フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2011年10月①

2011年10月01日 | しゃちょ日記

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 2011年10月1日(土)/その830◇パセオ入試~傾向と対策/ペット編

 【問題】

 あなたが飼っている怪獣は?

 

 

 【解答例】

 漢字が苦手な怪獣 ―― 誤字ラ
 冬の怪獣料理 ―― なべ焼きラドン
 世界初の怪獣系カンタオール ―― カマロン・デ・ラ・モスラ


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 2011年10月2日(日)/その831◇第三の選択肢

 恩田陸の『ねじの回転』を読む。
 宮部みゆき『蒲生邸事件』と同じくタイムスリップ物で、
 さらに同じく、昭和11年の「2・26事件」を題材としている。

 時間旅行モノが大好物の上に、
 目下の最大の関心が「2・26事件」とあっては、
 上下巻、制止不能のイッキ読みである。

 宮部みゆきの蒲生邸が、どこかおとぎ話的であるのに対し、
 恩田陸の「ねじ」には、あの森田志保「ねじ」と同様に、
 コンテンポラリーな面白さと上質なセンスがある。


 さて。
 もしも40年前に生まれていて、あの動乱に関わっていた場合、
 21歳の小山二等兵はどちらの立場を採るのだろう?
 牡羊座・O型の性質からすれば、決起隊に傾きそうだ。
 しかし、2・26決起は結果的に、軍部の権力と狂気を拡大させる要因ともなった。
 つまり、決起派・鎮圧派のどちらに属しても、国に災難をもたらすことになる。

 こうした二択への苦渋は、実に空しいことに気づく。
 ならば、第三の選択肢を発見するしかない。
 そうでないと、暗殺された要人も、処刑された将校も永久に浮かばれない。
 そのほとんどは、優秀でいい人だったと確信できるのだ。

 あの頃も現在も、日本はそうは変わっちゃいない。
 相変わらず例の"統帥権"的な化け物が要所要所を占めている。
 つまり、いい人は多いが、本当の意味で何とかしようとする責任者がいない。
 仮に芽を出しても、既得権亡者とマスコミと民衆がつぶしにかかる現状。
 マイナー出版社代表としては、そうした趨勢に逆行する必要はあるだろう。

 少なくとも私にとっての2・26には、
 過去の他人事では済まされない、何か手強い引っ掛かりがあるようだ。
 第三の選択肢発見のための重要ヒントが、そこに潜む気配を感じている。

 政治とマスコミと民衆が共に手を取り、太平洋戦争に突入するのは
 2・26から五年後のことだった。


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 2011年10月3日(月)/その832◇さよなら、寺さん

 数々のフラメンコ映像を手掛けた豪腕映像作家
 スタジオオズ代表・寺田聡氏の逝去

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 9月28日に寺田聡さんが亡くなった。
 ここ数ヶ月お会いしてなかったが、まあ、タフな寺田さんのことだ、
 心配するなんて失礼じゃねえかと、
 再び熱いドンチャン酒を呑み交すその日を楽しみにしていた。

 寺田さんがすい臓ガンの宣告を受け、彼の入院する田端の病院に
 駆けつけたのは2009年七月のやたら熱い日だった。
 ベッドの彼はドヴォルザークの第八交響曲を聴いていた。
 イヤホンを外し、いきなり私に遺言のようなことを話し始めたが、
 最終楽章のチェロが大いなる希望を奏でるドヴォ八を聴く元気があるなら、
 きっと彼は復活するに違いないと確信した。

 余命数ヶ月と宣告された彼だが、案の定、
 積極療法に打って出て、もりもりと元気を回復していった。
 自らの人体実験を題材に、ガンを克服する食事療法DVDを
 制作するところなんか、いかにも寺さんらしい。
 映像作家という仕事を使命・生き甲斐とする
 激しく美しい密度のノンストップ人生。

 パセオで発売したフラメンコビデオ・DVDのほとんどは、
 寺田さんが社長を務めるスタジオ・オズで制作したものだ。
 寺田さんがディレクターでプロデューサーが私というえらく暑苦しいコンビで、
 現場を暴れた数々のエピソードが今となっては宝だ。
 楽しかったね、寺さん!

