想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

首痛し

2010-09-04 23:13:29 | 親分
写真と全然関係ない話。
まず、昨日の歌、題名が判明しました。
wildflower のサビの部分、現在ヒット中のsuperflyの歌。
テレビドラマの主題歌だとか、見ないからわからなかった。

superflyのボーカルの女の人はジャニス・ジョップリンのカバー
してるけど、な~、な~、本家を知ってるとな~。
若いな~、渋くないな~、と思いまして本家のCDを久々に
朝っぱらから聴いた。

朝からでも Piece of My Heart はやはりジャニスの歌がいい。
若い人が昔の歌をカバーしたり、ファッションを真似たり、
小説を読んで真似たり、いろいろ真似てもいいと思います。
けれど、真似たのは、味が薄い。

なんだか、違うなあと思うのは薄味だからですな。
エンケン、遠藤賢司は純粋音楽家と名乗っておられますが、
そう言えるだけのモノがあって、その堂々たる揺るぎない態度
がカレーライスを今も古く思わせない音楽の力なんだな。
追記: そういえば、薄ーいのが流行る、そのことを清志郎が
モンキービジネスって揶揄して歌ってたこと思い出した。
ホンモノに興味ある人はYouTubeで聴ける。
http://www.youtube.com/watch?v=TwYkgBqd1uQ
とりあえず、これ。kozmic blues,
冒頭の歌や最近のを、薄ーいと言った意味がわかるかも。


実は首が回せない。首が痛くて、右向け右ができなくなって
温かシートで保温したり色々やってるけど、まだ治らない。
よって、頭もあまり回りませぬなあ。
そういう日は薄味で、ササッとすますしかないのに、
本日もそう薄くもない日であった。

追記/親分は一昨日かかりつけ医に行き、血液検査合格でした。
合格って何やねん、って異常なしってことで、嬉しい限りです。
なにせ薬を飲みつづけているもので、肝臓やら腎臓やら内臓が
悲鳴をあげていないかを案じて、血液検査をするのです。

若い担当の医師は「あんた、若いなー、おー、13歳かー、
ほんとかー」となで回しながら言ってました。
なんだか嬉しそうでした。
長生きするぞーっとお尻を叩いてくれました。
ひさびさ、診察室が笑いでいっぱいでした。
皆さんの愛情いっぱいいただいてるお陰です。
アザーッス。
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たくましく

2010-09-03 09:39:52 | Weblog
たくましく、ひたむきな、~と歌声が聴こえてくるなうJ-WAVE。
なんという歌か知らないが、胸を打つほどではないが、歌詞と
このコブチャの、汚れたデカイからだでこちらをジッと睨む目が
このタイミングでシンクロしている。

知人が亡くなった報を聞いた昨日、夜から朝へ時が過ぎたが。
たくましく生きなかった人、昨日の夕暮れの光、そして今朝の
まばゆい朝陽はもう見えないのか‥。

生きることは、光を見いだすことであると思う。
闇に迷っているとき、光がないのではなく光を忘れていた。
光など、思ったこともなかった。
薄暗く、漆黒でもなく、ただじめじめとしたところを歩く心地を
今も忘れてはいない。

わたしは、生きる力をカメに教えていただいて、それ以上の
さまざまなことを合わせて知ってきたのだが、もっとも重要なのは
生きよ、と示され、その理由がわかったことである。
それを知るとき、光は降ってくる。
からだじゅうをとりまく、光の束がある朝突然みえてくる。
オカルティズムではなく、ほんとうに目が悪かったんじゃないかと
思うくらい、見えていなかった陽光がそこにあるのである。

人の五管をマイナス思考の五感が鈍らせてしまう。
光が見えたからと言って霊能でもなんでもない、感じて正常だ。
人は光を感じていてあたりまえだから、ことさらに意識しない、それが
健康である。そうやって光を受けて一日、一日、生きていられる。
それを意識できることが単に息をしているではなく活きることにつながる。
感じて感謝することができる。

死はひとつの境である。
この境を越えるのは生きているときに思うほど簡単ではない。
いや、生きているときにはわからないのであるからしかたがない。
旧事本紀の第三巻陰陽本紀、第四巻黄泉本紀、第四三巻経教本紀
は死を教える巻である。いにしえの人はそれを知って、伝えている。

まだこの世につながっている時なら人はそれを学び、越えて先へ旅立つことができる。
学び方は人それぞれ、学ぶ段階もそれぞれ、けれども知らなければ行くことが
できない。金持ちもビンボー人も学者も役人も蕎麦屋の出前持ちもコギャルも
人みな等しい定めである。
学んできたことの中でこれが最も重要なことのような気がする。
なにせ、かつてわたしは長いあいだ、死にたがる子であったから。

だから「ご冥福を祈ります」という言葉だけで片付けられないのが、本心での
死者を悼む気持ちである。


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本日も変わりなく

2010-09-01 15:44:16 | Weblog
あれ、誰かくるよ、おっかー、誰かいるぜよー。



へへへ、まつがえましたでござる、へへへへ。
なんかちょうだい、でござる、へへへへ。
あんたはそんなことばっかだね、おばかだね、おんなじだわさ。
親子だけんね、しようがないね。


今朝は東京。
でも小川で遊ぶベイビーの写真を見ていると瞬間、森の風が
吹いたようなここちだ。気持ちいい。

散歩しながら樹々を眺める。
なにげなく過ごしているようで、目に飛び込んでくるものがあって
同じ道を飽きずに歩く。同じような時間に。
小さい秋はもうみつけたので(昨日の写真ね)中くらいの秋も
そのうち出会うだろう。


東京も、早朝の日射しが少しやわらいできて歩きやすくなってきた。
日中の猛暑はあいかわらずだが、季節の変化は朝にわかりやすい。
いつもより少し遅れて散歩に出たら、学校へ向かう子ども達に出会った。
そうか、新学期が始まったんだな。

新学期といえば、そうそう、新しいことあります。
ここでカメカメとわたしが軽々しく書いている御方はカメではなく人です。
そんなこたあ、わかっとるよと言われるでしょうが…念のため。
どういう人なのかも、そんなこたあ、もうとっくに知れてるよ、と
おっしゃるでしょうが、念のため。
カメカメと馴れ馴れしく書いてて本音を言えば気がとがめなくも
ないのであります。
いつかカメの所以を説明しようしようと思いつつ、いや、ねずみ師
の時は書けたのに、なぜカメなら由来を書かないのか、そこんとこ
はさすがにバラせない‥、あれこれと躊躇しているうちに、うさこ、
あんたはいいからカメの話をもっと書けとコメされること多々。

このサイト、地味でしょ?
地味を言い換えると、シブイとかシックchicとか、スタイリッシュ
とか、ソフィスティケイティッドとかいう。
言えば言うほど離れる気もしないではないけど、いいんです。
旧事本紀研究会on web が、カメに会いたかった人、知りたかった
人に少しでもお役に立てればと思います。
独り占めしてるまに、「人生明日のことはわからない~」ですから。
先生のサイトは今クローズされてますが、再開されたらリンクして
また、「ふるごとじゅく」のパスワードもご連絡します。
うさこが管理人ですから、ぼちぼちで、そこんとこ、ご容赦下さい。

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