有作未庵  烏兎怱怱 有作憂さ話 

有作(うさ)=煩悩の生ずること。
憂さ話=つらさや苦しさを語ってなぐさめ合うこと。
月日の経つのは早いですね。

人の一生

2009年12月03日 15時03分21秒 | モブログ
―逆縁にまさる親不孝は無い

平均よりずっと長生きした人が、子や孫まで見送り
「長生きなんかするもんじゃない」
と悲しんだそうだ。

それは悲しい。

子どもを亡くすのはそれは悲しい事だろう。

―子を持って初めて知る親心

親の心配をよそに馬鹿をやって反省するのは成長した証だから評価して欲しい。

少々障がいの有る子を育てていて、自分の事もままならないくせに
「私がいなくなったら、この子はどうなるんだろう?」
と不安になる、とんでもなくおこがましい私でも、子に先立たれるなんて悲しい。

子どもの頃「死にたい」と思った時は親が悲しむというよりも迷惑を掛けると思った。

部屋で首を吊れば、その部屋は使えなくなるだろうとか、
風呂で腕を切れば、風呂が使えなくなって困るだろうとか、
遠くに死に場所を求めれば、捜索とかして大変だろうとか。

今はそんな事より単純に悲しむだろうと思う。

でも最近まで母より私の方が先に死ぬつもりでいた。

母はなんというか粘り強い人だし、私は不摂生で健康に長生きするタイプには思えないから。

今は母より一瞬でもいいから長く生きるのが親孝行だと思っている。
それしか出来そうにないし。

もし今、私が死んだら、子どもや親しい人に
「いつも一緒に居るよ。見守ってるよ。」
って気持ちは有るから、きっと母も少しはそう思ってくれているだろう。

墓にも仏壇にも魂なんか入ってないと思う。
(それそのものを作った職人さんの魂は込められてるかもしれないけど。)
(なのに手を合わせてしまうのは何だろう?(苦笑))

でも、いつでも見守ってるとしたら…
「ちょっと今は外してくれる?」
ってしょっちゅう言ってしまうな。

幼い頃、道でぼーっとしてたら背中を突き飛ばされてびっくりした私の後ろを車が走り抜けたなんて事があって、死んだおばさんが助けてくれたんだと祖母に言われて半ば信じてた。

それがアリなら私も誰かを守りたいね。
子や甥っこ…四人分分身しなきゃ(笑)
私はぐうたらだから、墓でずーっと寝てるかも?
あ、私、入る墓無いわ。要らないけど。

葬式も要らない。
どうせなら、楽しくお別れ会でも催して欲しい。
喪服じゃなく、お気に入りの服で、一緒にお茶でもするように。

そんな風に送ってもらえたら幸せだろうな。
価値有る人生だったっぽくていいなって気がする。

まあもう少し先でお願いします。

平均寿命だと折り返したところ。
添加物世代で色々汚染されてるから人生五十年とかかもしれないから、寿命を生ききっても残りわずかかもしれない。

…先が見えないから反って頑張れるのかも。

人生楽有りゃ苦も有るさ。
でも悲は少ないに越したことはないね。

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