想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

生きたいという意欲

2015-07-29 18:43:27 | Weblog

「人間に踏まれた虫が生きたいと祈る、
五歳で初めて書いた詩を回想しての
「生きたいという意欲は一番大事な原始的な
力です。何よりも尊い」
そう語るアウシュビッツの墓標を背負う
ユダヤ人作家アモス・オズ(イスラエル)
大江健三郎との往復書簡の中に、次のように
始まるアモスの手紙があった。

『飼育』の中で、義肢の書記は主人公の
少年にいいました。
《戦争も、こうなるとひどいものだな。
子どもの指まで叩きつぶす。》
「こうなると」とはどういうことでしょう。

アウシュビッツの墓標なき犠牲を背負い
続けている作家が、止むことなきパレスチナ
紛争の祖国を憂いながらも、非武装を否定
する立場で、非戦の誓いと平和を希求する
大江健三郎と、人類はいかにして敵と対峙し
闘えばいいのかを論じ合った。
忍耐、寛容、そうしたことのさらに先に
何があるか。希望はあるか。

そして、アモスは最後にこう結んでいる。

「ユーモアこそ救いをもたらすものと
信じています。己自身を笑える者は、
すでに狂信主義者ではありません。
ユーモアのセンスは相対主義を内包して
います。」



今日、どうしても見ておきたかった
国会参議院の山本太郎議員の質疑を見て
この往復書簡の言葉を思い出していた。

相対的視点が完全に欠落し狂信主義に
陥っている政府を、立て板に水の勢いの
滑舌で攻め立てた山本議員の言葉は端々に
刺というより、なんだかユーモラスな間が
あって、皮肉というよりも真実ゆえの
おかしみがあった。
だから、凝縮された重大な質疑が映像で
みるようにわかりやすくこちら側に伝わり
もちろん、国会議事堂内の議員たちにも
答弁席の政府要人にも、真に迫っただろう。
最初、うすら笑いを浮かべていた総理や
そばの大臣の顔色がだんだんと変わった。

意図せずして、事実に対して正直であれば
あるほど、真摯であればあるほど、人間の
やる現実は、実はおもしろおかしいものだ。
激すればするほど、おかしい。
嘘をつけばつくほど、崩壊が露呈していく。

凝りにこった論理の展開をしたように見えて
実は、山本太郎は本当のことを言ったまでだ。
多くの人が胸を撫で下ろし共感し、よくやった、
もっと言ってくれとテレビの前で思ったので
はなかろうか。



本当のことを歪曲し、ねつ造する。
それは戦前の大本営がやったことである。
彼らが狂信した神は、彼らが造った。
けれど、多くの国民が神風がいつか吹いて
日本は必ず勝つのだと思っていたという。
でも、それをじっと静かに見つめていた
別の目は、負けるなあ、と思っていただろう。
ユーモアの入る余地のない暴力の嵐の中で
口をつぐんでいただけだ。

わたしたちは、ほんとのことを見て、
ほんとのことを言えるようになった。
非武装で、国民主権の国を持ったのだから
狂信主義の安倍政権に、自分を映す鏡を
プレゼントしなければならない。
生きたいという意欲を邪魔させないように。















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