(ぬかりはない、我らは見逃さない!by親分)
『吾郎さんが亡くなられたのでは、あなたが本気であるような
そうでないような思いつきをされた時に……センチメンタルな
ことはせぬようにというてくださるお友達はおられぬでしょう。』
(大江健三郎著「憂い顔の童子」p16より)
センチメンタルなこと、そう大江氏に言ったのは亡き伊丹十三監督
のようだ。この一連の小説は伊丹十三が自殺というおもいがけない
最期を選んだ日から数年後に書かれた(「取り替え子」~)。
小説はフィクションであるが、真実伝えたいことは事実を織り
混ぜながら綾のように創られた作品、見えてくるのは生きるとは
いったいどういうことなのか。書く人にとって読むとはどんな意味
を持つかというテーマでもあるが。
この混沌と汚れた世界に美しさと喜びを見出す力があることを
信じている作家の言葉。
それを折に触れて示唆する友人であり兄である吾郎、その友にふいうち
に先立たれた作家の迷いと苦悩。
書くことによってふたたび光を見出そう、つかみ出そうとする。
その懸命さは、同じように二十年前のわたしに
「センチメンタルなことはせぬように」と叱咤してくれたわが師との
日々を思い出させる。
センチメンタルなこと! と死んでしまおうかという弱い気持ちを
打ち砕いてくれたわが師との出会いは人生の奇跡!(大袈裟ではなく)
だった。
(抜かりはない、まあいいかってこともない。byシマコ)
奇跡は奇跡を呼ぶのであって、わたしの周囲には今、生きる力を
教えてくれる者がいて、その賢さと勇敢さと、そして朗らかな感覚に
日々を救われているんである。
『吾郎さんが亡くなられたのでは、あなたが本気であるような
そうでないような思いつきをされた時に……センチメンタルな
ことはせぬようにというてくださるお友達はおられぬでしょう。』
(大江健三郎著「憂い顔の童子」p16より)
センチメンタルなこと、そう大江氏に言ったのは亡き伊丹十三監督
のようだ。この一連の小説は伊丹十三が自殺というおもいがけない
最期を選んだ日から数年後に書かれた(「取り替え子」~)。
小説はフィクションであるが、真実伝えたいことは事実を織り
混ぜながら綾のように創られた作品、見えてくるのは生きるとは
いったいどういうことなのか。書く人にとって読むとはどんな意味
を持つかというテーマでもあるが。
この混沌と汚れた世界に美しさと喜びを見出す力があることを
信じている作家の言葉。
それを折に触れて示唆する友人であり兄である吾郎、その友にふいうち
に先立たれた作家の迷いと苦悩。
書くことによってふたたび光を見出そう、つかみ出そうとする。
その懸命さは、同じように二十年前のわたしに
「センチメンタルなことはせぬように」と叱咤してくれたわが師との
日々を思い出させる。
センチメンタルなこと! と死んでしまおうかという弱い気持ちを
打ち砕いてくれたわが師との出会いは人生の奇跡!(大袈裟ではなく)
だった。
(抜かりはない、まあいいかってこともない。byシマコ)
奇跡は奇跡を呼ぶのであって、わたしの周囲には今、生きる力を
教えてくれる者がいて、その賢さと勇敢さと、そして朗らかな感覚に
日々を救われているんである。