見せるには絶え間ないアクションと展開の速い誰が敵で誰が味方か見ている今はっきりと

解らせる必要があり、とにかくイーサンを信じてついて行けば大丈夫という全体の雰囲気を覆えば

良いという手法により、この複雑な相関関係を構成して人によってはよーく検証してみようと何度も

映画館に足を運ぶかもしれません。

 

シリーズの基本としては新兵器の登場とそれが不具合をおこしたり、敵にハッキングされたりと

見せるものが結局は追いかけっこという映画の基本であり、新兵器ネタより主人公の個性にスポット

が当たることにより危機回復に信憑性が出てきた感じになっています。それは巧妙に取り込まれた

罠であり、そもそも核のコアがロシアのマフィアが手に入れている可能性とかそれが成りすました

イーサンが金で買うという行動を最初からとらなかったらと考えたらなんだか急に現実味がなくなり

変なのとなってくるのです。

 

ですが現実の世界でエージェントと思われるロシア人が核物質に触れ入院して、それがスパイで

処刑されたのだというような報道が何年か前にあり、最近それが実は生きていたという報道が

ありました。さらについ最近マレーシアで北朝鮮の金正男の暗殺などスパイの暗躍する世界を目の当たり

にしています。

 

ただ映画の様なカ―アクションが起きたり元エージェントとテロ組織の話題もニュースに報道されたことはなく、

現実に銃乱射事件とか度々起きていますが、それより最近はただ雨が降るだけで300人も死んだり、地震や

火山の噴火などの自然災害や高温といった環境変化で亡くなる人の方が多いわけです。

 

さらに兵器転換可能のプルトニウムは日本に多く保管されており、それらは武器を持った兵士に

守られてるわけでもなく、もし映画の様なテロリスト集団がいれば日本など一番活躍しやすい国かも

しれません。


ライアンゴズリング的ドラマと日本の危機

2018年07月16日 11時42分35秒 | 映画

ブロードチャーチ ~殺意の町~シーズン1 コレクターズBOX [DVD]

はここのところの一番のお気に入りです。今シーズン2を土曜日にBS12で

やっています。

 

最初は2015年wowowでやったらしいです。イギリスでも高視聴率をあげた

ドラマです。これを見ると日本のテレビ事情とか番組の貧困さを実感します。

 

昔は楽しみにしたり夢中になってみたテレビ番組が日本でもありました。

国民的ドラマとか話題になるものもあるものの、今では大河ドラマでさえぞっとする

内容の物ばかりです。増して、月9などと言われる看板番組なども見るに値するものも

ありません。

 

日本の刑事ドラマなどというと足で稼げなどというのがいまだに出てくるバカだけど

真面目に捜査するという刑事ドラマはどんな凶悪で知能犯の事件も解決してしまいます。

それに比べこのドラマは主人公の刑事は崖っぷちで自身のミスが原因で解決を逃しているという

キズを持ち、現在も健康は万全でないという病んだ設定です。

 

それなのに事件は解決して意外な犯人だったで終わったはずなのになんとシーズン2が始まって

しまうのです。

 

特にこのシーズン2では画面の色がイギリスの黒っぽい町並みと霧のイメージから明るい港の

色にあふれた画面が実に美しく、登場人物は何かしら問題を抱えつつこの事件に向き合うという

リアリティがあります。

 

現実社会では日本の警察は非常に優秀で犯罪検挙率や有罪率などどれもトップクラスですが、

それらがちゃんと捜査されているのかというと先進国との差は歴然です。司法制度などその

先進国と同様の制度を次々と導入させられていますが、その前にもっと国民は制度の開かれた

公正さと法的正義の確立にめを向けた方がよいのではないでしょうか。

 

先日の司法取引の国内初導入の報などなるほどこのために作られた制度だったのかと思いたくなる

のでした。とてもMajor Crimesの世界とは似ても似つきません。

 

そして似ても似つかないといえば、このきれいな海岸町の風景が美しいのに対して人間模様とか

人々の生きざまというか関係性が人間とは不可解で厄介な生き物だなあという本質に気づかされ

本来は美しいのに人が汚く陰鬱な町に変えたのかという考えに辿り着きます。

 

