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「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県南城市  「 沖縄の文化財 ・ 玉城城跡 」

2012-10-11 21:09:54 | 沖縄の文化財








玉城城跡
The Ruins of Tamagusuku Castle
( 国指定史跡 )
National Historical Monument

指定年月日 : 昭和 62 ( 1987 ) 年8月21日 
Designaed Date : August 21,1987
所在地 : 沖縄県南城市字玉城門原、伊佐昆原
Location : Tamagusuku,Nanjyou-shi,Okinawa-ken



 玉城城跡は玉城集落の北方約700mにある石灰岩の小山を利用して築かれた城で、
アマツヅグスクとも呼ばれている。
周辺にはミントングスクや垣花城跡、糸数城跡があり、
城内は石垣によって三つに分けられている。
現在はその石垣がよく残っているのは、
中心部分の一の郭だけで、一の郭の入り口は自然岩をくりぬいて造られている。
また、城内には住居跡と思われる場所や拝所が数ヵ所点在している。
この城はアマミキヨが築いたという伝説もあり、
東御廻り ( アガリウマーイ ) の拝所にもなっている。
古い時代の祭祀を理解する上で重要な場所である。


 Tamagusuku Castle was built so as to take advantage of a small mountain whichis 700m.
to the north of Tamagusuku village. It is also called Amatsugusuku.
There are Mintongusuku, the site of Kakiniohana Castle and Itokazu Castle around the area.
The im\nside of the castle was divided into three parts.
The middle is the only part that has the stone gate left in a good condition.
A natural limestone was hollowed out as an entrance to the first part.
there are several places to give prayers and place which
is believed to have been a residence in the castle.



沖縄県南城市  「 沖縄の文化財 ( 糸数グスク ) 」

2012-10-08 22:46:39 | 沖縄の文化財








糸数城跡
The Ruins of Itokazu Castle
( 国指定史跡 )
National Historical Monument


指定年月日 : 昭和 47 ( 1972 ) 年5月15日 
Designaed Date : May 15,1972
所在地 : 沖縄県南城市玉城字糸数竹之口原、屋敷原
Location : Itokazu,Tamagusuku,Nanjyou-shi,Okinawa-ken




 糸数城跡は沖縄本島南部の知念半島から西へ延びる
琉球石灰岩台地の西側に崖を上手く利用して築かれたグスクである。
城壁は琉球石灰岩を利用した石積みで、野面積みと切り石積みの両方を
用いている。東側の平地部分は高さ3~8mの石積みを南から北方向に積み上げている。
西側部分は自然の断崖を巧みに利用して高さ1m前後の野面積みの石垣をめぐらしている。
正面は東側にあり、門の形式は上に櫓が載る櫓門であったらしいが、現在は石門のみが残っている。
門の両側には物見台 ( アザナ ) があり、伝承によれば玉城按司の三男の糸数按司が住んでいたと
言われている。


 The gusuku is at the end of a Ryukyuan limestone plateau which stretches from the Chinen
Peninsula to the south. It was built so as to take advantage of a cliff.
The castle gate is made of Ryukyuan limeatone, using both natural and processed rocks.
There is a main gate on the east side of the castle. Although it was a tower gate, only the
stone gate part has been left. On the both sides of the gate, there are observatories.



沖縄県南城市  ・  沖縄の文化財 「 垣花グスク 」

2012-10-06 20:48:17 | 沖縄の文化財



二の郭から一の郭への城門跡




垣花城跡
The Ruins of Kakinohana Castle
( 県指定史跡 )
Prefectural Historical 
Monument


指定年月日 : 昭和 36 ( 1961 ) 年6月15日 
Designaed Date : June 15,1961
所在地 : 沖縄県南城市玉城字垣花和名盤
Location : Kakinohana,Tmagusuku,Nanjyou-shi,Okinawa-ken



 垣花城跡は垣花集落の南側にある琉球石灰岩を利用して築かれたグスクである。
築城年代は不明だが、14世紀頃に築かれたと推測される。城壁は幅60~150㎝ほどの
野面積みになっており、城内は一の郭と二の郭に分かれている。城門はそれぞれの郭に
設けられ、その向きは一の郭が北東側に二の郭が東側になっている。
城内には按司墓の神名 「 アフィハテルツカサノ御イベ 」 が祀られている拝所がある。
この城は按司時代から三山時代まで長期にわたって使用したと推測される。


 A Ryukyuan limestone hill which is the south of Kakinohana viillage was
used to built the castle.
The construction is believed to have taken place in the 14th century.
In the inside, there are the first and the second castles,
and each castle has its own gate.
Also, thereare graves of ajis and a place for worship.
This gusuku is assumed to have been used for a long period of time,
from the begining of Aji period until Sanzan period.



