フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2015年04月①

2015年04月01日 | しゃちょ日記

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2015年4月15日(水)その2093◆他人さまとも思えない

新鮮にしてシンプルなきらめき。

バッハのブランデンブルグ協奏曲。
近ごろはマックス・レーガー(独1873~1916年)のピアノデュオ編曲盤に凝っていて、
かれこれ三日ほど、こればかり聴いている。

バッハ原音のピックアップ方法が極めて独創的で、
原曲の魅力とは異なるハッとする瞬間を随所で主張する。
どこをどう拾うかというセンスが素晴らしくて、同時に大胆な削り方に凄みがある。

「あれもこれもと欲張る愚を改めよ」。
云ってしまえば、人間が陥りやすい罠をあざ笑うかのような、
突き抜けて潔い響きに驚かされる。その意味では実にフラメンコ的だ。

編曲者である作曲家レーガーは、2メーター近い身長と100キロを超える体重から
「ドイツ最大の音楽家」と呼ばれた。( ̄▽ ̄)
また「非常に醜い顔」の所有者であり、その豪快な人となりで
多くの逸話や三流ジョークを残したという。

暴飲暴食とニコチン中毒。過労と心筋梗塞によって43歳で他界したレーガー。
短い生涯と、音楽的にはやはり天才であったことを除けば、とても他人さまとは思えない。

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2015年4月14日(火)その2092◆生誕六十周年

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並べた写真は、生誕60周年記念『時は過ぎゆく』。

スーツのやつが20年前、四十の頃だな。
離婚したころだよ。
しっかし、20年も昔にすでに四十だったってことが恐ろしい。
パセオ始めたころにゃあ四十まで生きることが目標だったからなあ。
いろいろあったよ、ホントに(笑)
おれってほんとにパーでんねん。
そして昨日はまさかの六十。
四捨五入すりゃ百だからね、信じられねーご長寿さんだよ。
パセオだって、もう31歳だからね。
すでに人生の半分以上、このアブねー道楽息子とともに歩んだことになるわけだから、たしかに運だきゃめっちゃ強い。
当時は、三号は持たない!ってさんざ云われたパセオだからな。
わかんねーもんだよ、人生ってえのは。
夢は何?って聞かれるたびに、ずっとこう答えてきたよ。
「いまが夢だよ」

ま、そりゃさておき、昨日はたくさんの方々よりご祝辞をいただき、
身に余る光栄を感じております。ほんとうにありがとうございます。
博愛に充ちたコメントも多数いただきましたが、
〝明日への希望〟という点で最も優れたメッセを、
謹んで以下にご紹介させていただきます。

「お誕生日おめでとうございます。
 これからもエネルギッシュにガンガン行って下さいね。
 そのうち私にも突っ込んで下さいなwww」

独特の口調から犯人を特定できる方が十人ほどいると思うが、
私的には自首をお薦めしたいと想ふ。
その後のメッセのやり取りも是非ともご紹介したいのだががががが、
ちょっとばかりアブアブアブぶぶぶぶび

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2015年4月13日(月)その2091◆〝楽屋裏〟初稿

「〝ガロティン〟に対する評価が、根底から変わりました」。
当ライヴシリーズの年間シート予約者の智ちゃん(百キロは走るマラソンウーマン)の、
ライヴ終演後のエキサイトな開口一番
「ガロティンはプログラムの添え物ではないことを初めて思い知らされました」。

想えば私がパロマ(小島慶子)にロングインタビューを申し込んだきっかけも、
やはり高円寺エスペランサで観た
この目を疑うような完璧な出来映えの彼女のガロティンだった。
カウンターで仲良く並んで観ていた今はなき大御所・本間三郎師匠と私は、
フラメンコの粋を極めるその奇跡のバイレにド肝を抜かれ、
思わず顔を見合わせ言葉もなくただカラカラ笑い合ったことが懐かしく想い出される。

シリーズ第三弾4/9の小島慶子ソロライヴは、
前回に引き続き立ち席までソールドアウトの大盛況。
大きな期待をさらに上回るライヴの大盛り上がりに熱狂する観客席。
アレグリ~ガロティン~ソレアの三曲のバイレソロと
合間のカンテソロに心置きなく酔いしれるフィジカルな幸福、ファンタスティックな感動。
再アンコールの独り即興締めの冴えに膝が震えた。