それでも物語が成立し、こんな主人公ながら真摯に失敗を取り返し、人生にも仕事にも成功しようと

努力する必死の姿勢があるから見ていられるということでしょうか。やっていることはやはり失敗で

褒められたことでなくその処理も結果も取り返そうと努力するさまも簡単に肯定はできないものの

不条理にもできることで対抗するというその行動がリアリティと人々の関心につながったのかと

うなるものがありました。


七夕に見た『殿、利息でござる』

2018年07月09日 09時33分09秒 | 映画

大雨の警報が続く中、テレビで放送された『殿、利息でござる! [DVD]』を

見ました。

途中地震のアラートがなったり大雨の警報が慌しかったのですが、この

ドラマは深夜にやっている勇者ヨシヒコなどでよく見るロケ地でよく見る顔ばかりの

時代劇です。

善行がテーマでよいお話なだけに盛り上がりも演技などにも注目が集まりにくい

内容ながら見ていてがっかりしない作品だと思いました。

 

これを見始めて初めて羽生結弦が殿だと知りびっくりしました。

 

更にエンディングで流れたのは清志郎の歌声です。

 

これまたびっくりでした。

 

ネットで話題をさらうと先日の羽生弓弦の国民栄誉賞の授賞式の時に首相が

この映画を見たよと述べたという話題もあったりとか。

 

