想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

センチメンタルなことはせぬように、と…

2009-02-08 13:15:08 | 
      (ぬかりはない、我らは見逃さない!by親分)

 『吾郎さんが亡くなられたのでは、あなたが本気であるような
そうでないような思いつきをされた時に……センチメンタルな
 ことはせぬようにというてくださるお友達はおられぬでしょう。』
          (大江健三郎著「憂い顔の童子」p16より)

 センチメンタルなこと、そう大江氏に言ったのは亡き伊丹十三監督
 のようだ。この一連の小説は伊丹十三が自殺というおもいがけない
 最期を選んだ日から数年後に書かれた(「取り替え子」~)。

 小説はフィクションであるが、真実伝えたいことは事実を織り
 混ぜながら綾のように創られた作品、見えてくるのは生きるとは
 いったいどういうことなのか。書く人にとって読むとはどんな意味
 を持つかというテーマでもあるが。

 この混沌と汚れた世界に美しさと喜びを見出す力があることを
 信じている作家の言葉。
 それを折に触れて示唆する友人であり兄である吾郎、その友にふいうち
 に先立たれた作家の迷いと苦悩。
 書くことによってふたたび光を見出そう、つかみ出そうとする。
 その懸命さは、同じように二十年前のわたしに
 「センチメンタルなことはせぬように」と叱咤してくれたわが師との
 日々を思い出させる。

 センチメンタルなこと! と死んでしまおうかという弱い気持ちを
 打ち砕いてくれたわが師との出会いは人生の奇跡!(大袈裟ではなく)
 だった。


      (抜かりはない、まあいいかってこともない。byシマコ)

 奇跡は奇跡を呼ぶのであって、わたしの周囲には今、生きる力を
 教えてくれる者がいて、その賢さと勇敢さと、そして朗らかな感覚に
 日々を救われているんである。

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