長丁場もほとんど一筆描きに踊り切ってしまうパロマの天衣無縫な旋律美を
〝フラメンコのモーツァルト〟と私は呼ぶ。
軽やかに流れるようでありながら、シンフォニックな厚みと
ダイナミクスは常にステージいっぱいに溢れる。
そのスリリングな包容力は観る者の時間の経過をも忘れさせ、
熱く躍動する純正フラメンコに私たちは身も心も預けきってしまうのだ。
そしてその希望に充ちた余韻は、いついつまでも
現場に立ち会った人々の心の中に生き続ける。

新鋭・石井拓人に忘備録執筆を任せ、
今回から雑用&セコンド役(丹下段平のイメージ)に専念する私に、
ラストのソレアを踊るために楽屋から飛び出した小島慶子は
キラキラ輝くあの笑顔でこう云う「倒れそうになったらタオル投げてねっ!」。
うっかりタオルを忘れてきた私は彼女の背中にこう浴びせる
「そん時ぁ、立つんだジョー!って叫ぶからっ」。
観客席の期待に120%応えるように、パロマだけに可能なあの大きな華と重みを以って、
それはそれは美しいソレアを深く彼女は舞ったのだ。

   月刊パセオフラメンコ2015年6月号「楽屋裏」初稿

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2015年4月12日(日)その2090◆ファンタジスト

幸運に恵まれ、はしゃぎまくりのお祭り気分のとき。
あるいは、不安なり焦りなり怒りなり、ちょっとドヨヨン気分のとき。
   
そのどちらであっても、喉が渇いたから水を呑むように、
ところ構わずバッハを聴くのは、ウォークマン時代からの習慣だ。
現在は大量のバッハ音源をアイポッドで持ち歩くが、
どちらの場合もグレン・グールドのキーボード演奏を選ぶことがダントツに多い。

歓びや哀しみでうっかりブレブレになりそうな私は、そこで程良い心持ちを取り戻す。
これによって、はしゃぎ過ぎてドブにハマったり駅のホームから落っこちたり、
道で車にブッ飛ばされることが防げるし、
どよよん気分の時には目前の風景に落ちついた明るさをプレゼントされたりもする。

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まあ、グールドというのは私にとって、そんなふうな好ましい平衡感覚を
瞬時に呼び覚ましてくれるファンタジストなのである。
そんな彼がこよなく愛した明治期の日本人ファンタジスト夏目漱石は、このように云っている。

「運命のことは神に任せて、人間は人間に出来ることをやればいい」

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2015年4月11日(土)その2089◆誤爆の報い

それほど親しい間柄ではないが、好ましい人物と感じていた。
まだ若いその彼がネット上で突然にキレた。
おおよそのことは想像がつくしそこに同情もするのだが、
今回の発信は事実関係を踏まえることのない明らかな誤爆であり、
誤解によって攻撃された対象は理不尽や怒りを心に刻むことになる。

また、事実関係を確認することもなく安易にその誤爆に同意(いいね!)する人たちも
同様のお仲間とみなされることになる。
ツイッターやFBがバカ発見機と称される所以だろう。
馬鹿げた〝負の連鎖〟はこうして発生する。

いわゆる「人運(人の世における幸運不運)」というものの正体のひとつもこれだろう。
誤った悪口を発信拡散すれば、結局のところ、人々はそこから自然と遠ざかるものだ。
口コミによってさらにその傷口は拡がり、やがて人運を失なう。
若かった私も往々にしてバクダン発言野郎だったから、彼の気持ちも分かるし、
また、それによって大いに人運を失なうことになった理由も今なら分かる。
当時はネットが無かった分だけ受ける報復も少なくてすんだが、今は状況も違う。

現代は広く自由に発信出来る時代だ。
だが、勘違いをしてはいけない。
自由には常にもれなくセットでリスクが付いてくる。
なんぼフラメンコが自由と云っても、それはコンパス厳守という
共通認識の上に成り立つ自由であるのと同じことだ。

垂れ流すだけの愚痴や事実を検証しない誹謗中傷には、
結局自ら落とし前をつけるよりないのだし、
私もその後の生き方によって払うものは払ってきた。
それは例えば、的はずれな悪口の放棄、より正確な分析と美点の発見。

