主観的感想ではありますが。
東京文化会館、ボリショイバレエ「スパルタクス」2夜目。
ホントに個人的で申し訳ないんだけど。感動した。
若者たちのドラマ。
・奴隷の長:英雄スパルタクス:ドミトリチェンコ。自分は感動できた。
ドラマティックなドミトリチェンコ。
(不足を挙げればきりないが、それはワッシーだって同じ)
1幕の、「剣奴との殺し合いの見せもの」という残酷なシーンの後は、(ムハメドフが誰も真似できない名演を残してるが)、ネガティブな感情よりも、楽しく心地よい事を求めたい、ポジティブな若者たちの思考回路がほの見えて、定番のムハメドフの苦渋の「スパルタクスのモノローグ」シーンよりも、その後の、絶望の状況から立ち上がって、希望を見るシーン、奴隷たちが皆で蜂起を決意し、コールドとドミトリチェンコが一斉にジャンプをするシーンで、このシーンの本質的な意味であるに違いない、「解放!」を感じる事ができた!音楽との一体感!
今日の一番の客観的な成果は、一つには、それかもしれない。
1幕では、明るい現代青年、それが、2幕で、かわいい妻への優しい顔、3幕で、頂点から転げ落ちる絶望の中の喪失感、そしてそこからもう一度決然と毅然と自分を奮い立たせて、最後のフリな戦いに挑んでゆく・・・。
演技派というより体当たりの等身大のスパルタクスで、過去のスパとは別の感動が。ニクーリナが可愛く、演技もあるので、3幕でスパルタクスが死んだ時は、泣いてしまった。(あほな自分)
2幕以降、ちょっと勢いに乗る性格のスパルタクスでもあり、ムハメドフ、クレフツォフ、ウラジーミル・ワシーリエフらの、度量と冷静さも兼ね備えた理想的英雄、端正な正統派と違って、ちょっと、日本の歴史ドラマに出てくる源義経みたいな、激するキャラのスパルタクス、とか思っても見た。その意味で絶大な支持を得る大物の英雄というより、一度は登った若者が、挫折を経験し、放心状態になる話にも見え、これもありか、と思って面白く見た。
ニクーリナ、じゃなかった、こんなに早くに夫に先立たれた妻フリーギア、一度は希望を持ち、解放を目指した若者が、頂点からたたき落とされ、無残な死体で仲間に抱かれる姿・・・。
・その最愛の妻:ニクーリナ。かわいい。繊細な踊り、繊細な演技。合同ガラの時より良かった。理想の妻。こ~んなかわいい奥さんなんだから、スパルタクスが頑張って当然に見える。
演技力もあるけど、演技だけではない、うら若きスタイル良くピュアな乙女の魅力が、そこここに。
まだ、色んな種類のお客全員を、自分のソロに惹きつけるスキル(アレクサンドロワはそれが高い)を獲得するには至っていないが、それはキャストされ舞台に立てば、今後自然と身に着く筈。それよりも、この時期に、芸術性の高さと、本人の素に、まだ初々しさの残るヴァリューが光る。(これ以上にスターになったら、今の良さの一部は、失われてしまうかも、ニクーリナ。)
・敵役:ローマの将軍:クラッスス:バラノフ。
まずは、重量級プリマのアレクサンドロワを、リフト連発して破綻なく踊った労苦を、ねぎらいたい。
1幕でブラボーあったが、むしろ声援の無かった2幕以降の方が、良かった。
JAブログで確か「イケメンダンサーズ」の一人(?)扱いされてたような気がするが、そう言われてみると確かに、端正な男前系(甘い美男系でなく)かもね。(私のタイプではないんだけど、歴代のこの役の中では、ハンサムな方に入るのかもね。)
そんな、男前の若者が、なんで、こんな色気のない、おばさんのエギナ(アレクサンドロワのファンの人ごめんなさい。)と、情婦の関係に?!と見えてしまった。もう、途中から、
イケメン(?個人的には、イケメンとか、どうでもいいんだけど。)バラノフが、気の毒で気の毒で。
明らかに、群舞の方が、若くてかわいい女の子がいる。私がクラッスス将軍なら、迷わずあのコールドの女性から、よりどりみどりで愛妾を選ぶよ~んだ、と思って、可哀想で可哀想で。
好意的な観客も声援もあって、1幕の「劇」が、2幕以降「激」になってた、ドミトリチェンコのスパルタクスに対し、後半なかなか一筋縄ではいかないクラッススを好演していたが、観客のブラボーは、当然主役陣より少なく、バラノフが、がっかりしなきゃいいけど、と思った。
バラノフなりのクラッススになってて、シニカルな笑いを見せたり、ちょっとひねった役作りで良かったです。
それと、アレクサンドロワのエギナとの関係が薄いのが特徴。
