LE POINT の2月1日号にエディット・ピアフの特集が出ていた。
エディット・ピアフ Édith Piaf (19 décembre 1915 - 10 octobre 1963)
彼女を発見するきっかけになったのが、"Non, je ne regrette rien" であることはこのブログでも書いたことがある。それまで名前だけだったこの大歌手が、突然自分にとって意味のある存在になったその瞬間のことを。
今回の記事は、Olivier Dahan 監督による彼女の映画 "La Môme" (このサイトで予告編、写真などが楽しめます) が2月14日から公開されるのを機に組まれた13ページ及ぶ大特集である。すべてはカバーしきれないので、私にとって因縁の曲を作った現在77歳の方がピアフを語っているところだけをつまみ読みしてみた。
シャルル・デュモン Charles Dumont (1929 -)
「私がピアフに会ったのは、まだ30歳の時です。それまでに、ダリダ、コレット・ルナール、ティノ・ロッシ、アニー・コルディなどに曲は書いていました。いつも彼女に曲を書きたいと思っていました。私にとって星のように輝くものでした。おそらく私だけではなく、フランスそしてナバラのすべての作曲家にとってもそうだったでしょう。
"C'était pour moi l'étoile. Pas seulement pour moi, mais pour tous les compositeurs de France et de Navarre."
ミシェル・ヴォケール Michel Vaucaire が "Non, je ne regrette rien" を作った後、1960年10月5日午後5時、ランヌ街63番に行くと彼女の秘書が迎えてくれた。彼女がお風呂に入っていたので、一時間待つことになりました。私が弾き終わった後、彼女はこう言いました。『この曲を書いたのは本当にあなた?』 そしてこう付け加えました。『あなたが書いてくれたこの歌は世界を駆け巡るでしょう』と。
"Est-ce que c'est vraiment vous qui avez écrit ça ? Jeune homme, cette chanson que vous m'avez écrit, elle fera le tour du monde."
私は家に帰って狂喜していました。彼女はその夜電話もしてくれたんです。それから朝の2時まで弾き続けました。オランピア劇場の支配人ブルーノ・コカトリックス Bruno Coquatrix が是非自分のところでやってほしいと懇願に来ました。彼女は "Non, je ne regrette rien" という曲があると言って、それから3ヶ月間オランピアで公演をしました。その舞台で歌う前に曲の作者を言ってくれるのは彼女だけでした。・・・それから私の人生は変わってしまいました。エディット・ピアフに会わせてくれたことを神に感謝しています」
"Sur scène, il n'y avait qu'elle qui, avant d'interpréter une chanson, annonçait le nom de l'auteur....Ma vie en a été changée. Je remercie le bon Dieu, si on y croit, de m'avoir fait rencontrer Edith Piaf."
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この中で、彼女のアパートで 「一時間待った」 という意味で、彼は "On a poireauté une heure." と言っている。poireau (ねぎ) の植わっている姿が待つことを連想させるのだろうか。rester planté comme un poireau, faire le poireau という表現もあるようだ。
訳して頂いたその通りです。健康を害していますので、明日は移ろいやすい希望でもあります。
昨秋モンタンの最も素敵な舞台写真を専門家にA4判大にコピーしてもらい、額に入れ、玄関に飾っています。見て頂きたいほど、モンタンの呼吸が聴こえてきます。オペラ歌手ではカレーラスでミーハーですが、まだ無名に近い頃大阪公演を聴いて以来ですから、年季はちょっと違うと”自負”しています。
有難うございました。
モンタンの枯葉でめくるけふと明日 ミコ
sur "les Feuilles mortes" de Montand
je tourne
aujourd'hui et demain
(Miko; traduit par paul-ailleurs)
勿論深夜ピアフを聴きながらの勝手な心境です。
俳句は自分を主語とする短詩と言われており、ここでは封印の溶けゆくのを感じているわたしが主語という訳です。
それにシャンソンを辛うじて口ずさめるのは、モンタンになったつもりの「枯葉」くらいです。越路吹雪や岸洋子ら、いえ本場歌手も含め「愛の賛歌」の真髄を歌える歌手は居るのでしょうか?ピアフの死を知ってジャン・コクトーがショック死したエピソードもあまりにも有名です。
また、折をみてモンタン秘話もご披露出来たらなあと思います。たびたび拙句への訳有難うございました。
モンタンの枯葉でめくるけふと明日 ミコ
昨日のピアフの俳句ですが、ピアフが歌うのを聞いて心が開いていったと読んで仏訳しましたが、Nao様からピアフを歌っているのはご本人ではないかとの指摘があり、そう考えた方がすっきりするのではないかと思い、そちらの解釈でも訳してみました。
en chantant le Piaf
mon coeur se descelle
le deuxèime mois de l'année
(Miko; traduit par paul-ailleurs)
le vent d'est souffle
un millier de chansons
chantent et dansent
(Miko; traduit par paul-ailleurs)
新しい俳句、ありがとうごさいます。
Mercibeaucoup
以前からお聞きしようと思ってたのですが、仏文に醇という文字が時折入ります。訳して下さったのにもあります。eかiにアクサンがついてるのでしょうか?ポールさんが開かれて治っているのなら、難問題ですね。
調子に乗ってーー
東風吹かば千のシャンソン歌ひ舞ふ ミコ
ピアフ歌ひ封印溶けゆく如月かな ミコ
Piaf chante
mon coeur se descelle
le deuxèime mois de l'année
(Miko; traduit par paul-ailleurs)
ありがとうございました。
グレコと言えば、2-3年前でしょうか。何を思ったのか彼女のコンサートに出かけました。その時、会場のシャンデリアが大きく揺れるかなり大きな地震があり、どうして来てしまったのかと思った記憶があります。そのためか、彼女の歌の印象が薄れてしまっているようです。
毎日のようにお邪魔してご免なさい。3日夜のNHK放送「ラジオ深夜便」の2時からがピアフとグレコの特集でした。精神性を秘めた歌唱の彼我の違いは歴然で、あらためてピアフとモンタンとの交流の日々などに思いをいたしました。
モンタンの来日は2度ともライヴを聴いてますが、晩年の82年の方がはるかに深い印象を残しています。グレコの記者会見で、わたしの顔を見ながら彼女が「あなたの歯並びはフランスでは幸せのシンボルなのよ」と言ったのですが、意味も判らず、その後矯正しました。今でもグレコを聴くと、あの初来日だった彼女の立ち居振る舞いをつい思い出します。
ピアフ歌ひ封印溶けゆく如月かな ミコ