King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

『ブレードランナー2049』見てきた

2017年11月01日 23時55分54秒 | 映画
朝のニュースで監督の話がありました。

カナダ人の僕が今度は白いブレードランナーを
作るという。

あれ、監督はリドリースコットじゃないんだという
思いとこの白い雪のブレードランナーという言葉を
胸に映画館に向かいました。

予告編ではやたらドリームチームが地球の危機を救うとか
同じような映画ができたことを知らせます。

リドリースコットの酸性雨が降り続く未来の絵図が衝撃的
で刺激的な絵から白いブレードランナーとは。

前作でのSFの世界観があるので、それをさらに進めるには
いくつかのパターンがあるものの、やはりそれは制約であり
自ら世界観をどう表現するかに監督の腕も求められるから
より論理的であり、哲学的な側面が前に出過ぎるのはしかた
ないことであり、前作で見せられた衝撃的未来にさらに挑む
となればそれを超える絵を見せなくてはならないという期待を
越えなければなりません。

そんな面からレプリカンとの機能やら能力やら未来の絵図の
描き方は力がこもっているという印象はあるものの、見ていて
楽しいかというと映画が持つべきわくわく感や躍動感みたい
なものはなく、最初のこの作品に触れるあまりSFとか理屈が
好きでない人には単に退屈な映画といわなければならない
展開です。

それに肝心なSF的な面でもいかにも西洋人的思想が強く、
何でも力で処理し、物量と科学的処理により人間の生が
可能であり、精神的背景とか精神性とか置き去りで力で
外に侵略していく精神がストーリー的にも現れています。

まず環境破壊により、木も生えない世界というのが簡単に
やってきてそれでも人間だけがその科学力で生きていくという
考え方が今の最先端の科学を理解してない貧しい考え方に基づいて
いることを露呈していてああやっちゃったという感じがします。

まず、人間の体の細胞数の10倍の数の寄生細菌やら細胞やらと
同居しているという事実から農業でさえ化学合成で飢えから
解放という愚かな考えには至らないはずなのです。

すべては宇宙の循環であり、木も生えなくなったら生命の
存在もないのです。

石油などの化石燃料が枯渇する近未来ということで酸性雨の
降りしきる不毛の大地という前作の設定からレプリカントという
人造人間による外宇宙での侵略戦争とその過酷の運命から逃れる
逃走レプリカントを追うブレードランナーという設定から、今回は
旧型の解任という今では新型で従順なレプリカントにはブレードランナー
はかかわらなくてよいという限られた任務になぜ旧型のそれも奇跡の
レプリカントの追跡が現れるのか。

そもそも最大の最後の関門のレプリカントの生殖が問題にされて
いるのですが、レプリカント事態クローン生産なら生殖による繁殖
より生産性は高いはずであり、そもそもそれが問題になるはずが
なく、クローン生産できるからこそレプリカントの利用価値とか
レプリンカントを作る意味も出てきて前作ではその限界がひとつの
鍵とされ追うハンターとしての意味もあったのですが、今回それが
生殖という人間にしかできないものの意義が注目視され、死の意義
とか人間にしかできない死に方などを印象付けますが、そのサクリファイス
的な生は動物界などでもあり、人間オリジナルではありません。

そして、細胞では生殖ではなく分裂というクローン的自己複製も
あり得、そういう根本部分の問題でこのSF的設定も破たんしている
感を受けるのです。

つまり、この映画を見て同意とか同感とか一体感を持ち得ず、
ストーリー的にも孤児院を訪れた時に空から攻撃して援護した
追跡能力と攻撃能力があればデっガードの補足とその子の発見など
たやすいことのはずです。

さらに、反乱を画策する勢力に味方するならデッカードと子の
再会など果たせばたちまちそのありかと正体は公になってしまう
ことなどたやすく予想されるのになぜ要求とは別の行動を自身の
生とは裏腹な行動をしてしまったのかストーリー的にも破たんして
いるように思えるのです。

つまりはその白いブレードランナーも自己満足で止まっている。
そんな印象なのです。

新たな世界観も哲学的思想も見ることにより自身の生にがたがたと
ゆさぶられるような衝撃とかあの当時、ブレードランナーの未来に見た
衝撃や未来を夢でなく現実の派生として考えることをしてみようと
思わせたものが今回はないように思います。

そもそも年取ったハリソンフォードのレッガードやGaff役を出す
意味とはファンサービス以外のなにものでもなく、それは集客や
レガシー的意味で作品の厚みを出すためだけのためであり、ストーリー
的に必然がないだけにより何のためという疑問が出てきてしまう
おかしな筋立てなのです。

人工知能やロボットの反乱という使い古しのテーマをいじるなら
より深い哲学性や科学性で説明されてしかるべきところが弱いと
いうリドリースコットを超えられない感性を印象付けられた映画
でした。

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