いやあ世の中に結構話題になりにぎわせた映画だったのですね。

今更に知って殿のサプライズ登場にもびっくりして見られて幸いです。


『王様のためのフォログラム』鑑賞

2018年03月19日 10時22分08秒 | 映画

 昨日、wowowで見た映画『王様のためのフォログラム』です。これは昨年ラジオで紹介され興味があったものの

秩父から近い映画館では上映されず見る機会がないままでしたが、このタイミングで

見れ一つの成功体験のような感じです。

そして、この映画を見て率直な感想としてまず思ったのは、アメリカもただの商業映画でさえ

もはやそのものずばりの物は作れなくなってきているということです。

圧倒的富と成功があり、世界のリーダーとしてずっと君臨し、世界の警察であり、正義を具現し

常に正しく最先端であり続けた国もその源泉である基軸通貨であるドルの強さも感じられず

病んで経済の局面でも負けることが多くなって国の象徴として作る映画も黄昏た中年が主人公と

いう誰もが受け入れがたいものとなったのです。そんな意味で感想を書いている人も評価は

低く、見て爽快な映画でもないのであまり話題にもならずひっそりと上映されてビデオでも

知らない人が多く見た人も少ないようです。この映画の主人公や現実の場面でアメリカも一人勝ちと

いう局面はもはや望めず、いろいろと負けることが多くなり、そんな負けて取り残された人たちが

望みを託すかのような形でできたのがトランプ政権であり、反主流派の反撃であり、本来のアメリカの

復権を謳っていますが実はかつての主流産業の鉄鋼や石油産業から世はハイテク産業にシフトしており、

依然これら最先端の技術でアメリカはトップであり、さらに進化した世の中でも世界をリードしてより

良い世界の中心であり続けねばならないはずです。そんな意味から中東の国で最先端の3D映像技術をプレゼン

して売り込むために送り込まれるセールスマンのトムハンクスはかつて有名自転車会社の取締役だったのが

中国への工場移転などから国内雇用を失い自らも失業し、妻とも離婚、家も処分して娘の教育資金となると

いう何もかもなくして活力もうしなった中年であり、最も現代を象徴しているような存在です。そんなかれが

体験する異文化での経済の最先端の商談はその国の独特の制度ゆえ苦難の連続となるのですが、中でも象徴的な

商談のテーマであるIT技術をプレゼンして売り込む先が砂漠の何もないところに作る国王の都市であり、今は

事務局の様な建物がひとつあるだけで、窓口の側近にさえなかなか会えず、同業他社のデンマーク人なども

一年以上滞在しているが国王がいつ来るかすらしらないという状況で、窓口の受付嬢は会う度出張中で留守だと

告げ明日は居ますの一点張り。

ところが、受付を無視して二階に行くと担当側近本人あっさり会えて、それから話はトントンとすすみ

国王にもプレゼンを果たすという快挙となるのですが、商談はどうなるかは書かずにおくとして、この映画は

見る側の知性も刺激するものをはらんでいて、ムスリム専用でメッカ(現代は英語表記的にはムッカ)には

異教徒は立ち入れないと映画で出てくるのに実際迷い込むシーンを撮っているのは果たしてどうやったのか

という疑問も出てきます。(これはエンドロールにエジプトユニットというのが出てくるのでエジプトに

セットを作って撮影した可能性が大。)いろいろなイスラム社会のしきたりとか出てきますが、それらは既知のことであり

それらにびっくりしている感想の人が多いようですが、注目すべきは文化を尊重しつつも自国流を貫き大使館内

ではやりたい放題なパーティーを開いていることやその時に取る主人公の行動とか失った活力をどう取り戻して

どう生きていくかというところに見どころがあり、そんなことと砂漠で何もないところに都市を一から築いてしまう

夢のようなことができる人たちのことと世界がどうかかわっているかを考えてみると題の王様のためのフォログラムと

いうものが何を指しているのか意味深くなってきます。主人公の生き方をみてそれらを知れば、決して中年のため

の映画という評価にならないと思います。ですが現実にはトランプ政権ができてかつてのアメリカをとりもどすとか

国境に壁を作るとか環境問題に背を向けるとかまるで逆のことを向いているのに映画や最先端企業達は世界に寄り添い

世界とともにあるというのは知っている人は知っています。我々日本人としては不変のテーマにおいて目先の政権に

振り回されるのでなく、トムハンクスの主人公同様活力を取り戻しなすべきことをなしていかなくてはいけないと

個人でも国レベルでもと思うのでした。

<iframe style="width: 120px; height: 240px;" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=httblogoo0b60-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=B0742LD56M&linkId=8d2e6ca78fc5d26d31bac0f7c74da760" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe>

スターウォーズ最後のジェダイ鑑賞

2017年12月22日 12時50分22秒 | 映画

前作から意外と早い新作の登場でどんな展開かと思いましたが、世間の評判とは裏腹になんかこの戦いを続ける意味があるのかという疑問がただ沸いただけです。前作でもそれは感じたことで、あのデススターなんてずっと作られては破壊され最終兵器の完成が戦争の終結になるはずが、ゲリラ的戦いで破壊に成功しめでたしめでたしで終わりにしておけばいいものを受けて金が儲かるシリーズになったために素材をさんざ使いまわしてできるだけ引っ張ろうというものを感じてしまいます。昔は気にならなかったSF的失敗ももともと宇宙にファンタジーを取り込んで時代錯誤的チャンバラを宇宙で行うというシステム上ストーリー上の無理とかテーマとかどんどんないがしろになってきている感じもします。この帝国の立ち上がりというのはそもそもナポレオンの自ら皇帝を名乗って帝国覇権主義に走り他国を侵略した歴史に触発され民主主義が高度化すると人々は何も決められなくなって強力な強権による統一を求めるというかつてたどった道を宇宙を舞台に人の習いを描きつつそれに否を唱えて立ち上がることができる人の素晴らしに姫と騎士という古きものを持ち込んでロマン的に仕上げた冒険活劇なわけで、それがディズニー参入でならず者のハン・ソロとお姫様の恋と三角関係などの恋バナはとれなくなりその子孫が繰り広げるものに新しい対立や勢力構図など新機軸もなかなか盛り込みずらくいまだにまだ戦っているという展開を新しい構図に入れない第二作としてこのまま終盤に行ったらますます戦い未だ終わらずの展開で終わりそうでテーマもへったくれもない作品になってしまいます。そもそも帝国軍は何のために宇宙支配をしていこうとしているのかもはやわからず、物語に必然や暗黒面に支配されるということの意味ももはやなんだか分からないのです。カイロレンを暗黒面から救い出し寝返らせることができると信じて会って説得を試みるレイによりファーストオーダースノークを倒すことに成功カイロレンはレイと組んで新たなファーストオーダーを作ろうと迫るのですが、もし、戦いを終わらせる、もしくは政権の変更が可能なのはレジスタンスとしての戦いよりもこのカイロレンとの協力こそ一番の近道であり、本来の暗黒面から解放も可能だったのではないのかと思うのです。もともとルークスカイウォーカーはなぜ隠遁生活になり、最後フォログラム戦いに何をなそうとしたのか全く意味不明であり、フォースの覚醒でどう何が覚醒したのか島の暗黒面で何を見て何を確信したのか、自身の過去の秘密と向き合ってどう変わったのかという面でも説明とか必然とか描き方に魅力として伝わってこないのです。そもそも魅力的な登場人物が少なく、みんな学芸会の様なスター性のない人々の起用です。かつては王族の血族と一般の奴隷の人とその転身など聖書に出てくるような人の配置で物語の組み立てが出来上がっていたのに今回は脱走兵に整備係と無謀なパイロットとみんな必然のないところにスポットが当たっていてなんのために戦っているのかも今やわからないのです。物語に魅力はないけれどやはりかつてのスターウォーズで受けた衝撃そのままにあのワープ航法の映像やライトセーバーで戦ったりの衝撃がまだあるので見てしまうというブランド効果のみのような感じです。それに、ディズニー、JJエイブラハム、ソニーといった最強布陣で面白くないはずがないということで成り立っている映画だと思います。あと一作も結局面白くないから見ないとはならないのだろうと、公開されればまたみてしまうのだろうという映画でした。


