Que ma vie est belle!

私とは、美しいもの、美味しいもの、楽しいものの集合体。

Kenwood House

2007-09-24 18:16:07 | ロンドン

ベルギーに伺ったときに再会した英国人の同僚から、Hampsteadが良いところだと聞いた。また、英国に住んだ経験のある日本人の同僚から、Kenwood Houseがお勧め、と聞いていたので、ちょっと地図で見てみると、Paddingtonから歩けない距離ではない、と感じた。そこで、先週の食べすぎ+土曜日に友人が遊びに来てくれてまた食べすぎてしまったので、それを解消すべく、散歩がてらKenwood Houseへ行ってみることにした。

地図とにらめっこしながら、Hampsteadへ。最後はかなり急で長い坂。運動不足の体には丁度良い。HampsteadからKenwood Houseまでまた暫くある。公園の中は道が良く分からないので、行きは幹線道路沿いに歩いてみた。

Kenwood Houseの入場は無料であるが、中には何と、フェルメール、レンブラント、ターナーの作品が収められているのである!今日はフェルメールと対話してみることにした。The Guitar Playerという作品は、ギター(確かに6弦くらいに見えるが、ホールなどはリュートみたい)を弾く少女の絵なのだが、明らかに少女は誰かと会話をしている。フェルメールの絵には何時も動きがある。そして、画面に居ない誰かの存在を確信させられる。この決して回答が得られない不思議な物語性に私達は魅かれてしまうのだろうか。

絵としては、少女の腕がとても美しい。女性らしい、柔らかな線、その柔らかであるはずの肉質が見事に現れている。前回のレンブラントもそうだが、どうしてこの「質感」があらわせるのだろうか。フェルメールの絵は、レンブラントよりさらに大まかな色塗りである。私の感覚としては、動きもあるからか、アニメーションのセル画を思い出す。そのくらい大雑把な色の塗りわけだ。特にドレス、また楽器のフレットを押さえる左手の指などは、セル画そのものに思える。それなのに、約2m離れて椅子に腰掛けて絵を見ると、そんなことは気にならず、ただ美しい若い女性の腕と指に見えるのである。

彼女は誰と、何を話していたのか?

レンブラントは1660年代と思われる、晩年の自画像である。やっぱり若い、おそらく仕事も生活も全てがうまく行っていて、我が世の春を謳歌していた頃の絵のほうが好きだと思う。でも、好みなんていつ変わるか分からない。今度来るときには、この絵のほうが好きになっているだろうか?

Kenwood Houseの正面の広々とした芝生の上で、持参のサンドイッチランチ。昨日友人が来るからと購入したPoilaneの胡桃のライ麦パンにカマンベールと友人が持ってきてくれたドライトマトを挟んできた。やっぱり芝生の上で池に飛び交う水鳥を見ながらいただくランチは気持ちよい。帰りは凡そ場所も分かったので、公園の中を歩く。本当に森の中を歩いている感じ。遠くにCentral Londonが見える。少しかすんでいるが、クリアに晴れた日はかなり綺麗に見えることだろう。Paddingtonから歩いて1時間強でこんなところに来られるなんて、Londonっていいなぁ。HampsteadからPaddingtonへは基本的に下り。また一度歩いた道なので、迷うことも無くさくさく歩くことができた。足がちょっと痛いけれど、良い運動と素晴らしい芸術鑑賞だった。


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