・クラッスス将軍の愛妾・エギナ:アレクサンドロワ
これは、前回以前のボリショイ「スパルタクス」を見てる観客と、今回が初見の人とで、感想別れるのでは、と。
自分は、失望した。02年公演の、グラチョーワのエロダンスが、(褒めるわけではないが)、強烈で、今回のは、「物語の説明」にはなってるけど、エギナに色気が無く、(男性で、あのエギナを抱きたいと思う人いるか?と振れば、グラチョーワより、ステパネンコより、はるかに下だと思う。むしろ、こんな人を彼女にしてるクラッススが可哀想で。)色気を作って演技はしてるけど、にじみ出る色気が無いから。
キャリアからいっても、若手たちよりアピールのスキルだけは高いけど、マリア・オン・ステージ以上のものは、「物語の説明」以上の芸術性が見えない。
3幕の、エギナ大活躍のシーン、前回、あんなに興奮したシーンが、こんなにやせて見えるなんてと、目から鱗。
エギナの奸計で、スパルタクス義勇軍が、娼婦の退嬰的色香で、堕落し、ぐだぐだになるシーン。
これが、アレクサンドロワのエギナが、マスタベーションして悦に入ってるように演じていて、これは、違うでしょうって!
ここは、エギナは冷静で、自分が酔うのではなく、義勇軍の兵士を、エギナの退廃的色香出酔わせて骨抜きにするのであって、ここは、解釈が違いすぎる。
エギナが籠絡する、羊飼いの青年が、エギナに興奮してるようには、全然見えず、前回目のやり場に困ったのと、対照的だった。自分でいって、ど~すんですか、エギナさんってば!男性たちをいかせる役なのに。それと、あたかもボールダンスのような振付があって、前回ドッキリしたけど、そういうドッキリもないし。
彼女だけ身体がしならず、コールドよりも、ハチャトリアンの音楽が踊りから聞こえてこなくて、意外。
アレクサンドロワは、まだわかいのに、おばさんにみえたのは、元々、この役が、素よりぶさいくにみえがちな鬘をつけるせいとか、当時の時代考証で厚化粧気味とか、あるのでは?と思うけど、アップで見ると、若い二枚目バラノフと合わない。
アレクサンドロワを以前良いなと思ったのは、06年「バヤデルカ」全幕での、ガムザッティを、権力者の娘の傲慢さを前面に出さず、むしろ、優しくて幸せになりたい普通の女の子として演じた時。(相手のニキヤはザハロワの日。グラチョーワのニキヤの日のアレクサンドロワは、ごく普通の傲慢キャラのガムを演じた。)
あれから時は過ぎ、スター扱いされるようになって、彼女は変わったのだろうと、役作り見ると思うけど、彼女自身は元々は、普通の女の子系の人だったと思うから、そういう役作りの方が共感しやすい。
エギナ役の解釈は、悪女でもなく、生きていくために、必要性で何でもする女性。「それもあり」とは思うけど、他のダンサーの解釈に比べ、クラッススへの愛(?)が薄く、そこも、今までの人たちの方が結果としては面白かった。とても現代的なアレクサンドロワの解釈だけど、舞台見ると、それだけでは夢が無いのよね。
グラチョーワは、ダメな男のクラッススを「私の愛した貴方は、そんな男性ではありません!」と誇りと尊敬心を持って、叱責し、勝った時、心からクラッススに膝まづいた。
ステパネンコは、男のピンチに役に立つ、賢い女性のエギナで、その意味では共感できた。
辛口ですいません。
・オケ;本日の戦犯。
前日、ブログで褒めすぎました。足を引っ張る演奏あり。ま、公演が成功したからいっか。
コールド:女性の前の方の人たちに、うまいのがいる。
東京文化会館、ボリショイバレエ「スパルタクス」2夜目。
ホントに個人的で申し訳ないんだけど。感動した。
若者たちのドラマ。
・奴隷の長:英雄スパルタクス:ドミトリチェンコ。自分は感動できた。
ドラマティックなドミトリチェンコ。
(不足を挙げればきりないが、それはワッシーだって同じ)
1幕の、「剣奴との殺し合いの見せもの」という残酷なシーンの後は、(ムハメドフが誰も真似できない名演を残してるが)、ネガティブな感情よりも、楽しく心地よい事を求めたい、ポジティブな若者たちの思考回路がほの見えて、定番のムハメドフの苦渋の「スパルタクスのモノローグ」シーンよりも、その後の、絶望の状況から立ち上がって、希望を見るシーン、奴隷たちが皆で蜂起を決意し、コールドとドミトリチェンコが一斉にジャンプをするシーンで、このシーンの本質的な意味であるに違いない、「解放!」を感じる事ができた!音楽との一体感!
