今日のロンドンは夏を思わせるような朝だった。空気はひんやりとしているのだけれど、日差しがこれから暑いくらいに気温が上がることを告げていた。会社の桜の蕾も、まるで目に見えるような速度で膨らんでゆく。
こんな日は家に帰ってしまうのがもったいないーしかも、今日はなんとなく良い演奏会があるような気がして、ネットでチェックすると、マリス・ヤンソンスとバイエルン放送交響楽団の演奏会が。ピアノは内田光子。最初は車いす席しか残っていなかったが、午後になって少々高いけれどピアノの鍵盤がしっかり見えそうな良い席に空きが出たのでチケットを購入。
今、中堅、に分類されるであろう年齢の指揮者の中では一番のお気に入り、マリス・ヤンソンス。1曲目は内田光子のピアノでベートーベンのピアノ協奏曲第3番。聴いていてなんだかシューベルトを思い出していた(本当はモーツアルトを思い出すべきなのだけれどー特に第1楽章は)。昔、サントリーホールで内田光子の弾くシューベルトの最後のソナタを聴いて、公衆の面前にも関わらず大泣きしたことがあったわ、なんて。
いつも舞台の上の内田光子はまるで妖精のようだと思う。ただ、あの前屈運動のようなお辞儀は。。。尤も、それも可愛らしい、とイギリス人の目には映るのかもしれないが。
後半はリヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」。彼が過去の作曲した曲があちらこちらに散りばめられている。「死と変容」は生まれて初めて買ったCD(LPを自分で購入したなんて、もう化石かしら?)だったなあ、などと、思ったり、直接の引用はないようだけれど、ケルンで聴いたGustavoの「アルプス交響曲」を思い出したり。
これだけ大編成の曲で、しかも指揮者が良いとなると、本当はこういうお高い席より、コーラス席からヤンソンスを眺めながら演奏を聴く方が楽しいんだけれど。約45分といわれる演奏時間が、あっという間に過ぎてしまって、最後は「え、もうお終い?」。なぜかアンコールの直前に内田光子が舞台上に現れた、と思ったらアンコールの演奏が始まり、彼女は舞台の端に体育座り。彼女らしい。
良い演奏会だった。最近歳のせいか、音楽を聴くと涙腺が緩くなりがちである。
こんな日は家に帰ってしまうのがもったいないーしかも、今日はなんとなく良い演奏会があるような気がして、ネットでチェックすると、マリス・ヤンソンスとバイエルン放送交響楽団の演奏会が。ピアノは内田光子。最初は車いす席しか残っていなかったが、午後になって少々高いけれどピアノの鍵盤がしっかり見えそうな良い席に空きが出たのでチケットを購入。
今、中堅、に分類されるであろう年齢の指揮者の中では一番のお気に入り、マリス・ヤンソンス。1曲目は内田光子のピアノでベートーベンのピアノ協奏曲第3番。聴いていてなんだかシューベルトを思い出していた(本当はモーツアルトを思い出すべきなのだけれどー特に第1楽章は)。昔、サントリーホールで内田光子の弾くシューベルトの最後のソナタを聴いて、公衆の面前にも関わらず大泣きしたことがあったわ、なんて。
いつも舞台の上の内田光子はまるで妖精のようだと思う。ただ、あの前屈運動のようなお辞儀は。。。尤も、それも可愛らしい、とイギリス人の目には映るのかもしれないが。
後半はリヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」。彼が過去の作曲した曲があちらこちらに散りばめられている。「死と変容」は生まれて初めて買ったCD(LPを自分で購入したなんて、もう化石かしら?)だったなあ、などと、思ったり、直接の引用はないようだけれど、ケルンで聴いたGustavoの「アルプス交響曲」を思い出したり。
これだけ大編成の曲で、しかも指揮者が良いとなると、本当はこういうお高い席より、コーラス席からヤンソンスを眺めながら演奏を聴く方が楽しいんだけれど。約45分といわれる演奏時間が、あっという間に過ぎてしまって、最後は「え、もうお終い?」。なぜかアンコールの直前に内田光子が舞台上に現れた、と思ったらアンコールの演奏が始まり、彼女は舞台の端に体育座り。彼女らしい。
良い演奏会だった。最近歳のせいか、音楽を聴くと涙腺が緩くなりがちである。