『シンゴジラ』TVでみた

2017年11月12日 23時56分36秒 | 映画
この映画は公開当初から言われていた色々を聞くだけでどんな
感じか解ってしまってあえて劇場で見ずに過ごした映画でした。

現職の国会議員が用いられている用語にコメントしたり、元官房長官が
取材協力して作られたとか出てくる用語やゴジラの攻撃方法に話題が
集中していました。

話題や賛歌的発言が募れば募るほどそれじゃあわざわざ見るまでも
ないかと思いました。

というのは、そもそもゴジラ映画が提起した環境問題や文明批判に
2014年の米製渡辺謙が博士役で出たゴジラは自分たちの水爆実験ですら
正当化するひどいものでゴジラは神であり、救世主のような作り方に
もはや作る意味がなくなったかのような感もありました。

そこに作られたシンゴジラは評判通り、福島原発事故と重なるそれに
日本政府がどう立ち向かい正統的に対処したかのように描かれている
のにものすごく違和感がありました。

ファンとしてはエヴァンゲリオン的な描写や軍事オタク的視点などが
たまらないという賛歌論はうなずけますが、いまだ収束しているとは
言い難い原発事故に原発再稼働が動かしがたい実効策としてあり、核燃料
リサイクル事業とか現実には実現不可能なメルトダウンした燃料の取り出し
など真実を言わずに続けている事故処理の言ってしまったら終わりという
できなくてもやっている以上は指摘はされないという現行の現実を
暴きたてることはなく、何の解決もされないのは明らかでそれを
肯定的に見るようなゴジラが最後凍結して収束という終わりに全く
不満なのです。

これはよくあるNHKスペシャルやスクープ的ドキュメンタリーの手法で
とにかく特別で迅速な対応でやり遂げましたと立て続けに打ち出した
ものを並べ立てたもので、それで何が解決されたとか、何の解決に
なったかという結論は述べないのです。

こういうものを出されたときに、あえてここはおかしいという批判を
してこその評論家も世の評価が好調なものにケチをつけることは自身の
評論家声明を危険にさらすばかりかそもそも発言の機会をなくすとして
誰ももはや何も言えないような状態です。

もともとゴジラは水爆実験で突然変異したクジラということで
哺乳類のはずです。

シンゴジラでは突如現れた巨大生物はすごい勢いで進化する生物で
最初は手もなく鰓で呼吸している魚のようなナメクジのようなのが
突如足で二足歩行を始めるという全く生命の進化を無視したものであり、
体中から光線を出したり凍結したしっぽの映像にはエイリアンのような
脊椎動物が苦しみもがき這い上がるような彫刻のような姿がみられ
象徴的に人類の成れの果てのような暗示があります。

