フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2014年04月①

2014年04月01日 | しゃちょ日記

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2014年4月15日(火)その1600◇イエ~イ!

「大丈夫よ小山さん、ガンを宣告されたら、一発させてあげるから」

〝坂の上の大将〟の通夜の二次会、
ご近所のベッピン久美ちゃんが最年長の私をそう励ます。
「うれしくてやがて哀しきスケベかな」。

私の生誕59周年記念日だった昨日の代々幡斎場、
われらが大将の通夜は儀礼的なそれではなく、
何かと大将に世話になった人々がともあれ礼を云いに駆けつけたという感の、
賑やかだがしっとり温かな風情の葬儀だった。

一見英国紳士風の堂々たるマエストロの遺影は、
彼の明るい下ネタ好きを巧みに描いていた。
                          
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2014年4月14日(月)その1599◇大将の常套句

今宵は地元・上原の呑み友〝大将〟の通夜。
なので生誕呑み会を繰り上げ、きのう日曜は連れ合いの奢りで地元ふぐ屋へ。
バツイチ同士で一緒になって十七年。
写真は先代の守護犬メリが元気だったころ、ご近所・代々木公園で撮った。

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大将夫婦との付き合いもあの頃からだ。
パセオと協会のダブル運営に疲れて果てていた頃で、当時の私は荒れに荒れていた。
しかも、若い頃から四十まで生きるヴィジョンしか持たなかった私は、
その先まで生き延びられたことに大いに戸惑っていた。

ほとんど壊れかけた私に、いつでも大将はあきれるくらいに大きな心で接してくれた。
「こうやって馬鹿云いながら楽しい仲間と呑む。それだけで生きてる価値はあるってもんだ」
そういう彼の常套句を1000回は聞いたはずだ。
あの頃ウザイと感じたあの響きが、今は懐かしいメロディのように聞こえてくる。

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2014年4月13日(日)その1598◇大沼由紀に聞くブレリア

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(Q)ブレリアって種類があるんですか?

「歌い手やギタリストって、すごくブレリアがうまいですよね、
 それは彼らがそのときに聞こえているものに対して、
 素直に体を動かしているからだと思います。
 そのとき起きていることを察知する能力がフラメンコには必要で、
 だからこそ録音ではない生歌、生演奏で踊るわけですよね。
 私は踊りを教えていますから振りは幾つか用意しますが、
 その振りを最初から最後までなぞることがブレリアを踊ることではないんです。
 まずは・・・」

新連載「ひとりの疑問はみんなの疑問」①大沼由紀
(取材:若林作絵/月刊パセオフラメンコ5月号より)
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2014年4月13日(日)その1597◇乱数表

気は合うけど、生き方が合わない。
生き方は合うけど、気が合わない。
生き方も気も合うけど、なぜか疲れる。
生き方も気も合わないけど、なぜか疲れない。

仕事も家庭も、友情も恋愛も、
だからこそ飽きがこないんだな。
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2014年4月12日(土)その1596◇お心遣い

「感情が枯れてくると、雑念が減るので見通しが良くなるが、
 何もかも色あせてくるので、面白くない」

作家の島田雅彦さんはこう云った。
週明けに59歳になる私も、正直おんなじふうをよく実感する。
ガッカリしても大して傷つかないし、
その代わり両手放しで歓ぶことも少なくなる。

こうした老化現象は、だんだんと死と仲良しになってゆくための、
自然界のお心遣いのようにも想える。
そのご厚意を享受しながらも、
だがしかし、
生きてる以上はやはりこれなのかなと想う。

「面白きこともなき世を面白く 住みなすものは心なりけり」(高杉晋作)

先週の花見のツケで、今日も明日もフル出勤となった
自由業の因果応報をかみしめながらも、
往く春の亀戸天神のふじ、根津神社のつつじ、堀切菖蒲園の花しょうぶの
ささやかな華やぎを夢みる。

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2014年4月11日(金)その1595◇竹野内豊編

木曜22時。
初めてのれんをくぐる東高円寺の呑み屋。

古いダチとバカっ話に興じていると、
何やら異様な臭いが漂ってくる。

な、何なんだ、コレわっ!?

やがて運ばれて来たのは
・・・くさやの干物だった。
注文したのは相方ではない。
次の瞬間、犯人像は明確になった。

あっ、オレかいっ!