今日の一番の客観的な成果は、一つには、それかもしれない。
1幕では、明るい現代青年、それが、2幕で、かわいい妻への優しい顔、3幕で、頂点から転げ落ちる絶望の中の喪失感、そしてそこからもう一度決然と毅然と自分を奮い立たせて、最後のフリな戦いに挑んでゆく・・・。
演技派というより体当たりの等身大のスパルタクスで、過去のスパとは別の感動が。ニクーリナが可愛く、演技もあるので、3幕でスパルタクスが死んだ時は、泣いてしまった。(あほな自分)
2幕以降、ちょっと勢いに乗る性格のスパルタクスでもあり、ムハメドフ、クレフツォフ、ウラジーミル・ワシーリエフらの、度量と冷静さも兼ね備えた理想的英雄、端正な正統派と違って、ちょっと、日本の歴史ドラマに出てくる源義経みたいな、激するキャラのスパルタクス、とか思っても見た。その意味で絶大な支持を得る大物の英雄というより、一度は登った若者が、挫折を経験し、放心状態になる話にも見え、これもありか、と思って面白く見た。
ニクーリナ、じゃなかった、こんなに早くに夫に先立たれた妻フリーギア、一度は希望を持ち、解放を目指した若者が、頂点からたたき落とされ、無残な死体で仲間に抱かれる姿・・・。
・その最愛の妻:ニクーリナ。かわいい。繊細な踊り、繊細な演技。合同ガラの時より良かった。理想の妻。こ~んなかわいい奥さんなんだから、スパルタクスが頑張って当然に見える。
演技力もあるけど、演技だけではない、うら若きスタイル良くピュアな乙女の魅力が、そこここに。
まだ、色んな種類のお客全員を、自分のソロに惹きつけるスキル(アレクサンドロワはそれが高い)を獲得するには至っていないが、それはキャストされ舞台に立てば、今後自然と身に着く筈。それよりも、この時期に、芸術性の高さと、本人の素に、まだ初々しさの残るヴァリューが光る。(これ以上にスターになったら、今の良さの一部は、失われてしまうかも、ニクーリナ。)
・敵役:ローマの将軍:クラッスス:バラノフ。
まずは、重量級プリマのアレクサンドロワを、リフト連発して破綻なく踊った労苦を、ねぎらいたい。
1幕でブラボーあったが、むしろ声援の無かった2幕以降の方が、良かった。
JAブログで確か「イケメンダンサーズ」の一人(?)扱いされてたような気がするが、そう言われてみると確かに、端正な男前系(甘い美男系でなく)かもね。(私のタイプではないんだけど、歴代のこの役の中では、ハンサムな方に入るのかもね。)
そんな、男前の若者が、なんで、こんな色気のない、おばさんのエギナ(アレクサンドロワのファンの人ごめんなさい。)と、情婦の関係に?!と見えてしまった。もう、途中から、
イケメン(?個人的には、イケメンとか、どうでもいいんだけど。)バラノフが、気の毒で気の毒で。
明らかに、群舞の方が、若くてかわいい女の子がいる。私がクラッスス将軍なら、迷わずあのコールドの女性から、よりどりみどりで愛妾を選ぶよ~んだ、と思って、可哀想で可哀想で。
好意的な観客も声援もあって、1幕の「劇」が、2幕以降「激」になってた、ドミトリチェンコのスパルタクスに対し、後半なかなか一筋縄ではいかないクラッススを好演していたが、観客のブラボーは、当然主役陣より少なく、バラノフが、がっかりしなきゃいいけど、と思った。
バラノフなりのクラッススになってて、シニカルな笑いを見せたり、ちょっとひねった役作りで良かったです。
それと、アレクサンドロワのエギナとの関係が薄いのが特徴。
