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「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

長崎県佐世保市寺島沖 「 相瀬灯台 」

2016-08-23 03:48:45 | 長崎の灯台



小値賀行き連絡船 「 みつしま 」 からの帰りに撮った相瀬灯台























神ノ浦からの相瀬灯台







「 フェリーなるしお 」 から撮った相瀬灯台







宇久島と小値賀島の間にある 「 相瀬灯台 」






灯台表番号 / 6110
ふりがな / あいせとうだい
標識名称 / 相瀬灯台
所在地 / 長崎県佐世保市 ( 相瀬 )
北緯 / 33-14-05.0
東経 / 129-05-38.5
塗色 / 白色
灯質 / 単閃白光 毎5秒に1閃光
光度 / 実効光度25カンデラ
光達距離 / 3.5海里
地上~頂部の高さ / 9.57m
平均水面上~灯火の高さ / 14.60m 
地上~灯火の高さ / 9.48m
業務開始年月日 / 昭和50年12月19日
現用灯器 / LED灯器 ( Ⅱ型白 )


この相瀬灯台を撮るためにわざわざ寺島行きの連絡船に乗って小値賀まで行き、
その帰りに最短距離になるのを待って撮ったものである。
灯台も魅力的だったが、小値賀島の柳港も途中の納島も魅力的だった。
だが、それ以上に寺島に上陸して島内を回れたことが良かったと思っている。


福岡県宗像市  ・ 伊豆本店 「 清酒 ・ カメノオ 」

2016-08-23 02:24:41 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒







「 カメノオ 」 は、福岡の日本酒で、
酒名は、蔵元が幻の酒米といわれた 「 亀の尾 」 を復活させたことに由来している。
大吟醸酒、吟醸酒、本醸造酒などがある。
原料米は亀の尾、山田錦、レイホウで、
仕込み水は蔵内の地下水を使用している。

蔵元の 「 伊豆本店 」 は享保二年 ( 1717年 ) の創業というから、
来年で300年になる。
煉瓦造りの煙突に大きく白ペンキで「カメノオ」と書いてあるのが特徴的で、
左右どちらからでも見える工夫は運転中でも目を惹く。

亀の甲ではないが、漢字で書くと 「 亀の尾 」 も、
カタカナで書いているからインパクトが大きいのかも知れない。

そんな 「 カメノオ 」 は、この酒蔵の代表銘柄である。
機会があれば、是非とも飲んでみたい日本酒である。


所在地  / 福岡県宗像市武丸


全世界を熱狂させた 「 リオデジャネイロ ・ オリンピックが閉幕 」

2016-08-22 10:19:41 | スポーツ








連日猛暑の夏をもっともっと熱くさせ、
僕たちを興奮と感動の渦に巻き込んだリオデジャネイロ・オリンピックが閉幕した。

三宅宏実の ” 渾身 ” の銅メダルから始まったリオデジャネイロ・オリンピック。
あのメダルは多くの日本人アスリートたちを勇気づけたに違いない。
それぞれの競技で41個のメダルを獲得したが、
メダルには届かなかった男子7人制ラグビーの戦いは興奮した。
特に、日本代表に選ばれるかどうかだった副島亀里の活躍には特別な感動があった。
土木作業をしながら困難な生活を経ての代表入りだったのを知っていたし、
同じ九州人として、その活躍に涙が出た。
それに女子のバスケットの速いパス回しとフットワークにも心を打たれた。
” あと少し ” の歯がゆさもあったが、それ以上に東京への希望を貰った。

どの競技のどの選手も
一生懸命に己が血を燃やして奮闘する姿は、
こんなにも人の心を鷲掴みにし、魂を揺さぶるものかと思う。

4年後の東京でも再び魂が震える活躍を期待している。
そして、感動をくれたオリンピックに参加した全選手に感謝している。

ありがとう!