私は建前を嫌い〝本音〟や〝素〟を愛するが、人間社会に生きる以上、
コンパス厳守(自立協働)はあたぼーのセットだと強く認識したい。
自由を放棄する建前に安住するのは御免であり、
そのギリギリの真情ラインを追求するのがフラメンコだと思っている。

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2015年4月9日(木)その2087◆本日、小島慶子ソロライヴ

今宵は高円寺エスぺランサのパセオフラメンコライヴ、その第003回目。
通しナンバーを3桁にしてあるのは、死ぬまでに100回はやりたいから。

主演はフラメンコ界の〝ジュピター〟パロマ小島慶子。
ほとんど一筆描きに踊り切ってしまうあの天衣無縫な旋律美を
〝フラメンコのモーツァルト〟と呼んでしまいたい!
そんなんでこの人のライヴの日は、昼間っから気分がウキウキしている。
20時スタートだが、雑用&セコンド役の私は18時イン。

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パロマ本人はプレッシャーに弱いとかなんとか云ってるが、
そんな風情の彼女は昔から一度も目撃したことがない。          
まあ、あのパコ・デ・ルシアでさえ、本番前の極度の緊張にはマイってたってくらいだから、
それはおそらく本当なのだろうが、それもせいぜい舞台に上がると同時に
自然とスイッチが入ってしまうまでの話だろう。

プレッシャーに対する弱さには定評のある私なんかだと、
まだ二十代の頃ある大御所アーティストのインタビューの席で、
ド緊張のあまり、な、なんと居眠りしちまったことがある。
プレッシャーというのは「二日酔い+寝不足」の症状に実によく似ていると、
あのとき二日酔いの私はそう思った。(時効は成立)

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2015年4月9日(木)その2086◆平松加奈と屋良有子

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疾走するフラメンコジャズ!

平松加奈 con Armada y 屋良有子。        
凄いメンツである。
よりによってパセオライヴ(小島慶子)とぶつかっちまうなんて。

だが、ぬかりはないし・・・抜け毛はある。

パセオ編集部からは異色の建築家ライター本橋勝が参上し、
公演忘備録に筆を振るうのだっ!

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2015年4月8日(水)その2085◆ジュピターの舞

「Alegría 、Soleá 、Garrotínの3曲踊ることにしました。
曲の間にギターソロとカンテソロが入る予定ですが当日、五時半入りして
何をやるのかどれくらいやるのか話し合うことになっています。
踊り曲3曲できるのかどきどき。
最後にFin de Fiestaやると思います。
というかぜんぜん決まりません。とりあえず3曲のみです。」

きのうパロマ(小島慶子)から、プログラムについてのメール到着。
いよいよ明日木曜は、小島慶子ソロライヴ(高円寺エスペランサ)。
前回に引き続き指定席・立見席ともにソールドアウト(83名)である。
出演メンバーはもちろんツワモノ揃い。
そしてもちろん、プログラム内容は当日本番までどうなるかわからない!(笑)

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★パセオフラメンコライヴ Vol.003
小島慶子(バイレ)
エル・プラテアオ(カンテ)
ペペ・マジャ・マローテ(ギター)
金田豊(ギター)
         
パロマのライヴに向かう心は、いつでも〝ルンルン気分〟。
その理由をパセオフラメンコ4月号にこう書いた(↓)。
       
パロマ(小島慶子)はうんと若いころから突出した本格バイラオーラだったが、
十年ほど前にタブラオで踊った彼女のガロティンの大胆重厚優美に、
グサリ私は突き刺された。
「何でもかんでもスペイン人」の時代は終わったと予感したのは、まさしくあのライヴだった。

息の永いフレージングから紡ぎ出されるメロディアスな生命感にあふれるムイ・フラメンコは、
いつでも期待を裏切ることなく小島慶子の天才性を浮き彫りにする。
彼女の踊るアレグリアス、ガロティン、グアヒーラは、
まるでモーツァルト最後の交響曲『ジュピター』のように
哀しいまでに華やかな歓喜を響かせる。

長丁場のヌメロも、ほとんど一筆描きに踊り切ってしまう
あの天衣無縫な旋律美の正体は一体何か?
インタビューの折に、バッハやブラームスをこよなく愛した彼女の
父親の影響を探り当てはしたものの、
スペインにも日本にも類型を見ないこの天然系花形バイラオーラの光と影を
正確に因数分解することなど元より不可能と悟った。

毎回のステージで完全燃焼するたびに逞しい深化を刻みゆく小島慶子。
過去も未来もない。生きる実感はいまこの瞬間しかない。
好ましい未来は好ましい今現在の連続の上にしかあり得ない。
そういうシンプルな真実をステージ上に鮮やかに刻印する
パロマのフラメンコに触れあう幸運!