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2014年4月10日(木)その1594◇文は人なり

言葉というのは雄弁だ。
人間は17文字で現れる。

なるほど、五七五の俳句や川柳を観れば、
その作者とお友だちになりたいか、
そうでないかは明らかとなる。

俳句や川柳に限らず、
ウェブ上の短い日記やコメントなんかにもそれは顕著に現れる。
・・・我が身をふり返れば、
近ごろは友だちが減りつつあるような気がする。(ひや汗)

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2014年4月10日(木)その1593◇逆もまた

若い頃は直観を信じてバッと動いた。
信念に基づき突っ走ることには生命の快感がある。

寄る年波で、近年はそうも往かない。
あるテーマをあれこれ考え抜いて、自分なりの結論に到達する。
やれやれ手こずったぜと、肩の力を抜いた瞬間、
それとはまったく逆の結論もあることに気づき愕然としたりする。

「逆もまた真なり」。

例えば、宗教の対立は深刻な国際危機を発生させるが、
解決の原点はおそらくこうした認識の共有にある。
この先また突っ走るにしても、
こうした前提はよくよく把握しておく必要があることを
この俺に云い聴かせる私。

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2014年4月9日(水)その1592◇神秘の舞踊家、テレサ林逝く

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「芽が出たねえ!」

あねご肌の彼女は電話口でそう笑った。
パセオフラメンコ黎明期、
毎号つぶれそうだったパセオがどうにか軌道に乗り始めたころ、
裏側から応援し続けてくれたテレサ林さんのあの桃井かおり的一声が
今も記憶に新しい。クールに見えて熱いハートの舞踊家だった。

この春3月27日、テレサ林さんが東京・目黒のご自宅でなくなられたとの報を、
彼女と永年ステージをともにしたギタリスト中林淳眞さんから知らされた。
2008年、テレサ林リサイタルではその中林淳眞作曲『グラナダ1492年』を、
モレノ・トローバ指揮・東京フィルの演奏でカスタネット演奏とともに踊った。

テレサ林は1973年にスペイン初留学、カルメン・モーラ等に師事、
その後度々スペインを訪れ研鑽を積んだ。
75年都市センターホールにてデビュー公演以降、
『ロルカを踊る』『カルメン・モーラに捧ぐ』『アンダルシアの魔性』
『アンダルシア・エクスタシー』『浮船』『転生』
『セビリヤ、我がノスタルジー』『夕鶴』など活発なリサイタル活動を続け、
ファイキージョ、岸田今日子、中林淳眞らと共演、
また、ドラマ『女たちの海峡』(乙羽信子、小柳ルミ子ら出演)のフラメンコ指導などでも活躍した。
2000年の日本演劇協会・国際演劇協会50周年記念「演劇人祭」(歌舞伎座)で
舞った『焔』はNHKで放映された。

「内面の叫びが滲み出る踊りを!」と標榜したテレサ林の、
あの神秘にして深い陰影に充ちたステージが、懐かしさとともに鮮明によみがえる。
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2014年4月8日(火)その1591◇骨は拾ってやるからな

珈琲店のウェイトレス。
新たなチャレンジには最もふさわしいステージだと感じたよ。
結果がどうあれ、いい選択をしたなと想う。えらいぞサマンサ。

世界中が等しく、守るだけではどうにもならない時代だから、
いや、生きることの古代からの本質論として、
攻めながら生きることこそが逞しく美しい確率論だと想える。

恥をかいた分だけ伸び代が増えることを、
泣いた分だけ笑えることを思い知れ。
分裂しない自分を創る最大のチャンスだから、小細工を弄せず、
理想の自分からの逆算から、手間ヒマ惜しまずカラっと明るく玉砕すればいい。
骨は拾ってやるからな。

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2014年4月7日(月)その1590◇タカミツのカンテ講座

4月号からスタートした『石塚隆允のカンテ講座』。
おれが編集長やめたとたんの大ヒット連載のひとつ(汗)。
あの若林さくさく堂がフェイスブックに、講座の感想をアップしてるので以下に転載。

バイレ練習生向けのパセオフラメンコ活用法
~石塚隆充のカンテ講座~
(若林作絵)

