想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

sayonara

2010-01-26 10:03:54 | Weblog
人はいつか死ぬとわかっているはず。
なのに突然やってくる別れにはどうしようもなく打ちのめされてしまう。
浅川マキさんが亡くなって数日が経って、古いレコードを取り出して
夜のあいだずっと聴いていた。数時間、あっというま。

どうして涙があふれるのかと考えた。
感動させられるのは常なのが浅川マキの歌声なんだけど、今宵の涙は
それと同じなんだろうか、と。
まったく知己でもないわたしさえそうだから、そういえば渋谷毅さんは
どうしていらっしゃるのだろうかとふと思った。

最期になった名古屋のライブでやっぱり渋谷さんはマキさんと一緒だった。
渋谷さんのピアノ、セシルモンローのドラム、三人での公演だったことを
渋谷さんのブログで知った。
「どうしようもなくただ悲しい」と書かれていた。

別れはゆっくりと、しずかに、夕暮れから闇へ移り変わっていくように、
それをじっと眺めているときみたいに、そんなふうなさよならを言いたい。
できれば、ふいにではなくそっと見守って別れたい。
突然さよならは、悲しすぎる。
もちろん、いつだって死は残る人にとっては突然なのだけれど、
ベッドの脇で見守っていたって死ぬ瞬間まで、願って祈っているときは
その時間が少しでも引き延ばされるように思わないときはないだろうから。
わかっていても悲しいことは悲しい。
だから、せめて突然ではないようにと願ってしまう。

心配性のわたしは、いつでも死に別れる覚悟をして生きているのであるが
覚悟って言ってもカクゴなんだかどうだか。



大事な人と、ゆっくりと別れを確かめて死ねるような、
そんな生き方をしよう。神様が決めることだからな、よしよししょうがないなと
許してもらえるように生きていこう。
浅川マキ、愛のかたまりのような歌声。
ああ、愛って言うと陳腐になるなあ、命って言ってもおんなじだ、声って
すごいなあ。言霊と音魂。やっぱりマキさんの愛だ。

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