想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

曇っているのは鏡か、心か。

2010-05-17 23:52:50 | Weblog
処世術から生じてくる言葉は脳みそのはたらきである。
気持ちがそのまま言葉になるのが心のはたらきである。
ここんとこがよく「わかんなーい」人はざっくりとした話しかしない。

情緒がないなあ、しみじみ。
都合だけ思ってオシマイ、はい出来上がり?
それでなにがいいんだろうか。
なにがありがたいんだろうか。
ありがとうございます、お辞儀ばっかりしてる人。
「おじぎいっちょう、ナシつけた」と歌った人がいた。




心が痛いととからだが傷む。
他人の心はどうでもいい、まず自分のこころがわからないといけない。
でも他人ばかり気にしているから自分のことは棚上げだ。
棚上げだから埃まみれ、カビが生えてるんだけど気にしない。
見えないからである。

気になる他者に自分が映る。
外界でいろいろ不都合やらラッキーやら起きる。ほぼぜんぶ映っている。
そこに映ったことをどう解釈するか。
つまりどう見えているかで自分の正しさ加減を判断する。
安心が大事、だいじょうぶかどうか、判断基準はとりあえずそれのみ‥。
結果さえ見ようとしない思い込み。リスクマネジメント無し。めくらへびおじず。
「に」省いたほうがぴったりだ。



不満ばかり抱いているほうがまだましかもしれん。
まだ欠けたものを探すという未来の余白がある分、幸せなんじゃないかなあ。

こころはごはんをたべません、からだはごはんがひつようで、ごはんを食べます。
くるしくなるほど食べたりしますと、こころを意識できなくなります。
あとで、あとで、と言いながら楽々寝てしまい、もう考えません。
おなかがいっぱいで、かみさまから遠のいています。
こころはかみさまへの入り口、いまちゃんと開いているか? 
そうカメが講演で話していた声が、リフレインしている今夜。

わかっていることが、なかなか出来ない。人間って賢き生きものではないことは
知っているけど、なあ、しみじみ、さみしいことよなあ。
な、親分。君はいっつもおんなじだねえ、まっすぐに生きるしかないという姿。
コメント
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