「スペイン語って勉強したほうがいいですか」
と聞かれることがある。

質問した人は、別にスペイン語が不必要だと思っているわけではない。
ただ、時間やお金は有限だ。
いま自分に週に1時間の余剰時間があったとして、
それを踊りのレッスンのために使うのか、
フラメンコをもっと深く理解するためにスペイン語の勉強に充てるか、
ストレス解消のために女友達とランチをして女子トークを楽しむのか、
それとも今書いたようなことが心配なく継続できるように仕事にいそしむのか、
それは自分で決めなければならない。
日々、そういうことにみんな迷っているということだ。

カンテが大事だ、カンテを聞けといろいろな人に言われる中で、
スペイン語がわからないのは致命的なハンディキャップだということは、
誰でも感じている。
「やっぱりスペイン語わかったほうがいいんでしょうか」
という質問は、真面目さの表れだと思う。

パセオの2014年4月号から「石塚隆充のカンテ講座」が始まった。
スペイン語の歌詞、日本語の訳詞、楽譜と音源がついている。
4月号は「ソレア」だ。
カンテのCDにはさまざまな抑揚やアレンジが加わっているが、
付属音源は飾りを取り除いたシンプルな歌だ。
歌一つなので、とても短い。
これだけ揃っているので、カンテの知識がなくても歌うことができる。
これをコピーするというのはどうだろうか。

ちゃんと声を出して、ちゃんと音程をなぞって、
ちゃんとスペイン語の歌詞を歌う。
歌手を目指すわけじゃないから、鼻歌程度でいい。
その代わり、見なくても歌えるくらいまで完コピする。

カンテがつかないレッスンで、
頭の中で歌を想定しながら踊ることができるのは大きなアドバンテージだ。

歌が一つ歌えるからといって、スペイン語ができるようになったわけではない。
でも、なんだか一段高いプラットフォームに上がったような気がしないか。
一段上がれば、そこから見える景色は当然変わってくる。

「あっ、これはメロディがソレアだ。わかっちゃったもんね」
「この歌い方いいわあ。ぐっと来る」
「でも歌詞が違うみたい? 歌詞って一つじゃないの?」
「ソレアっぽいけど、ちょっとだけメロディが違う気がする」
「これはちょっとどころか全然メロディが違うよ。これもソレア?」
「全然別な曲だけど、聞き取れた単語がある。"アグア"だから水ね」

ストンと理解できることが増え、
新たな疑問もわいてくる。

というわけで、最近私はお出掛けの際に、
スマフォで音源を聞きつつパセオを開いている。
よき電車のお供。

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(リスボンの丘を上り下りするケーブルカー)
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2014年4月7日(月)その1589◇1010の心

カナーレス、カルメン・レデスマ、森田志保。
きのう日曜は北千住「シアター1010」で『銀と金』。

今年のベストワンに推する者やイマイチ顔の者や涙する者・・・
私の仲間内の評価は実にさまざまだったが、
森田ワールド全開であったことは明らかで、
例によってあの清冽な余韻は深く脳裏に刻まれた。

公演会場のある「千住」は、懐かしい薫りの街。
品川・新宿・板橋とともに江戸四宿のひとつで、
当時から日光街道の宿場として発展した。
関西で云えば、大阪の「十三(じゅうそう)」に街のアイレが似ていると云う。

さて、千住の文化的ステータスを高めたこのホール、
何故「シアター1010」なのか?

「1010=せんじゅ」と知った瞬間、
哀しみとともに10メーターほど私は引いた。(汗)

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安藤広重描く『千住大橋』
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2014年4月6日(日)その1588◇銀と金と森田志保

いよいよ今日は『銀と金』東京公演。
http://www.manzanilla.jp/index.php

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アントニオ・カナーレス(銀)とカルメン・レデスマ(金)というスペインの両巨匠を、
日本人バイラオーラ森田志保が舞台構築しながら彼女自身出演する。

具体的にはまるで展開が視えないが、これまでの彼女の実績によって、
少なくともクオリティ面の不安はまったく感じない。
どんな状況であれ、高い水準をクリアしながら、森田志保は必ず何とかする。

昨年暮れのインタビュー(パセオ3月号)の折、
彼女が抱え込んだプレッシャーの重さを垣間見たが、
そうした絶望的とも思える状況に常に最善を尽くしてきた彼女だからこそ
今現在の森田志保があることを、誰よりも彼女自身が知っている。

馬場か吉祥寺。一時間の予定が五時間、語れば語るほどに語り足りない感触が募る。
志保さんと呑むと必ずハシゴとなり、勘定は交代で払う。
通常は女性に勘定を持たせない昭和の男は、
この逞しい菩薩の奢りでがんがん呑むことを善しとしている。
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2014年4月6日(日)その1587◇升田名人の逆襲

