フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

禁欲主義者あるいは快楽主義者 SUIS-JE ASCETIQUE OU HEDONISTE ?

2006-08-06 11:52:56 | Qui suis-je

フランス人ご夫妻の D & C と食事に出た。昨年初めてお会いした飯田橋で新しいレストランを紹介していただいた。最近は、簡単なお話をした後、直ちに生のお話へと進むようになっている。昨日話題にした日本の高校には哲学という教科がないという話を出した。大学で哲学に興味を持った人だけに哲学を教えるのではなく、一つの基本的な素養として哲学的なものの見方を教えることの大切さについては彼らも全く異議を挟まなかった。

その話をしている時、哲学研究者はいるが哲学者は極めて少ないという日本の哲学の状況を思い出していた。私が調べているわけではないが、そういう意見が哲学者の側から出てきているので、おそらくそこにはある真実が含まれているのだろう。哲学的にものを考え、新しい境地を開くという歩み方をしている大学の教師が皆無に近い状況では、哲学の持つ重要性にはひょっとすると気づいていないのかもしれない、などと不遜にも思っていた。哲学者や哲学の流れを解説する人も必要だろうが、営みとしてはサラリーマン的にも感じる。

何かの拍子に、私には禁欲的なところがある (ascétique; acète; ascétisme) と言ったところ、D はお前はむしろヘドニスト hédoniste だと言い出した。快楽主義者という訳語しか知らないのだが、人生に気持ちのよさを求めているというようなところがあることは感じていたので、それほどの違和感はなかった。

ウィキペディアの "hédonisme" 中に次にような一節がある。

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L'hédonisme (du grec hèdus, « agréable, plaisant ») est une doctrine philosophique qui fait du plaisir le but de l'existence.... beaucoup de philosophes hédonistes ont tenus des postures athées ou agnostiques (Epicure), matérialistes (Démocrite), voire aussi libertaires, anarchistes (Michel Onfray, revendiquant l'anarchie comme la modalité politique de l'hédonisme).

ヘドニズム (ギリシャ語の「気持ちがよい」、「快適な」 を意味するヘドゥス hèdus に由来する) は喜び・快楽を存在の目的とする哲学の教えである。…(しかし)… 多くのヘドニズムの哲学者は無神論、不可知論の立場 (エピキュロス)、物質主義の立場 (デモクリトス)、あるいは完全自由主義、無政府主義の立場さえ採っていた。ミシェル・オンフレは無政府主義をヘドニズムの政治形態と主張している。
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この文章を読んだ時、以前に D から 私は fataliste で anarchiste だと指摘されたことを思い出していた。この文章の最後のところで anarchiste と hédoniste とが繋がっているのを見て、不思議な気持ちにさせられた。本当にそうなのだろうか。それに対して積極的に否定できるだけの材料は多くは見つからないようだ。ミシェル・オンフレという人にも興味が湧いてきている。いつものことながら、何かが出てくるお食事となった。

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