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2015年4月8日(水)その2084◆バッハとパコとピケティと

すでに対岸の火事ではない。
紛争の原因は経済格差、そして共通認識の不足。
国籍・老若男女を問わず、一人ひとりの教養と行動が未来を決する時代。

地球上の経済闘争を解決するものはこの時代、宗教ではなく普遍的教養。
キリストやイスラム(ことによると仏教までも)が
楽しげにフュージョンするフラメンコの懐の深さは、それゆえ信じられる。
ジャズでもロックでもサンバでもラップでもその他どんなジャンル手法でも演奏出来て、
楽器編成まで何でもありのバッハ、
その巨大な音楽像は全人類が共鳴できる明快な設計図ゆえに信じられる。

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一方、実際の経済技術論として信じられるのは、
今のところピケティ理論(富の国際的再配分)が最有力に思える。
にしてもスタートから実現までざっと三十年は必要だろう。
そこに着目するヘナチョコ民主党。現状は付け焼刃まる出しだが、
長期スパン・国際的視野をもって本気でやるなら応援するぞっ!

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2015年4月7日(火)その2083◆アルモライマ

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「失敗した分だけ知恵がつく、闘いながら闘い方を覚える。パセオの流儀はそんだけだよ」
              
ふと気づけば、すでに一年近くこんなマヌケな説教をしてない。
パセオ四月号を読んで、企画力・技術力・体力・決断力において、
小倉編集長に完全に追い抜かれたことを思い知った(汗)。
おまけに奴は、頼みもしねえ大幅コストダウンを実現しやがった。
だが、年齢・体重・ワル知恵だけは圧倒的に私の方が上なので、
総合力的には五分五分と見ていいだろう。

mixiでフラメンコギターを弾くライター小倉をスカウトして早五年目。
いつかこんな日が訪れると確信していたが、それは予想より二年ほど早かった。
こうなってみれば、今度は私にプレッシャーがかかる番だ。
そう、この創業社長さまの底力をまざまざと見せつける出番がやって来た。

すでに底力は使い果たしてしまった点に問題があるが、
本当の成長はそこから始まると思うことにする。
冒険再開のジャマーダのように、久しぶりに
パコ・デ・ルシアのアルモライマががんがら脳内をこだまする。
キターーー(゜∀゜)ーーーー!!!!

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2015年4月6日(月)その2080◆忘れな草

忘れな草。
その花言葉は「真実の愛」、
あるいは「私を忘れないで」。

土曜の昼下がり、ご近所スーパー買い出しからの家路、
小さな花屋で〝忘れな草〟の鉢植えを見つけ160円で求めた。
書斎横手の裏庭にぽつんと置いて、いまもその清楚な響きを楽しんでいる。

中世のドイツ。
騎士ルドルフはドナウ川岸辺に咲くこの花を、
最愛のベルタに捧げるべく岸を降りるのだが、
誤って川の流れに飲まれてしまう。
最後の力をふりしぼって彼は花を岸に投げ届け、
「僕を忘れないで」と叫びながら力尽きる。
残されたベルタはルドルフの墓にその花を供え、
彼の最期の言葉をこの花に名づける。
(英語:forget-me-not/独語:Vergiss-mein-nicht/日本語:忘れな草)。

哀しさよりもその伝説の美しさに圧倒されるのは、
人生長けりゃいいってもんじゃないって実感する、寄る年波のせいだろう。
さて、「忘れな草」と云えばもうひとつ、ドイツの詩人アレントの作で、
翻訳したのは〝山のあなた〟の上田敏。
七五調のメロディが、川の流れそのものじゃん(笑)。

流れの岸の一本(ひともと)は、
御空の色の水浅葱、
波、ことごとく、口づけし
はた、ことごとく、忘れゆく。

(川の岸辺の一本の忘れな草。花の色はさながら晴れた空の水浅葱色。
この花に口づけするかのように、流れる水が次々に寄せ来る。
だが次の瞬間、この花のことなど忘れたかのように流れ去ってゆく)
      