人はエヴァンゲリオンの使徒のような出現に驚喜し、それに敢然と
立ち向かう日本政府の政治的やり取りにリアリティを感じ喜びました。

東京湾の浅さから発見が上陸してからというのは不自然で他の映画
同様、フィリピン沖から発見されているというのがSF的です。

でもそうすると米軍がいち早く発見して攻撃して終わりになって
しまい、そもそも日本に上陸する意味も目的もつくりづらいので
迷ってクジラが日本の浜に打ち上げられてしまったような形に
するしかないのですが、そうしたらそれが二足歩行で放射能の火を
吹くなんてのはもうどう理屈をつけようと無理なのです。

でも、この映画でどうして福島原発事故を想起させるような処理と
対応をとることにしたのかの方が気になります。

現実的にはミサイルを発射して死なない巨大生物というのはエバの
使徒のようにATフィールドでもないと無理です。

高い放射能で電磁パルスのようなものが常に起きて電子機器はすべて
使用不能で電波誘導などもすべて使用できないというのなら話は
解ります。

そればかりか未知の素粒子の流れが起きてダークエネジーやダークマター
など時間と空間までゆがませて進むというのなら普通の物理攻撃も
ままならないでしょう。

それを世界中のコンピューターで解析して歪みの特異点を計算して
そこから攻撃して倒すというのなら現実味も出てきます。

まあ批判やこうすべきというのは見たからこそできることで、指摘
すべき点やメッセージ性にはメッセージで答えるのも正当であると
思います。

ただ、それはあまりに賛歌する意見で埋め尽くさればからしいと
いう意見もあっていいのです。それが言えない空気など作っては
いけないし、福島原発は凍土壁で収束などしていないという現実を
もっとまともに我々は受け止めなければならないでしょう。

カズオイシグロの『私を離さないで』に思う

2017年11月11日 13時58分53秒 | 映画
ノーベル文学賞受賞を受けて深夜にかつて放送した
『私を離さないで』をやっていました。

これは舞台を日本に移したドラマでした。

これを見ていてすぐに『アイランド』を思い出しました。

アイランドではクローンが生産されて閉じられた世界で
クローンだけの生活があり、外界は汚染され外に出る
ことができずやがて当選という形で夢の島へ
旅立てるという疑似社会で生きているのですが、それは嘘で
保険会社が作ったクローンはやがて顧客のために臓器提供
されるための物だったのです。

それと全く同じ展開ながら違和感が沸いたのは提供者として
普通に社会に入り込んでいてあまり違和感も社会問題化も
してない社会が普通に描かれていて本人たちも提供して死んでいく
ことに恐怖とか拒否する者ははっきりと描かれず、まだ最初の
子供の頃、施設を脱走する話で脱走した子供が帰ってこなくて
血の付いた靴が門にかけられているというだけの説明のない
話で子供たちがクローン生産された生命というのはあとの方で
出てくるだけであまり説明されてない分不可解な感じがずっと
する不思議なドラマでした。

つまりは現在クローン技術は確立しているものの倫理上人間の
クローン生産は禁止されており、現実的でないという結論ありき
の話で、できない起きないことをやる意味があるのかという見方を
してしまうのです。

アイランドの場合はSFということで最初から遠い未来あるかもと
いうことで物語に入り込めるのですが、私を離さないではなんか
現代の物語なのに外国の話を仮定でやっているのかどういう意味に
したいのか理解しがたいのです。

ブレードランナーもそんな同系列のおはなしなんだと思いますが、
人工知能とかips細胞とかどんどん現実的になる今、人工生命も
どうしても触れておきたいということでこういう作品群ができる
のでしょう。



『ブレードランナー2049』見てきた

2017年11月01日 23時55分54秒 | 映画
朝のニュースで監督の話がありました。

カナダ人の僕が今度は白いブレードランナーを
作るという。

あれ、監督はリドリースコットじゃないんだという
思いとこの白い雪のブレードランナーという言葉を
胸に映画館に向かいました。

予告編ではやたらドリームチームが地球の危機を救うとか
同じような映画ができたことを知らせます。

リドリースコットの酸性雨が降り続く未来の絵図が衝撃的
で刺激的な絵から白いブレードランナーとは。

前作でのSFの世界観があるので、それをさらに進めるには
いくつかのパターンがあるものの、やはりそれは制約であり
自ら世界観をどう表現するかに監督の腕も求められるから
より論理的であり、哲学的な側面が前に出過ぎるのはしかた
ないことであり、前作で見せられた衝撃的未来にさらに挑む
となればそれを超える絵を見せなくてはならないという期待を
越えなければなりません。

