フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

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カネッティ三兄弟 LES TROIS FRERES CANETTI

2006-03-29 20:48:38 | 日仏のために

半年ほど前からP協会の広報のお手伝いをさせていただいている。フランスで行われた科学研究の成果を日本語で紹介するのがその役目である。今回はカネッティ三兄弟の名前を冠した賞 (結核研究に授与される) を受賞した研究の紹介であるが、その中にカネッティ兄弟についてのお話も出ていた。

エリアス、ジャック、ジョルジュの兄弟はスペイン系ユダヤ人家庭にブルガリアで生まれ、それぞれ文学、文化、科学という異なった分野で大きな足跡を残した。ということなので知る人ぞ知る兄弟のようだが、私にとっては初めての名前。興味を持って読んだ。

彼らの両親ジャックとマチルダ・カネッティはジョルジュが生まれてからブルガリアを離れ、イギリスのマンチェスターに移住する。1912年に父親が心筋梗塞で亡くなる。その時マチルダはまだ28歳。息子たちにドイツ語を学ばせるため、1913年からウィーン、チューリッヒ、ローザンヌ、フランクフルト、ミュンヘンを渡り歩く。しかし、ナチズムが台頭してくると、マチルダはジャックとジョルジュを連れてパリに落ち着く。1926年のことである。長男のエリアスはウィーンに残り、1929年に化学の研究で博士号を授与される。ジョルジュはエリアスのもとに行き医学を勉強。1931年にはフランスに戻り、1936年にパスツール研究所に加わる。パリに留まったジャックは1932年にポリドールに入社。母親のマチルダは1937年結核のため亡くなる。

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エリアス・カネッティ Elias Canetti (1905-1994): 作家、ノーベル文学賞

最初の作品 « 眩暈 » を1931年ウィーンで書くが出版には至らず。バベル Babel、ベルトルド・ブレヒト Berthold Brecht、カール・クラウス Karl Kraus、アルバン・ベルク Alban Berg、ロベール・ムジール Robert Musil などの知識人や芸術家と付き合う。1938年、水晶の夜 (Kristallnacht; la Nuit de cristal) の後、妻ヴェザとともにドイツを去り、イギリスに亡命する。1942年から彼の人生についての作品 « 群集と権力 » の執筆に打ち込む。1960年にこの作品が発表され、ドイツのみならず世界に知れ渡る。1977年から1985年にかけて自伝的三部作が発表され、その第一部 « 救われた舌 » は弟ジョルジュに捧げられた。1981年にノーベル文学賞を受賞。1994年、チューリッヒで亡くなる。

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ジャック・カネッティ Jacques Canetti (1909-1997): レコード製作者、 3 Baudets 劇場監督

彼はポリドールでジャズのラジオ放送を指揮し、ルイ・アームストロングなどのアメリカのジャズマンを初めてフランスに招聘する。マルセル・ブルースタイン・ブランシェ Marcel Bleustein-Blanchet の側でラジオ・シテの芸術監督として、エディット・ピアフ Edith Piaf (*) やシャルル・トレネ Charles Trénet (*) を発掘した番組など多くを手がけた。ナチズムに真っ向から反対し、偽名で巡業を計画し、1942年には北アフリカに行きアルジェに劇場を建てる。"解放"とともにパリに戻る。1947年から1962年にかけて、彼はモンマルトルの中心で「3 Baudets劇場」の監督として活躍し、ポリドール、さらにフィリップスの芸術監督になり、そこで根気強く芸術家をサポートした。

ジョルジュ・ブラッサンス Georges Brassens (*)
ジャック・ブレル Jacque Brel (*)
ギー・ベアー Guy Béart
フェリックス・ルクレール Félix Leclerc
フランシス・ルマルク Francis Lemarque
セルジュ・ゲンズブール Serge Gainsbourg (*)
アンリ・サルバドール Henri Salvador (*)
ボリス・ヴィアン Boris Vian (*)
レイモン・ドゥヴォス Raymond Devos
フェルナン・レイノー Fernand Raynaud
アン・シルヴェストル Anne Sylvestre
ピエール・ダック Pierre Dac
フランシス・ブランシュ Francis Blanche
ジュリエット・グレコ Juliette Gréco (*)
キャトリン・ソヴァージ Catherine Sauvage
クロード・ヌーガロ Claude Nougaro
など。

1962年、最初の独立レーベルのレコード会社「ジャック・カネッティ・プロダクション」 « Les Productions Jacques Canetti » を設立する。そこでは次にような人のデビューアルバムを製作。

ジャンヌ・モロー Jeanne Moreau (*)
セルジュ・レジアーニ Serge Reggiani
ブリジット・フォンテーヌ Brigitte Fontaine
ジャック・イグラン Jacques Higelin

また、コラ・ヴォケール Cora Vaucaire (*)、シモーヌ・シニョーレ Simone Signoret (*)、ミシェル・シモン Michel Simon などのライブ録音を行った。

(* 聞き覚えのある名前)

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ジョルジュ・カネッティ Georges Canetti (1911-1971): パスツール研究所の研究者

パスツール研究所でボランティアから始め、彼自身も罹った結核を専門に研究を発展させ、教授のランクまで上る。結核治療の原理を確立し、研究センターを設立。1954年にはレジオン・ドヌール・シュバリエ賞を受賞している。彼は医学研究の世界に留まらず、シルヴァン・コントゥー Sylvain Contou やロラン・バルト Roland Barthes などの文学や哲学の分野の人とも固い友情を結んだ。1971年ヴェニスに死す。

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三兄弟の話を読み終わって、境界などには全く囚われない好奇心に溢れた強靭な精神が立ち上るようで刺激を受ける。エリアスの本2冊、« 眩暈 » と « マラケシュの声 ― ある旅のあとの断想 » を注文していた。

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4 コメント

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お知らせ (lunettes)
2006-03-29 22:58:09
突然ですが、都合でブログを閉鎖させていただくことにしました。今までありがとうございました。



paul-ailleursさんのブログ、引き続き読ませていただきたいと思っています。

落ち着いたら、また伺います。
返信する
ご連絡ありがとうございます (paul-ailleurs)
2006-03-29 23:38:36
最近更新されていないようでしたので、どうしたのか気に掛けていたところです。残念ですが、ブログとは別にフランス語の方は続けられることを願っております。私の方も考えるところはありますが、何とか続いています。またお訪ねいただければ幸いです。
返信する
Unknown (seedsbook)
2006-03-30 14:29:34
カネッティの"断ち切られた未来

”Der Ohrenzeuge"を読んだ事があります。

Der Ohrenzeuge"が面白かったです。

断ち切られた未来はもう一度読んでみないと。。。忘れてしまいました。

"群集と権力”も持ってはいるのに、積読ばかり。。。



最近どうも楽なほうに流れがちです。。(苦笑)
返信する
Unknown (paul-ailleurs)
2006-03-30 18:48:50
昨年がエリアス生誕100年ということで再版が出たようですが、アマゾンで見る限り私の注文したものだけだったようです。「断ち切られた未来」、「 耳証人」、「群集と権力」もいずれ読んでみたいと思います。思いもよらなかった繋がりでしたので、因縁を感じています。

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