第5位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーポイント 「 透明な小物入れ 」

2016-08-22 06:00:41 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

   お盆を過ぎて連続して台風が発生しているが、
   例年に無く九州を避けて?
   東北や北海道など北寄りである。

   今年は ” 台風銀座 ” と呼ばれる宮古や八重山、
   それに、長崎の五島や対馬のへの上陸や接近が無いのはありがたいが、
   どこに進路を取っても被害が出ないことを願っている。
   そんな今日の順位は5位で、
   ラッキーポイントは、
    「 透明な小物入れ 」 である。

   多くの課題も楽々クリア
   ペース配分を考えて実行しよう!



福岡県岡垣町  ・ 成田山不動寺にある 「 ゆうれい坂 」

2016-08-22 02:47:37 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



路標の下に説明板がある 「 ゆうれい坂 」 入り口








下から見ると上り坂なのに下って見える 「 ゆうれい坂 」







県道から 「 ゆうれい坂 」 へ行く成田山不動寺への入り口












この坂は、 「 ゆうれい坂 」 と言っても幽霊が出るわけではない。
登り坂のように見えるのに、
実は下っている坂道のことを地元では 「 ゆうれい坂 」 と言っている。

その 「 ゆうれい坂 」 なるものがあるのは、
宗像市のとなり遠賀郡岡垣町である。
波津の海岸近くの湯川山のふもとの成田山不動寺の下、
登り口と成田山不動尊の中間あたりの道である。

テレビでも紹介され全国的に有名になったものだが、
登り坂が続き約50メートルほど平たんな道になり、また登り坂になる。
その平たん部分でおこる目の錯覚 が原因らしい。

でも見る位置により、そのように見えたり、見えなかったする。
けっこう微妙であるが、
いろいろな位置から見てみると、下りの下から見るとそう見えるし、
上の方から見ると、そのように見えない気がする。



船シリーズ ・ 九州商船 「 フェリーなるしお 」

2016-08-22 01:16:35 | 船 ・ フェリー ・ 港



佐世保港に到着した 「 なるしお 」















宇久平港に停泊する 「 なるしお 」








宇久平港を出港する 「 なるしお 」















生まれ島を離れて暮らすために島を離れる





五島列島の宇久島から
小値賀島を経由して佐世保に行く 「 フェリーなるしお 」 。
約3時間20分の航海だが、その間に瀬や小島の灯台、
さらに港付近には灯浮標などを見ることが出来るが、
この日は異常な高温で海面がモヤって霞んでいたので、
灯台や灯標さえも輪郭がボヤケていた。

次回は気温の下がった秋にでも
再度 「 なるしお 」 に乗船して写さねばと思っている。



1987年5月就航
全長  : 59.50m
幅   :12.60m
総トン数 : 645トン
航海速力 : 15.0ノット
旅客定員 : 400人


北九州市若松区 ・ 宗像市鐘崎    『 海路残照 』  森崎和江

2016-08-21 09:11:05 | 文学・文化・映画作品



若松工業地帯の洞 ( くき ) の海を眺める





森崎和江は宗像市在住で、詩人、評論家、
そしてノンフィクション作家として知られている。
韓国で生まれた森崎は一貫して女性や民族、姓名などを
大きなテーマをして書き続けている作家といえよう。

「 海路残照 」 ( 昭和56年、朝日新聞社 ) は、
海辺の村に残る不老不死の女の伝承から、村人の暮らしを描き出した作品である。
ほら貝を食べた海女が幾百年も若い姿のまま生き、各地を巡りつつ津軽まで行った。
この伝承に心を惹かれた作者が言い伝えの残る 「 庄の浦 ( 現・若松区乙丸 ) 」 と、
鐘崎 ( 宗像市玄海町 ) から、類似の伝承が残る若狭小浜、輪島、
そして海女たちがたどり着いたとされる津軽十三湖へと訪ね歩いて綴られている。

「 長寿の海女の話が語られていた江戸期には、遠賀川の満潮が逆流していた。
また若戸大橋の方から玄界灘の海流が、洞 ( くき ) の海を通って
川まで打ち寄せていたのだった。
そして、長寿譚のある庄の浦あたりで潮が出合っていたのだ。
海上をゆく舟は波荒い響灘を避けて、この洞の海を通ったりしたのだろう 」