沖縄県金武町  ・  金武町指定文化財 「 トゥムスズ御嶽 」

2012-09-08 10:52:10 | 沖縄の文化財



伊芸商店の奥のムイ(森)がトゥムスズ御嶽になる










御嶽の入り口に立つ路標








色んな木が生い茂るムイ( 森 )







御嶽の内部状況








御嶽の内部状況







御嶽入り口にある説明板





トゥムスズ御嶽は金武グスクの城壁の一部が置かれた金武公会堂の近くに位置する御嶽で、
「 琉球国由来記 ( 1713年 ) 」 に金武間切、
金武村トゥムスズイベ ( 神名・シマネドミ ) 金武ノロ崇所と記された御嶽である。

村建ての火神として御嶽を中心に周辺には根神、祝女殿内、
外間、掟神の居所が築かれていることから村落構成の基礎をなした地域と推察される。
御嶽は金武の村落共同の火神が祭り継がれてきた歴史のある御嶽で、
かつ先人の遺跡分布であり、琉球石灰岩地帯に自生する植物群落の森は
先祖が守り育ててきた自然の遺産である。



沖縄県金武町  「 金武大川 ( きんうっかがー ) 」

2012-09-03 22:27:09 | 沖縄の文化財







































金武町といえば、金武ウッカーガーとキングタコスだろう。

その金武ウッカガー(大川)は、並里の中央に位置する共同井泉で、
カーヤマを背に湧出る清水は、県下に知られた井泉です。
大正12年に衛生上の見地から改修計画金武並里両区で経費を負担し、
大正13年1月に竣工されました(金武町史より)。
コンクリートで用途別に区切り、道路を境に泉口の堰を飲料水、
近くに男女の水浴場を設け、道路下方を洗濯、芋洗場、
更に下方に牛馬の水浴せ場をして構築されました。

水道が普及するまで金武並里住民の飲料水の汲み場であり、
元日の若水を汲み、もやしを作り、
夏の水浴を楽しむ語らいの場で朝に夕に人々が絶えない場でした。
豊富な水量は、かんばつ時にも変わることなく、
余水は武田原に注ぎ用水として稲・水芋の産地を形成しています。

生活様式や地域社会の変化の中で幾度か変遷を重ねながらも、
「長命の泉」を象徴するように湧き続ける井泉は、先人達よりの文化遺産です。




沖縄県南城市 ・ 沖縄の文化財 「 ミントングスク 」

2012-08-30 16:03:13 | 沖縄の文化財







ミントングス
Minton Gusuku


( 県指定史跡 )
Prefectural Historical Monument

Designaed Date : June 15,1961
所在地 : 沖縄県南城市玉城字垣花和名盤
Location : Kakinohana,Tmagusuku,Nanjyou-shi,Okinawa-ken


ミントングスクは、琉球石灰岩からなる高さ11.5mの丘の上にある遺跡である。
グスク内からは沖縄貝塚時代後期(約2000年前~12世紀)前半の
くし目の文様の入った土器片や
きれいに加工された石斧などが採取されている。
また、グスクの頂上付近の岩陰や小さな洞穴は
「 神様の墓 」 と呼ばれる拝所となっていて、
古くから信仰の対象になっている場所でもある。
古い資料などによると、
琉球王国および聞声大君の東御廻り ( アガリウマーイ ) の参詣場所の
ひとつでもある。
グスクの発生や性格を知る上で大切な遺跡である。


 The ruins are on a Ryukyuan limestone hill.
From the inside, articles such as a piece
of comb-patterned pottery and a well -finished stone axe, of the last Okinawan Shell
Mound Age, are collectted.
The shade of rocks and small caves near the top of gusuku
are sacred spots called “ grave of God ”, and are objects of worship since
ancient times.
According to old historical records, Mintongusuku was one of the places
where ryukyuan
monarch and Kikoe-Okimi went for worship of agariumai.
The ruins are very important in studying the occurence and characteristics
of gusuku.




