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2011年12月01日(木)/その881◇京おんなの真髄
ぎっくり腰をひきずりながら、
渋谷のさくらホールで月曜の晩、
山本秀実フラメンコリサイタル『出雲の阿国』を観る。
京都育ちでたしか私と同世代であるはずの、
同志社大学文学部出身の超美形バイラオーラだ。
全体にパンチ力の不足を感じさせるものの、
しっとりとした情感で、さわやかな余韻を残す舞台だったのだが、
いわゆるフラメンコのパッションに頼らぬ意図が終演後に視えた。
それらはまるで、上質な京懐石のようだった。
上品な薄味で、しかもコースのそれぞれは少量であり、
こんなんで空腹を充たしてくれるのだろうかという「?」が浮かぶが、
完食するころには、何ともうれしい充実と余韻の残るアレだ。
フラメンコの音楽陣(4名)も上質な顔ぶれ・演奏だったが、
邦楽陣(7名)の安定する冴えには、ピシッと新鮮な驚きがあった。
この作品に違和感なく溶け込んだ共演バイラオールのホアキン・ルイスは、
スペイン王立コンセルバトリオ・デ・ダンサ最上級クラスの主任教授。
とりわけ邦楽特有の間とひとつとなる光景にはハッとさせる美質が浮かんだ。
この創作における山本秀実は、フラメンコ舞踊手というより、
まさしく舞い人『出雲の阿国』だった。
フラメンコなパッションで構成にメリハリをもたらす欲求を断ち切り、
阿国そのものと同化していた。
押しつけがましさのまるでない、凛とする容姿と所作は、
憧れ感をともなう女性的な魅力に充ちあふれている。
そこはかとない端正な美しさは、伝説の阿国像の多様性の中で、
優れたひとつの典型を突出させていた。
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2011年12月02日(金)/その882◇無尽エネルギー
アーティストのインタビューを頻繁にやるようになって、
一流と呼ばれる人々の、様々な傾向のコンプレックスを知った。
それらのコンプレックスは、彼らの芸が突出するための無尽エネルギーの、
その源泉となっているという帰納法的結論にたどりつく。
強靭なマイナス意識がテコとなって、逆に日常的なプラスを産み続ける。
知識としては知っていたが、ここまで実際的であったとはなあ。
"コンプレックス"というのは、日本語的には「劣等感」と訳されるのが普通だが、
本来的には「抑圧されて無意識の内に潜む、心の中のしこり」であるという。
本人に意識されたものなのか、それとも無意識的なものなのか。
その違いはさて置くとして、ひとりの人間の中に共存する"光と陰"の、
その陰の部分をコンプレックスと呼ぶわけだ。
人間の能力は平等であり、そういうコンプレックスをいい塩梅に活用できる人は、
その長期的継続によって何か突出するものを身につけることができるというのは、
ある程度本当のところだろう。
ただし、活用の度合いが大きすぎると空中分解して、元も子もなくなるところが難しい。
では、惜しくも欠落ばかりが突出する私の場合、
そのコンプレックスは一体どんな風だったのだろうかと、記憶を遡る。
「やたら傷つきやすい」
自分の中のこういうコンプレックスを、
漠然とながら意識したのは、小学校高学年の頃だったと思う。
こんなんでは、先々とても生きてはいけないという恐怖と焦り。
日常的に傷つきやすい状況に自分を追い込むことで、
逆に心の免疫を作りだそうとしたのは中学生の頃であり、
厳しい勝負の世界に足を踏み入れた主たる理由もそこにあったと分析できる。
えーい、慣れてしまえという、子供らしい乱暴なプロセスだったこともすんなり思い出す。
雨に打たれることを嘆くくらいなら、いっそ頭からプールに飛び込んでしまえ。
当時のそういうイメージは意外と鮮烈に残っている。
失ったものも多かったはずだが、大学を出るころには"マッハ"と呼ばれるくらいに、
恐ろしく立ち直りの速い人間が出来上がっていた。
多分にヤケクソ気味ではあったのだが、
そういうメゲない楽天性を育ててくれたものはやはり、
高校時代に出逢うパコ・デ・ルシアの、未来を賭けて自問自答する
チャレンジ精神にあふれるそのフラメンコギターにあったと思う。
欠落ばかりが極端に突出する結果も招いたが、
やたらと傷つきやすい、ヒリヒリ生きる人生を続けるよりはよかったと今は想える。
さまざまなコンプレックスの中でも、とりわけこの手の劣等感こそが
私のエネルギーの源泉であることは、おそらく今も変わらない。
ただし、ある種奇跡的に、ちょうどいい塩梅に劣等感と共に生きている。
そのちょうどいい塩梅を、幸いにしてフラメンコの中に発見した、ということなのだろう。
ああ、おそるべしフラメンコ、おそるべしコンプレックス。
近ごろの私のインタビューがその部分の踏み込みに偏向する理由が、
今しがた明確になった。
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2011年12月03日(土)/その883◇酔狂
「もう30年近く、フラメンコの月刊誌を出されているなんて、
何て酔狂な方なんだろうって思ってました(笑)」
会話がほぐれて来たころ、年内に発売するある書籍で
フラメンコ特集を担当するという、
その美人インタビュアーはこう云った。
「酔狂 = ものずき」
以前のテレビ取材や雑誌取材でも、何度か同じことを云われたことを思い出す。
フラメンコ自体の真の実力を知らない世間一般からすれば、
オレの立ち位置って案外そんなものなのだろう。
だが、この業界にあっても、つい40代ころまでは、
「フラメンコ界の若旦那」と呼ばれていた私だから、
問題は私自身の体質にもあるのかもしれない。
落語によく出てくる、ちょっとおマヌケ感のある若旦那のイメージ。
ひたすら落語のみで培った私の教養が、そういうところに出てくるのであるなら、
そりゃそれで、いーんじゃねえかとも思う。
世間の追悼もひと段落したところでもあるし、
何やらしっとりした今日の小雨の大江戸を、
立川談志師匠の幾多の名演と寄り添いながら歩いてみようと思う。
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2011年12月04日(日)/その884◇トップランナー
高校時代、常に私は一番だった。
名門と呼ばれた進学校だったから、
そのことは数少ない私の栄光のひとつだ。
途中ひとつしかない信号を無視し、
全力で漕ぎ抜く流星号(チャリンコ)は、
わずか三分で校門前に到着した。
そう。私の生家というのは、
全校中の誰の家よりも、一番 学校に近かったあ!