都合のよい記憶の差し替えってことは分かっちゃいるのだが、
記憶の中の故郷の水辺には決まって
この地味ながらも清楚にして可憐な花がひっそりと咲いている。

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2015年4月5日(日)その2079◆ボーダーライン

栄光の都電25番線。
彼は私の故郷・小松川と日比谷公園を毎日せっせと往復した。

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中川に架かるこの木橋をダッシュで向こう岸に渡ることは、
地元・小学一年生慣例の最初の試練だった。
想えばあれが幼いなりの自立の第一歩だったか。
地元・江戸川区のこっち岸から対岸の江東区まで渡り切った時の、
達成感と安堵の入り混じった気分は今でも生々しく覚えている。

ちなみに、パセオフラメンコ編集部というのは、
ちょうど中野区と杉並区の区境の線上に位置している。
私の机は杉並区にあるが、入口やトイレなどは中野区なのである。

あいにくこの区境に川は流れてないため、杉並区にある社長デスクから、
隣接する中野区にあるトイレに徒歩(走れば5秒)で出張する時など、
幼い頃のあの達成感と安堵の入り混じった気分を味わえないことを、
時折ちょっとだけ残念に思うのである。

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2015年4月4日(土)その2078◆適度のストレス

心の中には愚痴やら云い訳やらをそこそこ飼ってる人だが、
それを口に出すことはほとんどない。
それを聴かされる方はたまったもんじゃねえし、
そこまで周囲を不快にさせてまで生きていたいとも思えない。

だが、自分の内側に適度にそれを飼うことには少なからずメリットがある。
鬱屈を貯め過ぎればつぶれてしまうだろうが、
適度の飼育とその解決策の発見は大なり小なり自分を成長させてくれるものだから、
それは両刃の剣のようなものだろう。

そんなんで私の場合は、ふだんから三割程度の
メランコリーとともに暮らす状態がベスト・コンディションなのかも。
適度の緊張があると逆に仕事がはかどるから、
それによって遊ぶ時間を創出できるメリットも小さくはない。

現代社会のウツブームはちょっとインチキ臭い。
薬で解決できる性質のものでもあるまいと思う。
元来人というのは悩むことが大好きな動物なのである。
悩むからこそ発展やら平穏を楽しむことが出来るのだから、
いいとこ取りなどハナから不可能なのだ。
          
楽しいことは楽ではないことを教えてくれたのはフラメンコだった。
「できるだけ素で生きるためのセンス磨き」。
極論するなら、それが私のフラメンコであり、
パセオ出版のモティーフであり、人生が大好きな理由でもある。

ギャグとともに本音・真情を磨く。
それを聴かされる方はたまったもんじゃねえと云われることは多いが、
適度のストレスは人間を成長させることを忘れちゃいかんと鋭く反論するおれ。

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2015年4月3日(金)その2077◆美女の理想

「ウソつくとすぐ顔に出るタイプなんです」

昨晩の元代々木どさんこ。
前半戦はマイケル親娘と呑む。マイケルの愛娘レイカ18歳は、
綾瀬はるな系のそうザラにはいない本格美人。

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棚刺してあるパセオコーナーからマイケルがガデスの表紙号をつまみ出し、
この人の会社が作ってる本だよと娘に差し出す。
パラパラめくる彼女はちょっと私を見直したようだが、
その表紙は若い頃のオレだよと云うと、
見直して損したみたいな顔で笑った。
真っ直ぐな気性のよゐ子なのである。

子供が大好きなので保育士になると云う。
人生の大半を大好きな対象とともに過ごす。
そういう明快な生き方って、私は好きだな。
どんな仕事も大変なのはいっしょだが、
好きなジャンルは辛抱の甲斐があるから、知恵と幸運とを貯めやすい。

理想のタイプの男性は?と問うと、
キラキラ眼を輝かせながら彼女は即答する。
おいマイケル、やったなあ!

