懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

コンテンポラリーの舞台を見るような

2019-04-15 01:43:20 | Weblog
フィギュアスケート国別対抗戦は、世界選手権があった後の、格下の試合だし、とか思って、

自分は、リアルタイムでは、試合をあんまり見なかったのだけど。(羽生が出ないから、っていう要素も・・・。)

後から男子フリーを見たら、ネイサン・チェンの演技、世界選手権より技術落とした分、余裕が増したのか(?)分んないけど、私的には、世界選手権の時より、さらに伸びやかにテーマを表現していて(世界選手権の表現も良かったけど)、この人って!

利発で名門大学で将来を見据えて学業に励んでいるから、今後ステージアーティスト系の人生を歩むわけではないんだろうけど。

その表現面での才能は、瞠目するものがあって、惜しまれた。

ネイサンの表現者としての潜在能力の高さに、改めて複雑な思いがした(きっと、そのうち、引退して、学業やって、地道に仕事人になるんだろうから。)、のが、一番大きな感想で。

二番目に印象的だったのが、ヴィンセント・ジョウのすがすがしい演技と晴れやかな表情。

ネイサンも、ヴィンセントも、素人目には、羽生結弦の影響を受けてるような感じがして、一層微笑ましかった。

(違うかもしれないけど、ジョウのFS,世界選手権で、冒頭に、あの衣装(服の作り、とか、単純な意味で)羽生の「清明」にちょっと似てると思ったし、最初のポーズ、手の構え、全体に和テイストとか・・・。この人はもしかして、羽生に憧れて、ああいう衣装・プログラムでやったのかなあ??なんて思ったりして。)

或いは、あの振付家は、10代少年の、それぞれの個性、魅力を引き出すプログラムを作る創造者なのかも?なんて思った。

ネイサンは今や堂々たる王者だけど、以前、一時期は羽生を神のように思う様な事を言ってたと思うし、羽生の背中を追って上がってきた人たちが、表彰台の上位になる時代になったんだな、と思うと、感慨深い。羽生が高みを目指して道を切り開き、後からついていった選手たちも飛躍を遂げて。

所で、ネイサンは、そんなに大きな手術とかはしてないのかと勘違いしてたけど、何かの記事で見たら、結構あるらしい。うまく克服できる術を学んだなら、それも後進に伝えられるといいんだけど。

誰かがネットでネイサンの衣装をペンギンと称していて、そういわれると・…、確かに。以前から、あれだけいい演技できるんだから、衣装もう少し変えた方が???と思っていたけど、・・・・・。(あれで、結構人気・評価のあるデザイナーの製作の衣装だっていうんだけど・・・・。怒られそうだけど、羽生の練習着の方が、かっこよく見えるんだけど。自分的には。)

それが、滑りだすと気にならなくなった。(FSで、羽生の後とか、ジョウの後の時、プログラムの曲想が、前滑走者の曲とは全然違うのに、のっけからその世界にネイサンも入り込んで、見る私たちも引きずり込んでいく、音楽性も含めて表現の地力は、改めて感心した。)

ネイサン、フィギュアスケートをずっと続けるなら、その表現的可能性には、大きな期待が持てたと思う。(でも、まだまだフィギュアスケートは、ネイサンの様な秀才が一生を掛けて、いや、半生をかけてやるには、業界がそこまで選手や関係者を支えられるほどの規模ではないのかも。)

技術はいつか追い抜く人は出ても、表現面の才能は、そうそう出るもんじゃないから、少し残念だけど。ネイサンの人生だから、まあ、しょうがないか。彼の現役時代をしばし、楽しむとするか。

いい時のネイサンの表現は、へたなコンテのダンサーのより、感動が大きったりする。

世界選手権の緊張感とは異質な、伸びやかな表現を見せる選手たちを見せた、という意味で、国別対抗戦も、ちょっと良かったのかな、というのが、ちょい見の感想。



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