沖縄県南城市 ・ 沖縄の文化財 「 仲村渠樋川 ( ナカンダカリ ヒージャー ) 」

2012-08-19 16:27:01 | 沖縄の文化財




























仲村渠は、聖泉として東御廻り ( あがりうまーい ) の時に拝まれている。
樋井の拝所を拝み、聖水でお水撫で ( うびなでぃー ) をして蘇生を願う。
村内では正月の初ウビー、旧暦6月25日の浴 ( あみ ) シ御願にここを拝んでいる。
麦稲のウチマーは字民が玉城城跡で行なっている。
ヌル殿内の火ヌ神や香炉は、字玉城の仲村家 ( 屋号赤嶺 ) に祀られている。

この井泉は、南城市仲村渠に位置する水量の豊かなヒージャー ( 樋川 ) である。
二箇所からの湧水を貯水して、二つに仕切られた作業場に
五箇所の石造の樋口から放流している。
左側の三ヶ所の樋口のある作業場の規模は幅6.5m、奥行き約4.3mで、
隣接する広場に向かって開放され、左右二ヶ所に石段がつけられている。
右の作業場は幅約4.3mm、奥行き2.7mで、
周囲を砂岩の切石積みで囲んでいる。
ここはかっては屋根があり、女性の水浴場に利用したという。
からは、幅のひろい石畳敷きの坂道がつけられている。

このヒージャーの近くにはミントングスクや垣花グスクがあり、
グスク優先の探訪であったが、探訪の終りにここを訪れた。
夕方だったので誰もいないと思いきや、
御願 ( うがん ) に来ている人がいて、
その人たちに配慮して写真を撮ったので
一部しか撮ることが出来なかった。
今度、沖縄に行った時に浜川御嶽ともども、
また立ち寄ってみたいと思っている。



沖縄県南城市大里  ・  沖縄の文化財 「 チチンガー 」

2012-08-03 21:49:45 | 沖縄の文化財

































階段を降りて行くと井戸がある






チチンガーは、大里グスクの城門外にあり、
西原集落住民の共同井戸として使用されていた。
14世紀頃に造られたのではないかと推定されている。
井戸は8mしたにあるため上から直接見ることは出来ないが、
階段を降りて行くと見ることが出来る。

言い伝えによると、井戸の水を大里グスク内に取り込むと枯れ、
城外にあると水が湧きだしたそうです。
井戸は拝所になっているため、今でも井戸を大切にする人々が御願に訪れている。




沖縄県南城市  ・  沖縄の文化財 「 カンチャ大川 ( カンチャウッカー ) 」

2012-08-01 20:22:11 | 沖縄の文化財



カンチャウッカーの全景








カンチャウッカーの説明板







水の湧き口







貴重な資源である水をポンプで汲み上げている







カンチャウッカーの近くにある 「 カンチャ公園 」







カンチャ公園の全景






旧・知念村 ( 現・南城市知念町 ) 指定史跡
指定  / 昭和63年10月1日
所在地 / 南城市知念町志喜屋 熱田原559


( 以下、説明板より )
カンチャ大川は、1861年知念間切知念村の人民7名、
知名村の人民1名、安座真村の人民3名、前城村の人民5名、
志喜屋村の人民2名が自らの私財をなげうって強力して完成した井泉である。
この功により、琉球王府から爵位を賜った。



沖縄県南城市  ・  沖縄の文化財 「 垣花樋川 ( シチャンカー ) 」

2012-07-31 18:34:36 | 沖縄の文化財











































連日の30度超えで暑さにウンザリである。
画像だけでも涼しい気持ちになりたいものである。


沖縄にはガーと呼ばれる井泉が多く存在する。
その中でも規模が大きく、有名なのがこの垣花樋川 ( かちぬはなひーじゃー ) である。

垣花樋川は、沖縄県南城市玉城字垣花にある湧水で、
環境省により1985年(昭和60年)名水百選のひとつに選定された。

湧き水は垣花集落の崖の中腹に湧出する水を
コンクリートの二箇所の水路に引いて流している。
右側から出る水を「男川・(いきががー)」、
上流の左側からに位置する水路を「女川・(いなぐがー)」。