鐘崎は日本海沿岸に伝わる海女の技法の発祥の地といわれ、
漁民の移住や出稼ぎによって東は能登の輪島の舳倉島 ( へぐらじま ) 、
西は対馬の曲浦 ( まがりうら ) などに足跡を残している。

鐘崎の織幡神社境内には、昭和初期の海女の姿をした 「 筑前鐘崎海女像 」 があり、
今でも数人の海女によって技法が伝えられている。
また玄海町立民俗資料館には、福岡県有形民俗文化財の指定を受けた
「 海女の用具一式 」 がある。


森崎 和江 ( もりさき かずえ、1927年4月20日 - ) は、詩人、ノンフィクション作家。

朝鮮大邱生まれ。福岡県女子専門学校(現・福岡女子大学)卒。
1950年、詩誌 『 母音 』 同人となる。
1958年、筑豊の炭坑町に転居し、谷川雁、上野英信らと文芸誌 『 サークル村 』 を創刊。
1959年-1961年、女性交流誌 『 無名通信 』 を刊行。
以後福岡を根拠地として炭鉱、女性史、海外売春婦などについて多くのノンフィクション、
また詩集を刊行する。1994年度福岡県文化賞受賞。
2005年、詩集 『 ささ笛ひとつ 』 で第14回丸山豊記念現代詩賞を受賞。

木村栄文のドキュメンタリー 『 まっくら 』 『 祭ばやしが聞こえる 』
にて構成や案内役として携わっている。


福岡県宗像市鐘崎   『 筑前鐘崎海女の像 』

2016-08-21 09:02:33 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣







【 海女発祥の地 鐘崎 】

写真は、織幡宮の参道に建立される 「 筑前鐘崎海女の像 」 である。
ここ鐘崎は、西日本の海女発祥の地で有名であり、
古くは能登、長門、壱岐、対馬などへ出稼ぎに行き、
どこそこへ枝村 ( えだむら ) が出来たそうである。
今では、海女の使用した道具は県の文化財に指定され保存されている。

この石像はその功績をたたえ、
航海安全と豊漁を祈念し平成7年4月に建てられたものである。




長崎県平戸市 『 歴史とロマンの風が吹く ・ ひらど 』

2016-08-21 02:52:16 | 旅行 ・ 温泉



長崎県平戸市 『 歴史とロマンの風が吹く ・ ひらど 』





上の作品は、長崎県平戸市を紹介した自作のフォトムービーです。
平戸の ” イイトコサガシ ” に役立てばと思って作ったものなので、
是非ともご覧になって頂きたいと思っています。
そして、少しでも多くの方に 「 ひらど 」 に足を運んで頂きたいと思っています。




魂が震えた 「 四人でつないだ銀メダル 」

2016-08-20 11:26:10 | 馬の詩 ・ それぞれ...





























 魂が震えた 『 四人でつないだ銀メダル 』 



個人100mでは涙を飲んだ
そんな苦い思い出を払拭した
400mリレーの走りは
スターといわれる
ボルトやガトリンがいない
日本チームだけど
四人の力がひとつになって
銀色に輝いた
37秒6のドラマに
魂が震えた




リオデジャネイロ オリンピック
2016.8.20 男子400mリレーより
四人の侍 ( 山県 ・ 飯塚 ・ 桐生 ・ ケンブリッジ )


第4位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーポイント 「 コンサート 」

2016-08-20 07:00:00 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

      今朝も西の空に
      昨日よりも整った満月がその存在を放ち、
      東のオリオンの輝きさえも奪っていた。
      そんな今日の順位は4位で、
      ラッキーポイントは、
       「 コンサート 」 である。

      悩みが解決してスッキリ
      周りの意見を参考にして・・・


北九州市小倉北区 ・ 須賀神社 「 犬塚に上れない狛犬 」

2016-08-20 04:20:41 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



一生懸命に上ろうとしている様 ( さま ) がよく表現されている



























正面から見た須賀神社の鳥居と参道







向かって左側の狛犬はちゃんと座っている







左側の狛犬






くの字に折れた膝の角度と前脚に、見ている方も思わず力が入る











須賀神社は、北九州市小倉北区須賀町を流れる延命寺川の横にあり、
その鳥居の前に左右に狛犬が置かれているが、
神社に向かって右側の狛犬が犬塚に上れないでいるのである。
その様が如実に表現されており、極めて稀な彫り物だと思う。


