“しなやかに、清々しく”

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「原田佑三郎翁を偲ぶ会」が行われた。

2018-06-15 22:16:44 | Weblog
 6月15日(金曜日)午後3時、目黒庄や408店に於いて「原田佑三郎翁を偲ぶ会」が開催された。
 原田さんは、元東京相川会会長を勤め、平成11年に故池田正雄さんたちと首都圏佐渡連合会の立ち上げにあたって努力された方。
 東京相川会でのご活躍は、会長を12年間務めたこと以外あまりわかりませんが、首都圏佐渡連合会に於ける原田さんのご活躍、特に印象に残っていることは、郷土連絡委員会でご一緒させていただいたときのことです。
 16年3月佐渡市が誕生しましたが、その1か月前に、首都圏佐渡連合会は、佐渡市に協力・支援体制を作ろうとの機運から郷土連絡委員会を立ち上げ、7月には、陣容を整えました。
 佐渡市への協力・支援体制としての郷土連絡委員会には、産業振興部会、観光部会、文化芸能部会という部会を擁し、人員も20名を超える連合会最大の委員会でした。
 その委員会の委員長が原田さん。小生も原田さんの補助として務めさせていただきました。

 そんなことで今日の偲ぶ会には、原田さんの奥さんから「Hにぜひ連絡してもらいたい」とのことだったとのこと。
 私は3月にご逝去されたときお別れに伺う予定でしたが、葬儀は家族葬として行うとのことでしたので遠慮していました。
 今日の偲ぶ会は、東京相川会の有志が主催。相川会の有志、40年余り勤務していた旧営団(現東京メトロ)の関係者、首都圏佐渡連合会時代の方並びに原田さんご家族の方、総勢40名弱の方がお集まりくださいました。
 午後5時までの限られた時間でしたが、原田さんの往時を思い起こさせる立派な偲ぶ会でした。
 
 その模様を簡単にご紹介します。


会場に飾られた原田さんのお写真と大好きだったお酒。

 東京相川会副会長 前田さんが司会進行を務めた。

 まず、原田翁のご冥福を祈って、全員起立して黙とう。


前田副会長の司会進行情景。


偲ぶ会世話人代表 若林前東京相川会会長。
 若林さんは、原田さんの経歴等について話された。

大学を卒業後営団地下鉄に努め、幼少時あこがれであった運転手を40年間勤め上げたとのこと。また、銀座まつりに東京相川会を引っ張って32年間も携わったとのこと。


追悼の言葉を述べる東京新潟県人会館川村理事長。


追悼の言葉を述べる首都圏佐渡連合会特別顧問兼佐渡市内に在る伝統文化と環境福祉の専門学校校長、本間先生。

ここで司会者は、2通の弔電を読み上げた。
  ① 佐渡市元市長 高野さん。
  ② 首都圏佐渡金井会会長 祝さん。

 式典の最後となり、原田ご家族を代表して奥様からご挨拶が述べられた。


奥様のご挨拶。


 しばらく休憩の後、献杯。


献杯の音頭をとる○○さん。

 しばらく歓談の後、思い出話が二人から述べられた。

 ① 首都圏佐渡連合会当時の思い出として 逸見。
 ② 営団地下鉄勤務時代の同期として村山さん。

 親族から今日出席されているご家族を紹介された。


ご家族を紹介される御令嬢。

時間も押し迫まってきたので、東京相川会青沼さんから原田奥さんに花束が贈呈された。


花束の贈呈。

 会場使用時間が押し迫ってきたので、世話人代表の若林さんから閉会が告げられた。

 今日の偲ぶ会は、原田さんの想い出話で盛り上がったように思います。

 改めてご冥福をお祈りいたします。
 







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