想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

かくすなかれ

2018-02-06 08:54:53 | Weblog
この母娘は正直です。が、猫がいつも
正直とはかぎらない。
そのたくみな演技力に踊らされて
縁側を行ったり来たりしてしまう。

そもそもが正直とか嘘つきとは人の世
だけのことであって、自然界の他の
いきものたちはみな、その本能の
おもむくまま、まっすぐ命を燃やし
命を尽くし、自然に還っていく。

旧事本紀ではこの自然を「地」と表し、
そのはたらきを地神という。
つまりいきものの命は地神のなかに
あり、そして命が尽きれば還る。
それはヒトも同じではないかと思って
いるムキもあるが、そうではない。

話は戻って、猫は正直も正直、素直
このうえないが、正直とは限らない
という私の言い分は、ヒトの都合な
わけである。
騙したわけでなし〜
騙されたアンタがおバカさん〜と
いうこと。
毎度毎度そうやって、甘い顔になり
ミルクやらチュルチュルをごちそうし、
ささやかな幸せを感じたりしている。
その後、猫はさっさと居なくなる。
そうだったか、とがっかりする。
これを懲りもせずくりかえしている。

それにしても、猫のことはわからない。
犬とは話せたが、猫とは話せない。
勝手にこちらが喜んだり心配したり
しているだけの関係。
少しさみしい……いや、そんなことは
ない。
そのほうが気楽であると悟った。



ヒトにも猫のような者がいる。
みかけないなあと思っていると
ひょっこり現れる。そしてどこに
言ったかなど言わないで当たり前の
ように目の前に座るのである。


やあ、しばらく、この前はねえ、
と親しく尾っぽ振り振りスリスリ
してくる犬のような態度のヒトも
いて、どっちもどっちである。
犬猫なみに自由なふるまいをして
ヒトなのだから。



犬か猫か、それならまあわかる。
カワウソとか、ムジナとかだと
どうしようもなく部屋を明け渡す
はめになりそうだ。

この頃は、よその犬をみても
ああ、犬といっしょはいいなあとは
思うが、それ以上は思わない。
種は同じでも唯一無二の相棒と
同じ存在になるとは限らない。
まあムリだろうと思う。
愛はそうかんたんに手に入らない。

猫にちゅるちゅるを見せて
仲良くしてもらって、まあ、少し
しあわせ、というくらいがちょうど
いいのである。

かくすなかれ、とタイトルを
つけたのに、なんのことはない話を
だらだら書いていることに気づいた。
正直から始めて逸れてしまった。

では、何に正直であるべきか。
それは善に対してである。
善はかくすなかれ! ということ。

ヒトは良さそうなことを言いながら
その裏に己の欲を隠していることが
ままある。偽善である。

善はかくすなかれ。本当の善ならば。
欲もかくすなかれ。それが実ならば。
明らかになればこそ、
そこから
始まる。

話を逸らし、問いに答えない国会答弁
が毎日続いていても、国は回っている。
そう思うのは間違い。
思わされもし、思いたくもあろうが。

がらんがらんと音をたてて
どこへ向かっているのだろうか。
確かなのは、善からは遠ざかっていく
ということ。

善はそもそもの始まり。
日々人が勝手にしている神だのみの、
神の心の本質は、善にほかならず
その善は悪という対立が生じる以前の
純粋の善である。

純善はあまりに高望みというなら
せめて悪に対しては善を建てる。
そのくらいのことをして人といえる
のではないか。
地ではなく人の還るべきは
天なのだから。
(第四十巻 神教経)



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