Que ma vie est belle!

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トリスタンとイゾルデ@ベルリンオペラ

2011-04-03 16:00:00 | オペラ
ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」をベルリンオペラで観た。会場が、ちょっと寂しい。緞帳ではなく、カーテンが左右に「きい、きい」と言いながら開いたときには、小学校の講堂か?と思わず笑ってしまった。

演出が現代的で、舞台が一体どういう場面なのかが理解できない(普通の家の応接間のようなのだがーキッチンや洗面所、寝室も舞台の奥にある)。原作がどのように置き換えられたのかー結局最後までよくわからなかった。パンクみたいなお兄ちゃん、裸の男女、妊婦、いろいろ出てくるのだけれど、その意味もよくわからない。妊婦は、トリスタンを身ごもっていた時のトリスタンの母親なのだろうか。しかし、それほど悲壮な感じはない。

劇中を通じて、棺桶が常に舞台のどこかに置かれていた。一幕目は応接室のテーブルが棺桶で、一幕目の最後、ここだけにライトが当る。これは昔東京文化会館でみたローエングリンの第二幕の最後のシーンを思い起こさせた。このオペラに通底する「死」の象徴なのだろうけれど、ちょっと直截的すぎませんか?

第三幕目、最初の場面はちょっとつまらないから、寝るかも~なんて話をしながら演奏に入る。トリスタンが一人一生懸命歌う、歌う。寝なかったけれど、起伏に欠けることはやむを得まい。歌手の問題というよりは、元々の台本の問題だろう。

トリスタンの死が、ちょっと不思議。イゾルデの腕の中で死を迎えると思っていたのだけれど、舞台裏(袖、ではなく裏)側に一人消えてゆく。最後に現れたイゾルデ、髪が金髪だ。原作はこのイゾルデは「金髪のイゾルデ」なのだから、最初赤毛だったことが不思議なのだがーなぜ?

有名な「愛の死」で幕。ふと友人をみると、笑っている!どうしたの?どうだった?と聞くと、「やっぱりワーグナーって最後の5分だね」という。彼曰く、ワーグナーのオペラを観に来る度、途中までは「ああ、なんでこんなもの観に来ちゃったんだろう(特に会場の椅子が安楽でないと)」と思うのだけれど、どこかに5分か10分、素晴らしい場面があって、それを観ると「ああ、観に来て良かった、流石ワーグナー」と思うのだそうだ。

私はと言えば、そう、その最後の5分、心が揺さぶられて(決して今日のソプラノが良かった訳ではない。心の中で別のー理想のーソプラノを聴いていた自分に気がついている)、そんな友人の話を聞きながら、涙が頬を伝ってしまった。


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