按司墓の先に洞穴がある
墓の近くにもこのようなノロ墓のようなものがある
守人の墓か?ここにも墓がある
今帰仁城主の墓は、嘉手納町の水釜から比謝大橋を渡り、
すぐ左側の道路をまっすぐに行って左折すると泊グスク公園に至る。
そこに今帰仁城主の墓と書かれた標識があり、
崖の裏側を回ると奥まった岩陰にセメントで塞いだ墓がある。
崖下は比謝川河口の北岸で、ここは別名クマイグスクと呼ばれており、
今帰仁按司の身内がこもっていたからという。
羽地按司が今帰仁城を攻略し、今帰仁按司の家族は先祖の遺骨を持って、
舟で比謝に落ち延びたという口碑がある。
だとすると、遺骨を比謝川南岸の崖に埋葬した身内が、
北岸の岩穴に隠れ住んで墓守をしたものと推測される。
そして周りのある墓は、当地で死んだ守人の墓であろうか?
この墓はシーミー ( 清明祭 ) の時にゆかりの人たちが拝んでいる。
この丘の東の20mほど行ったところに「アビラウンケン」の梵字石碑がある。
大日如来の証った真理を表微する真言とされる。
建立者や建立年代は不明で、字の拝所として旧暦の9月に拝んでいるが、
日頃でも若い女性が御願 ( うがん ) のため拝みに来ている。