昭和・将棋界のスーパースター升田幸三名人の棋譜を久々に並べた。
独創性・芸術性・大衆性と三拍子そろった天才アーティストで、
フラメンコで云うならパコ・デ・ルシアに、
クラシックで云うならベートーヴェンに近い。
写真右は、ドラマで升田幸三を演じたときの内野聖陽さん。

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「将棋は相手から奪った駒を味方として使うことができるが、
 これは捕虜虐待の思想に繋がる野蛮なゲームである」

終戦直後GHQがこんなイチャモンをつけて将棋を禁止しようとしたことがある。
日本将棋連盟を代表してGHQと相対した升田幸三はこう逆襲し、日本の伝統文化を救った。

「将棋は人材を有効に活用しようとする合理的なゲームである。
 チェスは取った駒を殺すが、これこそ捕虜の虐待ではないか。
 キングは危なくなるとクイーンを盾にしてまで逃げるが、
 これは貴殿らの民主主義やレディーファーストの思想に反するではないか」
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2014年4月5日(土)その1586◇しぶとい先輩

蟹江敬三さんの旅立ちを知る。
江戸川区小松川出身。
スモッグとドブ川と都電の貧乏街。
11歳年長の同郷だった。

鬼平の粂八(くめはち)役で注目し始めた。
原作からは遠いが、腰のある粂八像を自ら造形した。
それまでは狂気の犯罪者役が多く、
二枚目スターや美女たちとは真逆の境遇。

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悪役出身の苦労人はしぶとい。
同じく下積みの永い地井武男さんと大いに重なる。
その芸風からは現実味を帯びた光明がにじみ出る。

例によってご冥福はお祈りしない。
勇気あるご近所の先輩を、しょっちゅう想い出したい。
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2014年4月4日(金)その1585◇胸にそよ風

「次の世代に伝えたい昭和の名曲」。

そんなテレビ番組を肴に、
家で一杯呑っている。
おれにとってのそれって何かな?

単に若き日のセンチメンタルな郷愁ということなら、
「高校三年生」「星のフラメンコ」「恋の季節」とか、
「愛しのエリー」「神田川」「夢芝居」とか、際限なくナンボでも出てくるんだが、
単に好きだってんのじゃなく、「次の世代に伝えたい」ってのがミソで、
そこでかなり限定されるわけだ。
となると、おれの場合やっぱアレかいな。

 あかるい舗道に 肩を振り
 笑ってゆこうよ 影法師
 夢をなくすりゃ それまでよ
 サンドイッチマン サンドイッチマン
 俺らは街の お道化者
 胸にそよ風 抱いてゆく

鶴田浩二さんの歌う『街のサンドイッチマン』。
これはその三番の歌詞。
作詞は宮川哲夫さん、作曲は吉田正さん。

私が生まれる二年前、昭和28年(1953年)の歌なんだが、
物心のついた頃もしっちゅうラジオで流れていたよ。
昔はヒット曲の寿命が永かったからねえ。
カラオケはこれ一本でやり過ごした時期もあるし、
いまも毎朝パセオに向かいながらアイポッドでよく聴く。

「夢をなくすりゃ それまでよ」とか「胸にそよ風 抱いてゆく」とか、
さあ今日も一丁やったるかあ!みたいな気分にさせてくれるわけ。
まあ、若い世代は誰も知らんだろーが。
ところで、あなたの「次の世代に伝えたい昭和の名曲」って何? 
                                                                                                      
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2014年4月3日(木)その1584◇ナイーブな話題

むしろ女性の方が多いのかもしれない。
下ネタ好きは男だけではないことを知ったのは、バブル期の三十代半ばのことだ。

男だけに通用する下ネタ。
女だけに好まれる下ネタ。
男女同席の場でウケる下ネタ。

さまざまな試行錯誤の末、下ネタはこの三種類に分類されることを知った。
ここらへんの状況を踏まえた使い分けは極めて繊細であり、
使用方法を間違えるとけっこう大変なことになる。
まあそんな訳で、この私もけっこう大変な毎日を送っている。

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2014年4月2日(水)その1583◇天国へ昇る階段

エバ・ジェルブエナ公演/パセオ6月号公演忘備録下書き

 『天国へ昇る階段』(小山雄二)