そんな面からレプリカンとの機能やら能力やら未来の絵図の
描き方は力がこもっているという印象はあるものの、見ていて
楽しいかというと映画が持つべきわくわく感や躍動感みたい
なものはなく、最初のこの作品に触れるあまりSFとか理屈が
好きでない人には単に退屈な映画といわなければならない
展開です。

それに肝心なSF的な面でもいかにも西洋人的思想が強く、
何でも力で処理し、物量と科学的処理により人間の生が
可能であり、精神的背景とか精神性とか置き去りで力で
外に侵略していく精神がストーリー的にも現れています。

まず環境破壊により、木も生えない世界というのが簡単に
やってきてそれでも人間だけがその科学力で生きていくという
考え方が今の最先端の科学を理解してない貧しい考え方に基づいて
いることを露呈していてああやっちゃったという感じがします。

まず、人間の体の細胞数の10倍の数の寄生細菌やら細胞やらと
同居しているという事実から農業でさえ化学合成で飢えから
解放という愚かな考えには至らないはずなのです。

すべては宇宙の循環であり、木も生えなくなったら生命の
存在もないのです。

石油などの化石燃料が枯渇する近未来ということで酸性雨の
降りしきる不毛の大地という前作の設定からレプリカントという
人造人間による外宇宙での侵略戦争とその過酷の運命から逃れる
逃走レプリカントを追うブレードランナーという設定から、今回は
旧型の解任という今では新型で従順なレプリカントにはブレードランナー
はかかわらなくてよいという限られた任務になぜ旧型のそれも奇跡の
レプリカントの追跡が現れるのか。

そもそも最大の最後の関門のレプリカントの生殖が問題にされて
いるのですが、レプリカント事態クローン生産なら生殖による繁殖
より生産性は高いはずであり、そもそもそれが問題になるはずが
なく、クローン生産できるからこそレプリカントの利用価値とか
レプリンカントを作る意味も出てきて前作ではその限界がひとつの
鍵とされ追うハンターとしての意味もあったのですが、今回それが
生殖という人間にしかできないものの意義が注目視され、死の意義
とか人間にしかできない死に方などを印象付けますが、そのサクリファイス
的な生は動物界などでもあり、人間オリジナルではありません。

そして、細胞では生殖ではなく分裂というクローン的自己複製も
あり得、そういう根本部分の問題でこのSF的設定も破たんしている
感を受けるのです。

つまり、この映画を見て同意とか同感とか一体感を持ち得ず、
ストーリー的にも孤児院を訪れた時に空から攻撃して援護した
追跡能力と攻撃能力があればデっガードの補足とその子の発見など
たやすいことのはずです。

さらに、反乱を画策する勢力に味方するならデッカードと子の
再会など果たせばたちまちそのありかと正体は公になってしまう
ことなどたやすく予想されるのになぜ要求とは別の行動を自身の
生とは裏腹な行動をしてしまったのかストーリー的にも破たんして
いるように思えるのです。

つまりはその白いブレードランナーも自己満足で止まっている。
そんな印象なのです。

新たな世界観も哲学的思想も見ることにより自身の生にがたがたと
ゆさぶられるような衝撃とかあの当時、ブレードランナーの未来に見た
衝撃や未来を夢でなく現実の派生として考えることをしてみようと
思わせたものが今回はないように思います。

そもそも年取ったハリソンフォードのレッガードやGaff役を出す
意味とはファンサービス以外のなにものでもなく、それは集客や
レガシー的意味で作品の厚みを出すためだけのためであり、ストーリー
的に必然がないだけにより何のためという疑問が出てきてしまう
おかしな筋立てなのです。

人工知能やロボットの反乱という使い古しのテーマをいじるなら
より深い哲学性や科学性で説明されてしかるべきところが弱いと
いうリドリースコットを超えられない感性を印象付けられた映画
でした。