「父みたいな人です」

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2015年4月2日(木)その2076◆初体験

住まいをパセオ近く(中野)に移し早三ヶ月半。

家で過ごすときの多くは、お気に入りのステレオで
バッハやパコや落語なんかを盛大に流してる。
やたら居心地がいいので外呑みが激減し、今ではせいぜい週三日。
酒量も減って、放っておいても月1~2キロ減量できる。

まるで衣食住にこだわらない来し方だったので、
住環境の変化がもたらす意外な現象を楽しんでる。
こうしたリラックスには、往復の通勤時間が計10分に縮まったことや、
世間的には定年という年齢的な要素も関係しているのかもしれない。

そんなこんなで、じっくり仕事に取り組める環境は日々充実しつつある。
残る問題は唯ひとつ、じっくり仕事に取り組める環境で
仕事に取り組んだことがこれまでまるで皆無だったため、
それが仕事にいい結果をもたらすのかどうか?、サッパリ分からん点のみである。

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2015年4月2日(木)その2075◆種まき

フラメンコ協会新人公演がもう二十年近く開催される
〝なかのZEROホール〟は東京・中野にある。
社団法人日本フラメンコ協会も、株式会社パセオも中野にあるし、
その近辺にはフラメンコ教室やスタジオも多いし、ついでにオレんちまである。

「フラメンコ祭りを中野で開催できないか?」

何とはなしにそんな話が持ち上がり、
関係者が集まる本日午後はその第一回目の会合。
どうなることやらまるで展開も読めないのだが、
新たな歴史が産まれる瞬間というのも大方そんなようなもんだろう。
まあ、過分な期待はせずに初顔合わせそのものを楽しもう。

今日は原稿を二本仕上げるだけの平和な一日で、
夜は久々に元代々木どさんこでドンチャカ騒ぐ段取り。

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2015年4月1日(水)その2074◆ウソかマコトか

「もう女はやめた。いまは二丁目通いだ」

得意の笑えぬジョークと察したが、
頼みもしないのに奴はその動機と現状を語り始める。
まぢかよ・・・女狂いで知られた彼の、まさかの転向である。

あれは十年ほど前。
仲良しよったり(四人)の呑み会に呼びもしないのにやって来た
彼のカミングアウトは鮮烈だった。
週に何度か二丁目のそれ系の店に出掛け、
初対面の男に抱かれるのだという。            
そんなのは個人の自由であり、何もおれたちに報告する義理もないわけだが、
昔からそういう自慢や自虐を好む男なのである。

詳細を聴くはめに陥った私たちは、次第にリアルな話に引き込まれ、
話すだけ話して帰った彼に「それはそれで潔い」という称賛まで飛び出す始末である。
それは下ネタというにはあまりに重たい、ある種痛快な人生論だったからだ。
ちなみに現在彼は70歳のはずだから、転向したのは還暦のころ。

だが、話はここで終わらない。                   
それから五年ほどが経ち、久々に私たちの前に現れた彼は、
最近付き合い始めたという若い女性と仲よく裸で絡み合う写真を
嬉々として披露するのである。
おいっ、例の二丁目話はどうなったんだ?

「もう男はやめた。やっぱり女がいい」

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2015年4月1日(水)その2073◆深い艶

日曜〝笑点〟

番組スタートは昭和41年、当時小学五年の私はすでに古典・新作に通じる
落語アフィシオナードであり、以降ほぼ半世紀にわたる笑点ファンだ。
             
初代司会者は天才・立川談志。
その後、前田武彦さん、三波伸介さん、先代の三遊亭円楽師匠と続き、
それぞれに優れた味わいはあったものの、
談志師匠の鮮やかな反射神経とリーダーシップをトータルで上回る司会者は現れなかった。
           
そこへまるで期待されてなかった桂歌丸師匠の登板。
そして、大方の予想を完璧に覆す歌丸師匠のまさかの冴えっぷり。
談志師匠のほとばしる才気を上回るものは、棺桶に片足突っ込んだ者だけに可能な、
明るいヤケクソとでも云うべき絶妙のアイレである。

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経験から磨き上げた組織工学を駆使しながら、
自身の生真面目さやマイナス部分を背負投げのようにプラス転換するあの司会芸には、
われら凡人にとっての暮らしのヒントも満載されている。

人生終盤にああいうアルテを全開させる歌丸師匠は、ついに男の本懐を掘り当てた。
シンプルを装いながらも、幾重にもツネリの利いた
あの深い艶のインプロヴィゼーションに毎週爆笑できる私たちは実にラッキーなのである。


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