有作未庵  烏兎怱怱 有作憂さ話 

有作(うさ)=煩悩の生ずること。
憂さ話=つらさや苦しさを語ってなぐさめ合うこと。
月日の経つのは早いですね。

新聞のコラム

2012年06月21日 03時45分08秒 | モブログ
「死んで花実が咲くものか」と見出しが。

んー。本気で死を望む人はもはや花実を期待してないんじゃないかなあ。

私は昔、若い、まだこどもっぽさが残ってるくらい若いコに、「死のうとしたんです。でも死ぬ前に発見されて、気が付いたら病院のベッドに寝かされてて、親とか心配そうにこっちを覗き込んでて。もう恥ずかしくって!二度とやらないって思いました。」ってカミングアウトされた事がある。
どちらの意味にもあわよくばって言うんじゃない、本気の傷痕。
生き恥を曝した恥じゃない、馬鹿な事をした!って恥ずかしさを思い出した全開の照れ笑い。
よかったね~。死ななくて。

私はもっとずっと本当にまだこどもだった時に「死にたい」と思った事がある。

私がこどもだったんだから、高度成長期で世の中が活気に溢れてた時代から後。
まだバブルは未来の事。

さて、少女Kは考えた。方法を。
当時たまに購読していた雑誌に体験談が載っていた。
「どんどん広がる血だまりにビックリしてお母さんを呼んだ」
少女K、シラける。アホか?

ううむ、しかし、なんだな。
こりゃ後が大変だぞ?
まずその部屋はもう使えないよな、家族としては。

首をつると下手をするとやたら苦しいし、一気に脱力するから色々垂れ流しでエライコトになるらしいし、家の中は家族(母と妹)に迷惑だから止めとこう。

ふむ。こどもの足ではあんまり遠くには行けないな。

これまた下手をすると捜索費がバカ高くついたりするらしい。
ダメだろ。うち貧乏だし。だからって探すのを諦めてくれるかどうかは…。
小さい頃におばあちゃんの部屋の隅っこでうっかり眠ってしまってるうちに日が暮れて、あやうく警察に相談されそうな騒ぎになった事があるんだよな。
「もう暗いのにK子がどこにも居ない!」けっして行動範囲の広いこどもじゃなかったし、怖がりだから暗くなって家に居ない(いや実は居たんですけど)のはおかしい!「警察に電話しよう!」そこに暗闇から明るい部屋に出て目をシパシパさせた私、登場。
「!?」親、一瞬呆然。「ずっとその部屋に居ったんか!?なんで呼んでも返事せんかった!?」爆睡してたのね~。
というわけで、いつも父や祖母からはコケにされてはいるけれど、何かあったら騒ぎになるくらいの立場ではあるらしい。

捜索が必要になるような方法も却下。

近所の高層団地から飛び降りがあったらしい時、親が「賠償金が大変らしい」と話してるのを耳にした事がある。

ので、これも却下。
鉄道もそれと同じ理由で却下。

………こどもの頭ではそれ以外の選択肢は思い当たらず。

死にそこねたあ。(笑)

いや、あのね。
人間どうしたってひと様に迷惑掛けるんですよ、何かしら。生きようが、死のうが。
でもやっぱできるだけその割合を少なく抑える努力は必要だと思うんです。

その結果死ぬってすんごい迷惑行為になるんだと理解するに至ったわけです。

飛び降りたとこにたまたま通りかかって巻き添えくわせるなんてさらに悪い。

さらにさらに、「人を殺せば死刑になれる」って犯行に出るなんてもっと悪い。
死にたきゃ一人で死ね。関係無い人を巻き込むな。
ひと様に迷惑掛けんな。―そんな方法無いに等しいけどね。

頑張って迷惑を最小限に食い止めたとしても、近しい、親しい人を傷付ける事になる。
それだって大きいくくりにすれば巻き添えの一種と言えなくもないんじゃないか?

誰の話だったか
「俺は真っ白な雪の中で美しく死にたい」と言った人が、春、雪が溶けて発見され、一番近所に居た友人が身元確認に呼ばれたそうだ。
「お前は美しく死ねたと満足かもしれないが、何が美しいものか!」

高校を卒業するまでの間に何人かの先生から友人や家族に自殺という形で先立たれた経験を聞かされた。

高校時代は諦めを通り越してやや前向きになっていた少女Kは、そういった話を聞く度にそうやんなあと再確認していた。

自分は死にたいくらい辛いんだと、最後の我が儘だと、それで誰かが傷付いても知ったこっちゃないと思う人もいるかもしれない。

そこまでいっちゃう人は実は死んで復讐したいタイプなのかな?

