懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

フィギュアスケート、競技を超えて~【羽生in世界選手権2019 FS】

2019-03-24 01:36:50 | Weblog
なんと・・・、いっていいのだろう。

羽生結弦の世界選手権FS。

演技の途中から、

これは、もう、自分の既知の”フィギュアスケート”じゃない!

と思った。

フィギュアスケートの形を借りた、もっと特別なもの。

命を燃やして、生きる。

こんなにも。

今まで想像だにしなかった世界、その扉が開く、ように。

~できるんだ、やれるんだ、ここまで!


氷上の「羽生結弦」に、何か、ここでしか得られない特別な事を、教えてもらったような、身の震えるような、瞬間。

それも、一瞬だけ。

羽生の演技を生放送で見た、最初の一回だけ。

一生懸命、生きる。

平たく言えば、今日の羽生の、特別な演技から、自分が教わったのは、せんじ詰めればそういう言葉になる。

大好きだ!

(これ以上好きにさせないでくれ~!、と思う)

魂の演舞ならぬ、魂の滑り、か。

渾身の、身を削る努力の果てに、ギリギリの地平に立って、彼は特別な扉を開けたかのようだった・・・。

私は、羽生に限らず、(このブログのバレエとかので、過去にも書いたけど)

こういう特別な啓示のある舞台を観たくて、劇場に通っていた。

・今日の「Origin」のFS演技は、録画廻して、2回目見た時、なんて、なんて、いい音楽なんだ!と思った。

録音も、効果音の入れ方も、微細な工夫が胸にしみる。それに、観客の発する音声、羽生の演技に連動して派生する、歓声・悲鳴?の様なのも含め、こだまする声、拍手、さえも、演奏される音楽の一部のように、氷上の世界の秩序が堅牢に築かれて見えた。

何と素晴らしい、二つの音楽世界。プルシェンコの「ニジンスキーに捧ぐ」の音楽性、芸術性と、そして、この羽生の「Origin」
、その二つの世界に、眩暈の様な感動に襲われながら、しみじみと感じ入った。

・まだ、味わい尽くしていない。

今日の羽生映像、それにまだ見ていない、FSの何選手かの演技、時間のある時に、ゆっくりまたみたい。

今日は、羽生しか見えない。

ネイサンの今日のFS演技は、フィギュアスケートとしては最高だった。演技の前半で、今日、勝ったと思った。

ただ、学業があるから、彼は芸術性は、あれ以上をやれる才能あったと思うけど、フィギュアだけの人生ではないから

あれでいいんだと納得した。羽生がいたから、ネイサンは凄く見えたけど、私的にはネイサンは、五輪の時とかの方が、芸術性では、これより上の感動があった。

(技術的には風格と余裕、素晴らしい身体の織りなす最高の演技だったことは言うまでもない。

また、彼の、大きな怪我が少ない在り方は、幼少時からの体操その他で独特の体幹の鍛え方、身体感覚を養ってきた賜物だろうと思うし、ネイサンの培ってきた怪我少なく競技をこなせるノウハウは、大変貴重なはずで、この経験を、彼は後進にも共有できるような生き方をしたらいいんじゃないかと、思いもした。)

余裕をもって現在最高峰の技術をパーフェクトに決めてきたのは、感嘆以外ない。

羽生の、フィギュア、競技を超えた、神の領域の扉を開くような、魂込めた演技と、フィギュアの一つの到達点を示した、ネイサンの演技。

いずれ劣らぬ名勝負に、かつてのプルシェンコ、ヤグディンの名勝負のようなことは二度とないと思ってたけど、そんなのを思い出した。


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