・クラッスス将軍の愛妾・エギナ:アレクサンドロワ
これは、前回以前のボリショイ「スパルタクス」を見てる観客と、今回が初見の人とで、感想別れるのでは、と。
自分は、失望した。02年公演の、グラチョーワのエロダンスが、(褒めるわけではないが)、強烈で、今回のは、「物語の説明」にはなってるけど、エギナに色気が無く、(男性で、あのエギナを抱きたいと思う人いるか?と振れば、グラチョーワより、ステパネンコより、はるかに下だと思う。むしろ、こんな人を彼女にしてるクラッススが可哀想で。)色気を作って演技はしてるけど、にじみ出る色気が無いから。
キャリアからいっても、若手たちよりアピールのスキルだけは高いけど、マリア・オン・ステージ以上のものは、「物語の説明」以上の芸術性が見えない。
3幕の、エギナ大活躍のシーン、前回、あんなに興奮したシーンが、こんなにやせて見えるなんてと、目から鱗。
エギナの奸計で、スパルタクス義勇軍が、娼婦の退嬰的色香で、堕落し、ぐだぐだになるシーン。
これが、アレクサンドロワのエギナが、マスタベーションして悦に入ってるように演じていて、これは、違うでしょうって!
ここは、エギナは冷静で、自分が酔うのではなく、義勇軍の兵士を、エギナの退廃的色香出酔わせて骨抜きにするのであって、ここは、解釈が違いすぎる。
エギナが籠絡する、羊飼いの青年が、エギナに興奮してるようには、全然見えず、前回目のやり場に困ったのと、対照的だった。自分でいって、ど~すんですか、エギナさんってば!男性たちをいかせる役なのに。それと、あたかもボールダンスのような振付があって、前回ドッキリしたけど、そういうドッキリもないし。
彼女だけ身体がしならず、コールドよりも、ハチャトリアンの音楽が踊りから聞こえてこなくて、意外。
アレクサンドロワは、まだわかいのに、おばさんにみえたのは、元々、この役が、素よりぶさいくにみえがちな鬘をつけるせいとか、当時の時代考証で厚化粧気味とか、あるのでは?と思うけど、アップで見ると、若い二枚目バラノフと合わない。
アレクサンドロワを以前良いなと思ったのは、06年「バヤデルカ」全幕での、ガムザッティを、権力者の娘の傲慢さを前面に出さず、むしろ、優しくて幸せになりたい普通の女の子として演じた時。(相手のニキヤはザハロワの日。グラチョーワのニキヤの日のアレクサンドロワは、ごく普通の傲慢キャラのガムを演じた。)
あれから時は過ぎ、スター扱いされるようになって、彼女は変わったのだろうと、役作り見ると思うけど、彼女自身は元々は、普通の女の子系の人だったと思うから、そういう役作りの方が共感しやすい。
エギナ役の解釈は、悪女でもなく、生きていくために、必要性で何でもする女性。「それもあり」とは思うけど、他のダンサーの解釈に比べ、クラッススへの愛(?)が薄く、そこも、今までの人たちの方が結果としては面白かった。とても現代的なアレクサンドロワの解釈だけど、舞台見ると、それだけでは夢が無いのよね。
グラチョーワは、ダメな男のクラッススを「私の愛した貴方は、そんな男性ではありません!」と誇りと尊敬心を持って、叱責し、勝った時、心からクラッススに膝まづいた。
ステパネンコは、男のピンチに役に立つ、賢い女性のエギナで、その意味では共感できた。
辛口ですいません。
・オケ;本日の戦犯。
前日、ブログで褒めすぎました。足を引っ張る演奏あり。ま、公演が成功したからいっか。
コールド:女性の前の方の人たちに、うまいのがいる。