“しなやかに、清々しく”

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徳富蘆花 「不如帰」をご紹介

2014-02-05 11:56:34 | Weblog
 佐渡島は、冬真っ最中で冬眠に入ったように特記すべき記事がありません。
そのようなときに、以前から探していた逗子に関連する徳富蘆花の小説「不如帰」を探し当てました。
無料で読むことができましたのでご紹介します。
 不如帰 で検索 →不如帰(小説) Wikipedia クリック →下の方にある青空文庫「不如帰」をクリック →下の方にある「ファイルのダウンロード XHTMLファイルのファイル名1706 44742.html をクリックしてダウンロードしてください。
ダウンロードしたものは、デスクトップに保存でき、いつでも開いて読むことができます。しかし、CD等には、保存できないようになっているようです。
 明治後半期の徳富蘆花の文学小説ですが、大変きれいな文章で読みやすくなっていますので、一気に読み終えられます。
 逗子には、蘆花が間借りしていた柳家の跡地に石碑が立っていますし、海岸の波にあらわれるところに「不如帰」の石碑(昭和8年建)、また以前は、どこにでもある不動堂でしたが、いつの間にか主人公の浪子の名前を冠して「浪子不動」と名づけられているお堂があります。

徳富蘆花が過ごした柳屋跡にある石碑。逗子観光資料から。


不如帰の碑(2013.03.19撮影)

逗子観光資料から。 


浪子不動・高養寺

 不如帰は、徳富蘆花が逗子にいた時の作品ですので、地元では、誇りに思っているようです。  
上記した不如帰(小説) Wikipedia には、以下のように記しています。
『不如帰』は、明治31年(1898年)から32年(1899 年)にかけて国民新聞に掲載された徳富蘆花の小説。のちに出版されてベストセラーとなった。 なお徳富蘆花自身は『不如帰』の読みとして、少なくとも後年「ふじょき」としたが、現在では「ほととぎす」という読みが広まっている。
片岡中将の愛娘浪子は、実家の冷たい継母、横恋慕する千々岩、気むずかしい姑に苦しみながらも、海軍少尉川島武男男爵との幸福な結婚生活を送っていた。しかし武男が日清戦争へ出陣してしまった間に、浪子の結核を理由に離婚を強いられ、夫をしたいつつ死んでゆく。浪子の「あああ、人間はなぜ死ぬのでしょう! 生きたいわ! 千年も万年も生きたいわ!」、「ああつらい! つらい! もう女なんぞに生まれはしませんよ」は日本近代文学を代表する名セリフとなった。 家庭内の新旧思想の対立と軋轢、伝染病に対する社会的な知識など当時の一般大衆の興趣に合致し、広く読者を得た。
 作中人物にはモデルが存在する。しかしベストセラーとなったが故に、当時小説がそのまま真実と信じた民衆によって、モデルとなった人物に事実無根の風評被害があった。
後にはこれを原作とした映画や演劇などの演劇作品が数多く制作されている。

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