中学で将棋にハマった時点で学業はアッサリ放棄したものだから、
その意味で私は実質中学中退と云える。
そののち自発的に学んだ学問で、将棋以上に身になったのは
せいぜい麻雀くらいなもんだろう。
ただし中・高・大学では生涯ツルみそうな悪友どもを得たから、
学校通いには大いに意味があった。

プロ棋士五名とコンピュータが競う今年の将棋電王戦は、
本稿の締切現在で人間側の二連敗。
その敗戦譜を調べてみたら、コンピにはまったく隙がなく、
昨年より格段と強くなっている。
まるで羽生・森内・渡辺らスーパー棋士の長所のかたまりのような強さだ。
コンピューターは彼らの才能を楽々と模倣吸収し、
しかも精神的にも肉体的にも疲労することがない。
チェスの世界チャンピオン・カスパロフがIBMのスーパーコンピュータに
敗れたのは17年前のことだ。

やがてアートの領域にもコンピューターの進出は拍車がかかるだろう。
フラメンコとてその例外ではない。
パコ・デ・ルシアばりにギターを弾くロボット開発なんかも時間の問題となる。
だがしかしフラメンコの場合、コンピュータ側も相当に手こずることになるだろう。
その難しさについては、ほとんどのパセオ読者が意識的・無意識的に日々感じていることだ。
コンピ側が手こずるのは、どのような領域なのか?
そして、そうした領域こそが、実は私たち人間にとっても
最も注目すべき日常的テーマなのではないか?
そんなこんなをつらつら想う三月の日曜、新宿でエバ・ジェルバブエナの『雨』を観た。

「私の原点は、孤独の中の愛。素晴らしい愛を信じるのではない。
伝わらない想いと募る愛。でもそれは嘆きではない」。
子供の頃に感じた感情をふたたび体験するために、
それを現在の自分の中に蘇らせるために、エバは『雨』を創った。
自らのルーツを旅するエバ。
彼女の心技体はひとつに同化しており、その確認作業は生命の快感そのもののように視えた。
やがて確実に死を迎える生命体が採るべき一連の最善手。
それらは死の意味、生の意味、そして与えられた社会的環境などを相関させながら
終局までを深く読み切る、最良最強の定跡手順のようにも想えた。

こうしてフラメンコと自分自身、そして観客席に深い進化を与え続けるエバを観ていると、
コンピュータに敗北感を覚えること自体、とても怠惰で滑稽なことのように想えてくる。
現に日本の頂上棋士たちは、進化するコンピュータの機能から逆に学ぶことで、
生命体としての誇りを懸けて将棋の真理そのものに迫ろうとしている。
あの日のエバは、まるで天国へと続く階段を昇りゆくような、
それはそれは美しいソレアを舞った。
彼女のプライドと三位一体は、生命の真理を果敢に射抜いていた。
                
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2014年4月1日(火)その1582◇明日、曽根崎初日!

あさって水曜は新国立にて新生『FLAMENCO曽根崎心中』初日。

日本の三大創作フラメンコは、小島章司『真意の炎』、碇山奈奈『忠臣蔵』、
そしてこの鍵田真由美・佐藤浩希『曽根崎心中』というのが私の見解。
創りの甘い創作フラメンコは正直苦痛だが、
このレベルのそれは一生もんの記憶となる。

今回の曽根崎は音楽がガラリと変わる。
音楽リーダー(スーパーギタリスト横田明紀男)へのインタビュー(3月号)に
よって勝負処は把握している。
エバの余韻を引きずる私は、果たしてどう反応するのか?

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2014年4月1日(火)その1581◇ベラスケス

ベラスケス『鏡の中のヴィーナス』。

こないだ書いたソロージャにも影響を与えたバロック期の巨匠ベラスケス(1599~1660)は、
セビージャ出身の宮廷画家。
彼の誕生は日本で云えば関ヶ原の戦いの前年で、
ドイツのバッハが生まれるのは彼の死後25年後だ。
視覚効果に熱中するスペイン特有の写実主義的な陰影法は、
現代においても新鮮なインパクトがある。

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イタリアで出逢った愛人がモデルという説が有力らしい。
裸体を悪としたカトリックが大威張りする時代だったから、
このヴィーナスが後世に残ったことは奇跡のようにも想える。
この絵が大好きだと公言しても、作者はベラスケスだから後ろ指を差されることはない。
だが、この絵が好きな人は例外なくベラスケベである。


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