そもそも狛犬 ( こまいぬ ) とは、獅子や犬に似た日本の獣で、
想像上の生物とされる。
像として神社や寺院の入口の両脇、
あるいは本殿・本堂の正面左右などに一対で向き合う形、
または守るべき寺社に背を向け、
参拝者と正対する形で置かれる事が多く、
またその際には無角の獅子と有角の狛犬とが一対とされる。

飛鳥時代に日本に伝わった当初は獅子で、左右の姿に差異はなかったが、
平安時代になってそれぞれ異なる外見を持つ獅子と狛犬の像が対で置かれるようになり、
狭義には後者のみを 「 狛犬 」 と称すが、
現在では両者を併せて狛犬と呼ぶのが一般化している。


須賀神社は古くは 「 若一王子社 」 といい、
今でも地元の古い人は 「 にゃっこうじさん 」 と親しみをこめて呼んでいる。
前の橋の名も 「 若一王子橋 」 である。

この神社は、平安初期の元慶元年 ( 877 ) 9月8日創建という。
この年三鏡山 ( 小文字山 ) に怪火があり、
富野村では悪疫が流行し多数の死者がでた。
ある日村人が山中で出会った童子に、
「 我は須佐之男命 ( すさのおのみこと ) の化身なり。
悪疫を終わらせたくば我が宮を建てよ 」 と言われた。
村人たちは山中に神社を建て 「 若一王子社 」 と呼んだ。
悪疫は収まり平穏な里になった。

応永年間 ( 1400年頃 ) 裏山の若王子城主門司一徳斉俊親が、
山中の神社を今の所に移した。その後戦乱が絶えず神社も荒廃した。
 
江戸時代になって、村人たちは藩主細川忠興に神社の再興を願いでて、
元和3年(1617)130年ぶりに再建した。
また、江戸中期の有名な儒学者荻生徂徠(おぎゅうそらい)が、
近くの小笠原藩家老の別荘「忘言帝」に来た時、ここにも立ち寄ったらしく、
「四海太平 少将之春」の書を残している。


所在地  / 北九州市小倉北区須賀町12-24


大分県中津市 ・ 中津風景 「 鱧の里に日本一長いハモの椅子 」

2016-08-20 00:15:50 | 写真














日本一長いハモの椅子というのが日豊本線(JR九州)の中津駅にある。
このベンチは風倒木を利用しており、
長さ10メートル・高さ1.6メートルもある。
これはもともと中津市がハモ料理が名物ということで、
地域の人々の発想と協賛により作られたものである。





第11位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーポイント 「 レーズンパン 」

2016-08-19 06:00:40 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

     今朝は西の中空に
     金メダルのようなまん丸い月がポッカリと浮かんで、
     薄く流た雲を萱草色に照らしていた。
     そんな今日の順位は11位で、
     ラッキーポイントは、
      「 レーズンパン 」 である。

     課題が片付かずアタフタ
     常に時計を気にして行動を・・・


福岡県宗像市  「 クエバワカル 」

2016-08-19 03:07:12 | 写真






















道の駅 「 むなかた 」 を過ぎて ” さつき橋 ” を渡り、
右折して釣川沿いを海に向かって150mほど行くと、
左に入る道のトライアングルに 「 クエバワカル 」 という
ユニークな看板が目に入った。

それで、一たん通り過ぎた車をバックさせて、
その店がどんなものなのか見に行くことにした。

「 クエバワカル 」 というのは、いかにもその通りだが、
半ば投げやりな屋号に興味をそそった。

で、たどり着いた店は、写真のように田舎のくたびれた寿司屋さんだった。
カラフルな看板に囲まれていただけに、看板から想像したものと違っていたが、
話題性を十分に提供してくれるものだった。