あいにく学力の方は、ほとんど最後尾だったが、
先の事実と平均すれば、
私は「中ぐらいの高校生」だったと言い張ることも可能だろう。
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2011年12月05日(月)/その885◇羅針盤
もうずいぶんと前から、
水谷豊さん主演の『相棒』にハマっている。
脚本・演出・出演陣も、みな素晴らしいが、
やはり主人公・右京という風変わりな人間に強烈に惹かれるのだ。
だが、彼のような人間と親しく付き合うことは、私には難しいと思う。
パセオの初代編集長のように、彼にタイプの近い人間は過去数名いたが、
すべて大喧嘩の末に仲違いしたことを思い出す。
今なら、少しはうまくやれると思うが、当時の私は若さと馬鹿さに充ちていた。
右京の趣味は、紅茶、チェス、落語、クラシック、推理小説などで、
私の趣味は、珈琲、将棋、落語、クラシック、推理小説などだ。
長いこと仕事場に本当の意味での相棒を得ることが出来なかった点も似ている。
このように共通項は少なくないのだが、
大ザッパ過ぎる私は、繊細な彼にあまり近寄るべきではないし、
犯罪でも起こさぬ限り、私のような人に彼は興味すら持たないだろう。
だが、実は右京のような人間が私は大好きだ。
大の苦手タイプなのに、何故好きなのだろう?
それは、右京が「正義」を貫く人だからだ。
私にはとても貫けない「正義」を、時に彼は命がけで貫く。
さらに、そういう人間だけに所有されるユーモアセンスも抜群に冴えている。
礼儀正しく沈着冷静な右京が、犯人の卑劣さに激怒するシーンなどでは、
明らかに犯人タイプである私は身も縮む想いだ。
状況に応じ勝負処で手段を選ばず勝ちに出るという彼と私の特徴は、
表面上似てはいるが、その志は根本から異なる。
彼は純粋に正義を愛し、私は自分とその周辺を愛す。
「そういう人に居てもらわなくては世の中的に困る」
手前のことはさて置きながらの、そういう他人任せの無責任願望が私の中に視えてくる。
ほんとうは、そこに気づいた誰もがそういう人になるべきなのだが、
それでは余りに荷が重いために、ついつい安易に走り、そういう方向性をパスしてしまう。
せめて、テレビの右京の行動を応援することで、罪滅ぼしでもさせてもらうという、
いかにも小市民的な私の代償行為が明らかになってくる。
まあ、しかし、バッハにしてもパコ・デ・ルシアにしても、
叶わぬ憧れと知りつつも、何十年もそれに寄り添って生きていると、
ほんの数パーセントであるにしても、
それが自分の一部に同化されるなんて奇跡も起こらないではない。
100パーセント同化するには2万5千年ほど必要だが、
私の残り持ち時間はそれほどたくさんはないから、
一年に1ミリばかりは前進しようという目安でもって、
自分らしい脇道に遊びながらも、バッハやパコや右京に憧れ続けたい。
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2011年12月06日(火)/その886◇獲らぬ狸
今日から本格的に、4~5月号の編集・執筆に取り組む。
何十年ぶりかで正月連休をたっぷり獲ろうという魂胆だ。
5月号は最前線記事を除き、2月20日が最終入稿だから、
年内にそれを片付けると、正月に存分にリフレッシュを堪能した上で、
1ヶ月半あまり、新しいチャレンジに取り組むことが可能となる。
やらなければならないことについては、
新年号のデラックス大刷新で自分なりの決着をつけたつもりだから、
ほんとうに自分がやりたいことは何か?、
この先はそれを改めて発見することに集中したい。
鬼が出るか、蛇が出るか、例によってトホホが出るか......
まあ、そりゃ年明けのお楽しみだが、
そういう新しい旅を強くイメージすることによって、
今日からの地道な作業に、逆に新鮮な気分を盛り込もうという魂胆もある。
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2011年12月07日(水)/その887◇朱に交われば
冷蔵庫に旨そうなイクラを見つける。
イラクではない。
わが家の冷蔵庫は、それほどデカくはないから。
おそらく連れ合いの新潟の実家から送られて来たものだろう。
「イクラ喰ってもえーか?」
「イクラでもどーぞ!」
・・・・・・・・・。
連れ合いの男運の悪さを実感するのは、こうした時である。
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2011年12月08日(木)/その888◇解放の連鎖
「うわっ、社会の窓、半分開いてた」
女性ウェブ友のつぶやきに爆笑する朝。
さっ爽と駅へと向かう私は、
何やらスースーする感じに、嫌な予感を覚える。
視線を動かすことなく、寒い部分に恐るおそる手を伸ばしてみると、
全開だった(汗)
謙虚な女性の社会の窓は、半開にとどめる慎みを知っているが、
私の心の窓は社会に対し、全面的に開かれていた。
解放の連鎖は拡大を伴なうものだと知った。