8月3日(金曜日)朝、東京の自宅を車で出発し、新潟佐渡に生まれながらこの年になってはじめての長岡の花火を見学。その足で深夜便のフェリーで佐渡へ。一日観光で二見海岸、尖閣湾を廻り両津に宿泊。
小生の用事を済ませて午後7時30分のフェリーで新潟にわたり、佐渡汽船駐車場に預けてあった車で一路東京へ。6日午前1時40分過ぎに自宅に帰った。
今回の旅では、宿泊したホテルでの夕食時に、私どもの最初の就職先会社の広島・松永工場の地続き隣りの中学を卒業(奥さん)したというご夫婦、倉敷に現在住み、また、奥様のお姉さんが小豆島に在住とかで、昨年私共が旅行した一部について大変詳しい方だったので、テーブルの片づけに入る最後まで話が弾み、久しぶりに楽しい旅行となった。
今度のルートに沿って、写真でご紹介します。
私どもが花火を観賞した信濃川河川敷の土手。突然の思いつきでしたので有料席に入らず、土手の芝生で観賞。
大会を始めるにあたって長岡市長の挨拶があり、市長は、「花火は、20年8月1日長岡大空襲に見舞われたことから、「鎮魂」、「復興」、「世界の平和」を掲げて、大空襲の2年後の昭和22年に再開された」と述べられた。
22年頃と言えば世の中がまだ落ち着いていない時であり、寄付を集めてよく再開できたものだ と当時の関係者の努力に敬服した。
打ち上げ花火。
2日、3日の両日で20000発を打ち上げたそうです。
尺玉の30連発や三尺玉が上がり、右から左まで数百メートルにわたって打ち上げられ、小生が今まで見た中では、一番の迫力があった。
花火終了後、長岡ICに入り、新潟佐渡汽船ターミナルへ。車を駐車場に預け、午前3時の臨時便で、佐渡へ渡る。
親戚から車を借り、午前中は、お墓参り、親戚廻りをする。
午後から二見海岸や尖閣湾を廻った。
二見海岸の夫婦岩。
ここから数百メートルのところに定年後帰島、家を購入して住んでいる中学同級のU氏ご夫妻に会う。ちょうど帰宅してきたところで、部屋に上がるよう勧められたが、先を急いでいたので丁重に断り、相川に向かう。
尖閣湾 揚島。1
尖閣湾 揚島 2
宿泊したホテルから加茂湖を望む。8月5日朝6時過ぎ。
長浜の人面岩。
我が母校の真野小学校校門。
2~3年前、校舎が建て替えられてしばらく後に伺った時、二宮金次郎の像が見当たらなくひと騒動。しかし、今回はほぼ同じ場所に設置されていた。
この像は私どもの時代(昭和25年ごろ)にあり、残っている唯一のもので大変懐かしい。松の木は、今も数本が健在。
同級生の自宅を訪問して話が弾む。
個人の用事を済ませて、5日午後7時30分発のフェリーで新潟に向かう。預けていた車で新潟を出発。深夜東京自宅に帰った。
今回の旅行は、大変強行のように思われますが、船室や親戚で横になって休んでいましたので、それほど疲れは残っていません。
深夜、自宅玄関で迎えてくれた愛犬ペガちゃんの喜びようを見て、疲れは吹っ飛んでしまいました。
小生の用事を済ませて午後7時30分のフェリーで新潟にわたり、佐渡汽船駐車場に預けてあった車で一路東京へ。6日午前1時40分過ぎに自宅に帰った。
今回の旅では、宿泊したホテルでの夕食時に、私どもの最初の就職先会社の広島・松永工場の地続き隣りの中学を卒業(奥さん)したというご夫婦、倉敷に現在住み、また、奥様のお姉さんが小豆島に在住とかで、昨年私共が旅行した一部について大変詳しい方だったので、テーブルの片づけに入る最後まで話が弾み、久しぶりに楽しい旅行となった。
今度のルートに沿って、写真でご紹介します。
私どもが花火を観賞した信濃川河川敷の土手。突然の思いつきでしたので有料席に入らず、土手の芝生で観賞。
大会を始めるにあたって長岡市長の挨拶があり、市長は、「花火は、20年8月1日長岡大空襲に見舞われたことから、「鎮魂」、「復興」、「世界の平和」を掲げて、大空襲の2年後の昭和22年に再開された」と述べられた。
22年頃と言えば世の中がまだ落ち着いていない時であり、寄付を集めてよく再開できたものだ と当時の関係者の努力に敬服した。
打ち上げ花火。
2日、3日の両日で20000発を打ち上げたそうです。
尺玉の30連発や三尺玉が上がり、右から左まで数百メートルにわたって打ち上げられ、小生が今まで見た中では、一番の迫力があった。
花火終了後、長岡ICに入り、新潟佐渡汽船ターミナルへ。車を駐車場に預け、午前3時の臨時便で、佐渡へ渡る。
親戚から車を借り、午前中は、お墓参り、親戚廻りをする。
午後から二見海岸や尖閣湾を廻った。
二見海岸の夫婦岩。
ここから数百メートルのところに定年後帰島、家を購入して住んでいる中学同級のU氏ご夫妻に会う。ちょうど帰宅してきたところで、部屋に上がるよう勧められたが、先を急いでいたので丁重に断り、相川に向かう。
尖閣湾 揚島。1
尖閣湾 揚島 2
宿泊したホテルから加茂湖を望む。8月5日朝6時過ぎ。
長浜の人面岩。
我が母校の真野小学校校門。
2~3年前、校舎が建て替えられてしばらく後に伺った時、二宮金次郎の像が見当たらなくひと騒動。しかし、今回はほぼ同じ場所に設置されていた。
この像は私どもの時代(昭和25年ごろ)にあり、残っている唯一のもので大変懐かしい。松の木は、今も数本が健在。
同級生の自宅を訪問して話が弾む。
個人の用事を済ませて、5日午後7時30分発のフェリーで新潟に向かう。預けていた車で新潟を出発。深夜東京自宅に帰った。
今回の旅行は、大変強行のように思われますが、船室や親戚で横になって休んでいましたので、それほど疲れは残っていません。
深夜、自宅玄関で迎えてくれた愛犬ペガちゃんの喜びようを見て、疲れは吹っ飛んでしまいました。