「女川」は下流から見えないように位置が工夫されていて
沐浴のをするための場所であったと伝わっており、
下流の浅い泉は「馬浴・(ウマアミシー)」で、
馬に水を飲ませたり、体を洗ったりしていた。

二つの水路から流れた水は斜面を下り。
その中傾斜の石畳道があり石畳の途中には女達が一息入れた中休み(ナカユクイ)石、
上休み(上ユクイ)石が残っている。
水路には琉球石灰水のため、石灰質の析出物が体積している。




沖縄県那覇市 ・ 沖縄の文化財 「 仲島の大石 」

2012-07-25 21:11:05 | 沖縄の文化財








仲島の大石
Nakasima-No-Oishi
( 県指定史跡 )
Prefectural Historical Monument


指定年月日 : 昭和 33 ( 1958 ) 年3月14日 
Designaed Date : March 14,1958
所在地 : 沖縄県那覇市泉崎
Location : Izumisaki,Naha-shi,Okinawa-ken


仲島の大石は、那覇市街地のバスターミナル構内にある高さ約6m、周囲約25mの琉球石灰岩で、
俗に 「 仲島の大石 」 と呼ばれている。下部には海水の働きによってくぼんだ跡があり、
かつてこの周辺が海であったことをうかがわせる貴重な資料となっている。
昔、久米村の人たちは、この岩を文筆峰と呼び、縁起の良いところとして大事にしたといわれている。
また、この付近には明治41年まで仲島遊郭があって有名な女流歌人吉屋チルーもここで短い生涯を終えた。


 This Ryukyuan limestone is 6m high and 25m around, and is in the out-of-town bus terminal yard.
It is commonly called “Nakashima-no-Oishi”.
It is a precious material bscause it infers that the area was formerly the sea.
Kume-son residents uaed to call the stone Bunpitsuho, and treasured it as an auspicious spot.
There used be Nakshima red-light district untilthe 41st year of Meiji (1908),
and the famous woman poet Yoshiya-Ontsuru is believed to have short life here.



沖縄県うるま市  ・  平安名の 「 ワイトゥイ 」 

2012-07-14 08:40:55 | 沖縄の文化財



長さ150m、高さ20mを切り拓いた道

























説明文の近くにある 「 開通記念碑 」






ワイトゥイはうるま市勝連の平安名 ( へんな ) 南西部の比殿原 ( ひどぅんばる ) と
嘉慶奈久 ( かげなく ) の農耕地へ通ずる断崖を掘削した農道である。
長年、村人は比殿バンタの急崖の険阻な山道を登り降りしていたが、
この苦難を解消するために、
岩山をトゥングェー ( 金鍬 ) とカニガラ ( 石割棒 ) など人力だけで150mもくりぬき、
昭和7年から昭和10年の3年の歳月を費やして完成したものである。
岩を割って取ったという意味から 「 ワイトゥイ 」 と呼ばれている。

この路標の右手の山には平安名ウフグスクがあり、
ワイトゥイの入り口の左右には古い墓が点在している。
グスクの石積みと間違って写真を撮っていたら古墓だったのを思い出す。

※ バンタとは断崖を意味するウチナー言葉


沖縄県うるま市勝連町平安名




沖縄県嘉手納町 ・ 読谷村 沖縄の文化財 「 榮 橋 ( さかえばし ) 」

2012-07-07 21:05:01 | 沖縄の文化財





























昨日紹介した嘉手納高校のグランドからわずか100mほど行った場所に榮橋がある。
嘉手納高校は嘉手納町だが、比謝川を挟んだ向こう側は読谷村になっているため、
榮橋は読谷村字牧原になる。


栄橋は読谷村の牧原と嘉手納町の屋良を結んだ橋で、
別名二重橋とも言われている。
読谷村と嘉手納町の間を流れる比謝川の上流にあり、
嘉手納高校のグランドからわずか100mほどに残るコンクリート構造物の残骸である。