 彼は常にたくさんのアイデアを発想し私に提案したが、
 そのインスピレーションのほとんどは、ギャラはそのままに、
 彼と彼のスタッフの手間と苦行をやたらと増やすものばかりだった(笑)。
 ええ加減が横行する時代に逆行し、どこまでも
 クオリティを追求することを面白がる昔ながらの職人。

 10月3日の夕刻、西国分寺・西恋ヶ窪の通夜に参列し、
 幾つか年長の明るく頼もしい先輩に別れを告げた。
 どんなアクシデントがあっても必ず何とかしてくれる、
 時代錯誤な"安心の人"。
 夢の途中であったがゆえに、寺さんの人生は幸せだったと私は考える。
 ドキュメンタリーを中心に多岐にわたるジャンルで大活躍した寺田聡だが、
 フラメンコにおける彼の熱き想いの映像は、
 彼去りしあともずっと後世に貢献し続ける。

                  (株式会社パセオ代表取締役/小山雄二)

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 2011年10月4日(火)/その833◇トゥー・ビー・コンティニュー


 「駅につづく小道を 何も云わず歩いた」


 そういう大人の世界も、悪くないんじゃないかと予想していたが、
 実際には「ほろ苦い」どころではなく、
 煮詰まったブラックコーヒーのように、
 やたらと苦いだけであることを後に思い知る。

 『別れの朝』。
 歌うはペドロ&カプリシャス。
 二代目ヴォーカル・高橋真梨子はステキな歌い手だが、
 この曲に関しては、初代・前野曜子の歌唱のほうが私は好きだ。

 その昔、原曲をたまたまFMラジオでチェック録音したのだが、
 それはウド・ユルゲンスの『夕映えのふたり』という曲だった。
 なかにし礼さんによる、修復困難そうな別離の歌詞とはちがって、
 原曲のほうは、ヨリを戻そうという男の決意を歌っている。
 だから原曲ラストの和音は、光ある長調だったと思う。
 どちらにしても潔い、これら歌詞の世界に比較すると、
 周囲の現実世界の方は、若干モタついてる感がある。

 出逢いと別れ。
 それっきりの別離。
 と思いきや、久々の再会。
 そして、再びの別れ。
 だが、まさかの再々会。
 しかし、三たび別離・・・

 だが、畏友N氏の悔恨話には、この先も延々と続きそうな気配が漂う。
 頑張れNよ! わしゃ知らんけど 

               
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 2011年10月5日(水)/その834◇コラヘ

 ★パセオ入試~傾向と対策/例文編

 【問題】
 以下のスペイン語について、旧カナ使いを交えて、
 いますぐにでも発生しそうな実際的な例文を作りなさい。

       coraje(コラヘ)=怒り


 【解答例】

  君の怒りはわかるが、ここはひとつコラヘてもらひたい。


  (↑)この日記自体を陳謝する例文になっているところが秀逸。


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 2011年10月6日(木)/その835◇昼メシの決め方

 たしか、マリサーノはヴァイオリン奏者のはずだ。

 あるバイラオーラの取材でスタジオを訪ねると、
 そのマリサーノが事務室で、練習生と思われる女性と
 卓球に興じている。

 「よおっ、マリサーノ!」と声を掛けると、
 あのキリッと甘い笑顔で、いきなり私に抱きつく。
 瞬間、彼が両党だったことを思い出す。

 片言の日本語だったスペイン人のマリサーノは、
 流暢な日本語で一方的にペラペラ喋りまくる。
 んっ? この設定はちょっとおかしいと、私は感じ始めている。

 ともあれ、マリサーノに引っぱられるように街に出る。
 街並みから思うに、ここらは渋谷・松濤あたりか。
 ふと気づけば、小さな公園で彼はヴァイオリンを弾いている。
 パガニーニの無伴奏カプリースを、フラメンコ風に響かせるが、
 やや音程が荒れている。

 そのことに私は触れず、嬉々として彼はここ数十年の己が軌跡を語り出す。
 そうか、最後に彼と会ったのは、私が大学生の頃だったか。
 んっ? いや、そんな奴を私は知らないと悟った瞬間、目が覚めた。

 不思議な夢だったが、知りもしない彼の顔と名前が特定されていたことが
 面白かったので、書き留めておこうと思った。
 それにしても、公園の池のほとりで二人して大笑いしながら、
 竹の子の炊き込み弁当をパクついていたのは何故だろう。

 ともあれ本日の私の昼飯は、竹の子の炊き込み弁当となる見通しである。


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 2011年10月7日(金)/その836◇ゲルマン民族の大移動

 ゲルマン民族の大移動。

 この時期の民族的な基本原則について、
 ウェブ友 sky walker博士は、
 以下のような歴史的卓見を述べておられる。


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