Amateur d'art 氏が、もう政治的なことに興味がなくなって久しいと書いているのを読んで、自らの来し方も振り返ってみた。そうすると、いつも遠くからものを眺めてきたように思える。アメリカに行くまでは人生の上でも社会的にも何とかしなければ、という気持ちが強かった。しかし、アメリカ生活がヴァニテ vanité に身を委ねることなく生きていけるように芯を変質させたのかもしれない。あるいは、そうなるまで待ったと言った方が正確かもしれない。
ニューヨークでの上司はイギリス人で、やや世捨て人 ermite のような感じであった。仕事だけに打ち込んでいて、それだけで満足しているような人。以前に触れたことのあるジェルファニョンのような生き方である。彼を見ているうちにそういう生き方もあるのだ、そう生きても満足が得られるのだ、ということに気付いた。そして、その生き方が、あるいはその方が深いよろこびをもたらすということを体で理解してしまった。
今のようなものの見方が前面に出てきたその源を辿ると、こんなところに行きつくのかもしれない。大学卒業とともに命を絶った友人も、いつも遠くから優しげな目で見ていた。彼とは学生時代にクラッシク音楽をともにし、BST こと Blood Sweat & Tears の存在も教えてもらった。気分を解放したい時に、よくそのレコードを回す。そんな時、彼のことを思い出す。