フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

ヴァレリーの本届く DES LIVRES DE VALERY M'ONT ETE ENVOYES

2006-01-20 23:54:17 | 海外の作家

またやってしまったという感じである。先日 Paul Valéry (1871-1945) の本が三冊も届いた。そこで注文していたことを思い出した。去年の DALF-C1 の試験以来、頭の片隅にあったのだろう。

Variété I et II
Variété III, IV et V
Tel que

折角なので、このところ通勤時間はヴァレリーさんとご一緒している。« Variété I et II » から始めているが、文章の密度が濃く、参考にしたい表現に溢れている。言葉がおもしろいように紡ぎ出されるという印象だ。内容も興味深いものが多く、目を見開かされる。気に入ったものがあれば、これからちょくちょく書いていきたい。

今日は、この本の最初のエッセイ "La crise de l'esprit" (精神の危機) 。過去に栄えた文明や帝国が、その学問も文法も辞書も、科学も文学も批評も、すべてが跡形もなく灰燼に帰すことがあった。文明は生命と同じように危ういものなのだ。この話を聞いて、アレキサンドリアのことを思い出した。先日の 「書の至宝」 展も、漢字文化がよくここまで残ったなという感慨を持って見ていた。

このエッセイでは、ヨーロッパ精神なるものの危機について考えようとしているようだ。そのためには "Mais qui donc est Européen ?" (ヨーロッパ人とはそもそも何者なのか?) という問に答を出さざるを得なくなる。その答えを読みながら、これはどこかで聞いたことがあるという思いでいた。

ヨーロッパの優越性を決めているのは人間の質である。積極的に事に向う気持ちや強いが偏らない好奇心、想像力と論理力とのバランスの良さ、懐疑的だが悲観的ではなく、神秘主義だがそれに身を委ねてしまうことはなく、、というようなことがヨーロッパ精神に特徴的に見られるという。

あくまでも一つの見方として、このようなことを言っている。ヨーロッパ人に共通するのは、歴史の過程で次の三つの影響を受けたことである。一つはローマの影響。第二に、キリスト教。第三には、ギリシャに負うところが大であるという。例えば、人が人としてあるための精神のあり方、考え方。それから、ある判断を批判的に詳細に解析すること、それにより、夢想やあやふやなもの、完全に想像の産物であるものから回避すること。ここからしか科学は生まれなかっただろう、ということになる。これこそヨーロッパ精神の最も確かで、最も個人的な栄光である。他の国にも芸術はあるが、真の科学はヨーロッパにしかなかった。ヨーロッパが科学の生みの親なのだ、と強調している。

どこで聞いたのかを思い出した。以前に紹介した 「美しきもの見し人は」 (堀田善衛著) の中で、ヴァレリーがヨーロッパ精神を特徴付けるものとして 「ギリシャ」、「キリスト教」、「科学精神」 の三つをあげていると書かれていたのを。その原典を今読んでいるという喜びがある。

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