今週の Le Point を開いて面白そうな記事を探す。文化欄に行くとアレクサンドル・デュマ (デュマ・ペール Alexandre Duma Père :1802 - 1870) についてのお話が出ていた。その中の
LES NÈGRES DE DUMAS
の見出しが目に飛び込む。Nègres とあるので、彼の出自に関するお話かと思いきや、この言葉には « personne qui prépare ou rédige un ouvrage signé par un autre écrivain (célèbre) » という意味があることを知る。代作者、ゴーストライターである。デュマのことを語るとき、常に付き纏う問題のようだ (le serpent de mer = 大海蛇;<ニュースのない時に>繰り返し取り上げられる俗受けのする話題 = sujet à sensation)。
そもそもの始まりは、デュマの協力を得られなかったジャーナリストによって1845年に発表された悪意に満ちた、人を貶める小冊子(la brochure haineuse et diffamatoire)。「アレクサンドル・デュマ小説工場」 とでも言うべき、« Fabrique de romans. Maison Alexandre Dumas et Cie » のタイトルで。相当に言葉遣いは荒いのだろう。上品に言えば (il est de bon ton de dire que ...)と断った上で、「三銃士」の作者は他の名作を書いてはいない、実際に書いたのは小説家志望の歴史の先生、オーギュスト・マケ(Auguste Maquet)だ、という内容らしい。
まず、戯曲。当時は協力者がいるというのは普通であったようだ。最も有名な協力者は、Gérard de Nerval で、共著があるという。ただ、旅行記、回想録は彼自身が書いている。
いくつかの小説は協力者が構想 (un canevas) を提供して、それを元に彼が書いていた。協力者はシナリオライターのようなもので、「誰がジョン・フォードやヒッチコックがシナリオのすべてを書かないからといって非難するだろう」と言っている。彼はそれから想像力を働かせて、元のものとは全く別物を仕上げていける(Le résultat final n'a plus grand-chose à voir avec la copie qui lui a été fournie.)天才であったとしている。
最も有名な協力者はオーギュスト・マケで、多くの作品に参加している。彼との不和の後には、ガスパール・ド・シェルヴィーユ (Gaspard de Cherville) と共同作業をしている。
名前を貸しただけのものは、「末っ子 (Un cadet de famille)」、「アイバンホー (Ivanhoé)」、「ロビン・フッド (Robin des bois)」などの翻訳もので、彼の愛人が訳していたようだ。特に Victor Perceval と名乗っていたマリー・ド・フェルナン (Marie de Fernand)が有名。しかし、そこでも彼が手を入れていたのだろう、デュマらしさが見て取れる (La griffe de Dumas crève les yeux.)という。
この記事の著者はデュマに非常に好意的で、もうそろそろこの伝説を忘れる時ではないか、と結んでいる (Les nègres de Dumas? Il serait temps d'oublier cette légende.)。