ゆめひこう 

日々の思いを

祈りのレッスン

2014-08-27 11:25:55 | カトリック
今週の講座は、いつもの部屋ではなく聖堂だったので、祈りを中心にお話されることになりました。

聖堂での講座は確か3回目、祈りがだんだん身についてゆく予感・・・

レクチィオ・ディヴィナの方法です。

まず、呼吸から。

深くゆっくりした呼吸で、

吸うときに「主」と神の力をいただく

吐くときに「イエス」と心の中の古いものを出す。

今日はヨハネの1章を読みました。

ヨハネの弟子が、イエスについてきなさいと言われるところです。

「どこにお泊りですか」

「来なさい、そうすれば分かる」

神父様はこれが究極の聖書のテーマといえますと。

イエスがどこにおられるか・・・。

「黙想をしてイエスがどこにおられるか感じてみましょう」


そのときです

「イエス様はご聖体の中におられるのにきまってるでしょ!」

聖堂に大きな声がしました。

50人以上いた人たちは、驚いて顔をあげました。

「あの御聖櫃の中ですよあそこにしかいません」

神父様はもちろんですよ。

もちろんご聖体はイエス様です。

でも、私たちの身近にもおられるのです。

誠実に答えらる神父様の様子に、びっくりした気持ちも、ドキドキも治まっていきました。

若い女性が

「幼い子供がいて、悲しそうで、イエス様がそこにおられました。

虐待を受けているような感じがしました」とイメージを話されました。

私は雑念が入って、イエス様をイメージできなかったので、落ち込みました。

ほかにも、3人ほど、お話をされて、また黙想して・・・。



後半の聖書を読んで、

今までの記憶をたどって、どんな時にイエス様と会うことができたか思い出してみましょう。

先ほどと同じ女性の大きな声が、

「イエス様は死なないと会えません。天国に行ってから会えるのです。

 だから死ぬのが怖くないんじゃないですか」



そんなことはありません。マザーテレサは、行き倒れの人の中にキリストを見たのですよ。

だから生涯をささげて、インドで活動したのです。


「私だって、ホームレスが気の毒だと思うから支援の活動をしています」


活動は大切なことです。

支援の活動をどういう目線でするかも、大事なことです。


私もイエス様がすぐ近くにおられると、思ったことがあります。

マリア様が助けてくださったと思ったこともありました。

だからすぐ近くにおられると思います。


神父様が静かに対応してくださったので、落ち着いて祈ることができました。

でも、なんだか疲れました"(-""-)"


帰宅してから、以前読んだ本をもう一度読み直してみたら、

前より、納得がゆきました。

繰り返し読むことも大切ですね。



                


                

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
正論では? (remitte nobis peccata nostra)
2014-09-02 13:18:56
+Ave Maria!

お祈りのレッスンをなさっておられるとのこと、
熱心なご信心、感服いたしました。
私など、御聖堂で跪いてロザリオを
唱えるのがやっとです。

ゆめひこうさんが驚かれたという女性の発言について
違った視点から少し擁護して差し上げようと感じましたので、コメントさせていただく次第です。

「イエス様はご聖体の中におられるのにきまってるでしょ!」
「あの御聖櫃の中ですよあそこにしかいません」
下記URLをご覧いただけると、その女性の真意も…
https://www.youtube.com/watch?v=n0_vznxcNZ8
https://www.youtube.com/watch?v=wr1rAv_XOWk

「イエス様は死なないと会えません。天国に行ってから会えるのです。だから死ぬのが怖くないんじゃないですか」
https://www.youtube.com/watch?v=5gcWW7J1VyU


「そんなことはありません。マザーテレサは、行き倒れの人の中にキリストを見たのですよ。」
→ゆめひこうさんの反論ですが、マザーテレサが毎日御聖体を拝領されておられたという前段を忘れてはいけませんよね。以下、マザーテレサのお言葉です。
「御聖体のうちに、わたしはキリストをパンの形で見ます。スラムでは、キリストを貧しい人々の心痛む姿の中に見ます。傷ついた体、子どもたち、そして死にかけた人々の中にです。だからこそ、わたしはこの仕事ができるのです。」 一日2回御聖体拝領は原則的にできないですからね。

「私だって、ホームレスが気の毒だと思うから支援の活動をしています」
最近、都会のほとんどの教会では一定の時刻になると御聖堂に施錠してしまいますよね。盗難、不法侵入などへの対応で、信者のためにある教会を守るための当然の行為です。現代社会では、過去には想定できなかった危険が増加していく中で、ホームレスの支援活動をなさっているだけでも立派です。

私個人も、イエズス様は御聖体に現存されておられると信じます。御聖堂内で御聖櫃に跪きます。ベネディクションでは感動を受けます。
まだまだ未熟なので、残念ながら私を含めた小さな人々にイエズス様を感じたことがありません。祈りの方法論を勉強していないからでしょうか…





返信する
コメントありがとうございました (ゆめひこう)
2014-09-03 21:44:38
私たちの教会でも、聖堂の御聖櫃の前で祈っておられる方を見かけます。

聖体顕示というのでしょうか、黙想会の中で、お祈りしたこともあります。

そういう意味でも教会と聖堂は大切なものなのだと思いました。

マザーテレサのお話は神父様がされました。
私の書き方が不十分でしたが、神父様がおっしゃられたことは、あなた様が書かれたマザーテレサの言葉と同じと思います。

支援の活動をされている方々は、みなさん明るくて元気で前向きな雰囲気です。
本当に頭が下がります。
返信する