この橋は、読谷村牧原久得にある台南製糖株式会社 ( 沖縄製糖株式会社 ) から
嘉手納町の工場にサトウキビを搬入する為に、
1930年 ( 昭和5年 ) 頃に建造されたもので、
コンクリート路板の中央にはサトウキビ運搬の為のトロッコ用の鉄軌道(レール)があり、
馬に引かせていたといわれている。
当時このアーチ橋は沖縄一美しい橋と言われ、付近は遠足や散策の場所だったそうである。
開通式には牧原の津覇さん一家、親子三代(実令・実義・実啓)が渡り初めをしたという。

戦争中は、この近辺に旧日本軍の駐屯地があったために、
1945年3月末、米軍の比謝川集結を見て、
南部に撤退する際に、米軍の進路を絶つ手段として爆破したそうである。



沖縄県嘉手納町  ・  沖縄の文化財 「 野国貝塚群 」

2012-07-01 14:24:12 | 沖縄の文化財







野国貝塚群
Noguni Shell Mound
( 県指定史跡 )
Prefectural Historical Monument


定年月日 : 昭和31 ( 1956 ) 年10月19日 
Designaed Date : October 19,1956
所在地 : 沖縄県中頭郡嘉手納町 野国
Location : Noguni,Kadena-cho,Nakagami-gun,Okinawa-ken

その他 : 昭和31年 ( 1956 ) 10月19日 琉球政府指定埋蔵文化財




 水釜集落の南端で、国道58号線に沿った砂丘地にある沖縄貝塚時代の早期
( 約7000年前~3600年前 ) 、前期 ( 約3500年前~2500年前 ) 、
後期 ( 約2000年前~12世紀 ) の遺跡である。
 この遺跡はA、B、Cの3地点に分けられ、A地点は遺跡内南側にある後期遺跡で、
平底型の土器や開元通宝という中国の古銭などが見つかっている。
B地点は遺跡内北側にあり、線状や爪形の文様の入った土器や文様のない土器など、
早期の土器が見つかっている。
C地点はA地点の東側にあり、伊波式・大山式と呼ばれる前記の土器が見つかっている。



 The group of shell mounds are on a sandhill along National Highway 58 and
the southern end of Mizugama village.
The group can be divided into A, B and C points.
The A point belongs to the late Okinawan Shell Mound Age, and it contains flat-bottomed
pottery and Chinese money.
The B point contains the early remains as pottery with liner and crescent-impressed
patterns, and pottery without patterns.
The C point is the north of the point A, and
contains the earlier remains called
Iha and Oyama pottery.





沖縄県嘉手納町  「 野国総管 ( のぐにそうかん ) の墓 」

2012-06-30 21:45:38 | 沖縄の文化財








野国総官の墓
The Tomb of Noguni Soukan

( 県指定史跡 )

Prefectural Historical Monument


指定年月日 : 昭和31 ( 1956 ) 年2月22日 
Designaed Date : February 22,1956
所在地 : 沖縄県中頭郡嘉手納町 兼久下原
Location : Kanekusimobaru,Kadena-cho,Nakagami-gun,Okinawa-ken



 沖縄に初めてさつまいもをもたらした野国総管の墓で、
海岸近くの琉球石灰岩中にある洞穴を利用してつくられている。
最初は洞穴をそのまま利用していたが、
1700年に石壇と石厨子がつくられて遺骸を移したという。
 野国総管は進貢船の総管 ( 天妃を祀る役目 ) として
中国 ( 当時は明 ) の閩 ( 福建省 ) から、
1605年にさつまいもの苗を鉢植えにして持ち帰り、
自分の故郷の北谷間切、野国に植えた。
その後、小録間切、儀間村の儀間真常によって、さつまいもは沖縄中に広められた。

 
The tomb of Noguni-Soukan who introduced sweet potato to Okinawa is in a cave
made of Ryukyuan limestone.
The tomb was remodeled by adding a stone platform and a miniature sanctuary.
Noguni-Soukan ( "Soukan” means a mission of Shinko-sen, a tribute ship to China )
brought sweet potato plants from the
province of Fukken in China ( the Ming at that time ) to Okinawa in 1605.
After that, sweet potato was distributed throughout Okinawa by Shinjyo Gima from Gima, Oroku.