この私の死を重く受け止めろ!みたいな?

新聞の別なコラムに「「他責的」傾向が招く復讐」とあった。

―このように無差別殺人犯が自殺願望を抱いていることは少なくなく、通り魔事件の多くは、赤の他人を道連れにした「拡大自殺」としてとらえられる。
それでは、なぜ、自殺願望から無差別殺人へと至るのか?
それはそもそも、自殺願望それ自体が、他の誰かに対する攻撃性の反転したものだからである。(新聞記事から抜粋)

最近、心の病で他責的な患者が増加しているって話が出てたけど、ここでも「他責的」な人は増える傾向だと書かれてる。

心の病においては、大切に大切に褒める子育てと教育を受けて大人になり、社会に出て初めて叱られ(怒られ)て、自分ではなく怒る奴が悪い奴という理屈になるって解説だった。

無差別殺人犯が同じ理屈を持っているかどうかは別問題かもしれないし、記事の中には「そうなんかなあ?」と釈然としないとこもある。

自分に照らし合わせて、誰かに復讐したかったか?と考えても復讐したい相手は無いし。

他人、身内、関係無く、私を凹ませてくれた人達にそりゃ私だってムカついてますよ。
でもねぇ…。
復讐?やり返して本当に気が晴れるかどうか疑問だ。
やり返さず、自殺?それで反省するような奴らか?
よくて「何で?」だろうなあ。
まあ「バカモンが!」」(父なんかの場合コレだろう。)
いじめっ子の名前を書き残したって、「え?私?ちょっとふざけただけなのに!酷い!(←ここで泣いたモン勝ち)」…ほら、加害者にされちゃった。

花実を期待してなくても割に合わないぜ。
そう思えるくらいには健全さを損なってなかったんだなあ。

そんなわけで私の場合、始めから無かった事にはできないんだから自分の事なのに自分では終わらせられないのが人生なんだと思うようになった。

2ヶ月ほどバイトした先の某大手書店では目茶苦茶な上司が居て、頭に来た事もあったけど、正社員(大(短)卒以上採用)がバイト(高卒以上採用)を虐げるような構図が有って「正社員だけで構成して自分達で分担して助け合えよ!」と内心ムカムカしたけど、こっそり悪態ついたとしても恨みをつのらせて復讐…とは行かないなあ。
それこそバカバカしいもん。

やっちゃったら加害者なんですよ。
だから罰せられるんです。
腹を煮え繰り返らせてたのが自分の方ででもですわ。
アホらし。何でそんな貧乏くじ引かなアカンねん。
やめやめ。

え?
刺し違える覚悟ですか?
ん~…。
いやあ、反り血浴びるのも御免ですわ。気色悪い。
わざわざ汚れる事なんかないですって。
やめやめ。

そりゃね、大事な家族や友達をどうにかされたらば、やった相手を同じ目に合わせてやりたいとは思いますけどね。

そうやないでしょ?この場合。

でもホント。
花も実もどうでもよかったなあ。

あまりにもこどもすぎたのかもなあ。
将来なんて遠い遠い未来だと思ってたような。
なりたい、やりたい職業だって、まだ 「夢」で現実的な「進路」ですらなかったし。
どんな花を咲かせたいとか、たくさん実ればいいとか思っても、全部まだいい意味ではかない夢。
そんな頃だったからなあ。

で、諦めて、どうでもいいや。
なるようになるさ。
てか、なるようにしかならん。
そんな感じになり、母や友に支えられ、絶望に捕らえられずにすんだんだとは思うけど、今は花が咲いたらラッキーくらいは思ったりできるようになった。

もしもどうしても復讐したいなら、やった後で気持ち良く笑えるような洒落た復讐を考えたいなあ。難しいだろうけど。
それは花だと思うなあ。
誰が見ても関心を引くほどでなくても嫌な気持ちにはさせない花。
それを咲かせられたら、それこそしてやったり!だと思うなあ。
ついでに美味しい実にもありつけるかもしれない。

私の場合はまだ、だったらいいな~のレベルでおとなげない気もするけど、花実を見れるように頑張らなきゃいけないとも思わないけど、好きな人の悲しむ顔は想像もしたくないもんね。ね?

それにしても、私、この精神科医にはかかりたくないわあ。
なーんか釈然としないんだよなー………。

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