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2012年6月10日(日)/その1073◇年下好み
「ほれっ、かみさんと食ってくれ」
ラブラブ山梨旅行の土産を寄越しながらこう云う、
どう見ても62歳にしか見えない、
やる気満々、地元呑み友・金ちゃんは現在63歳だ。
下ネタ流れで、金ちゃん、あんたのお相手は
幾つまでならオッケーなんだい? と尋ねると、
間髪入れず、この青春の巨匠はキッパリ答える。
「62歳!」
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2012年6月11日(月)/その1074◇本末転倒
十年一剣。
もうずいぶん前にあるプロ棋士が
大きなタイトルを獲得した時の言葉で、
なぜか心に残っている。
ただひと振りのために十年間、一心不乱に技を磨く。
せっかちで飽きっぽい私だからこそ、
そういうしぶとい根気に憧れたのかもしれない。
実際に着手しなければ、何も始まらない。
五十の手習いで、人生ほとんど初体験となる日記を
ウェブ上に書き始めて七年ほどになる。
あと三年も続ければ、ひと区切りの十年に達するわけだ。
その頃に十年一剣のようなものが書けりゃあいいが、
実のところ、そんなことはもうどうでもよくなってる。
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2012年6月12日(火)/その1075◇紙一重
死刑を望み、誰でもいいから多数の人を殺す。
間接自殺と云うらしい。
そこに弱者としての誇りは視えない。
スキだらけで街を周遊する私としては、
逃げ足を鍛え直すか、仕込み持参で散歩するか、
どっちにしても難儀なこっちゃ。
同じ弱者として、そういう暗闇をわからぬわけではない。
自分という人間の脆さは重々把握している。
運良く犯罪を起こしてないだけだということも知っている。
だが、私には人間社会を愛する心が多少はある。
その強靭な精神力には、欠けた茶碗をご飯つぶで、
辛うじてつなぎとめるほどの強さがある。
でも、そこだろっ、人間は。
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2012年6月13日(水)/その1076◇苦笑
サッカー国際戦。
その審判団のジャッジを観ていると、
なるほど、これが国際社会を生きる現実なんだと教わる。
一方に、相棒・右京の苦笑が浮かぶ。
次の瞬間、人間の下す不気味なジャッジに、
サッカーそのものが苦笑する幻影が視える。
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2012年6月14日(木)/その1077◇フラメンコに生き方
ドン・ポーレン『フラメンコの芸術』の名訳で知られる青木和美さん。
彼の6回連載が来年新年号から始まることもあり、
賛否両論あるポーレンの、過激なこのフラメンコの歴史的名著を読み返す。
これでもう十回目くらいか。
冒頭にヒターノの論理をわかりやすく読ませるいきなりの山場がある。
それは何度読んでも強烈であり、
それがアンチテーゼと云うより、むしろテーゼに感じられてしまう昨今。
かつてのスペインの粗暴やイギリスの悪知恵との比較は必須科目に思える。
その意味でニッポンの秀吉も最悪だった。
以下にその任意抜粋を。
神さまが元々わしらにくださった定めは、肥えた土地に定住しないこと、
つまり、あちらこちらさすらいの旅を続けて、
野生の果実や野鳥、それにあり余るほどのけものの命を日々の糧とし、
パージョのように乱獲して悪用せず、
愚か者のように命のみなもとを涸らすことなく、
すべてのけものの種を絶やさず、決して自然を食い物にせず、
ただ日々必要なものだけを手に入れて生きていくことだった。
パージョの思いあがりを考えてもみなよ。
やつらは、幾通りもの文明に何千年ものあいだ支配されてきた土地を
"発見"すると、厚かましくも旗を立てて自分たちの国だと決めてしまう。
元からいる住民のことははなから考えていないか、
でなければ、略奮したり、殺したり、絞り取ったりしているあいだ、
"発見者"どもは、神と祖国と進歩の名のもとにその犯罪をおこなっているのだと、
おのれと世間を欺いて信じ込み、内なる良心をなだめようとする。
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2012年6月15日(金)/その1078◇ツバメンコ今井翼、スペイン文化特使に
ツバメンコ担当秘書ミワコの緊急メッセで、
その驚きのビッグニュースを知った。
な、なんと、ツバメンコこと今井翼さんが、
日本におけるフラメンコとスペイン語の文化普及に対する功績によって、
スペイン文化特使に任命されたというのだ。
「責任ある役をいただけたことをたいへんありがたく思っています。
自分自身が日本とスペインの懸け橋になれれば」
きのう14日のセルバンデス文化センター東京の任命式では、
NHK講座でもおなじみの達者なスペイン語で、彼はそうスピーチしたという。
自国の経済危機の大ピンチにあって、
スペインも粋な英断をするもんだと、うれしく安堵した。
スペインにとっても日本にとってもマイナス要素は皆無であり、
明るい希望のポテンシャルは限りなくふくらむ。
こうした展開を自らの意志と根性で切り拓いた今井翼に、
フラメンコ界の一員として、何はともあれ最敬礼!
ありがとう、ツバメンコ!
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2012年6月16日(土)/その1079◇オブラかビブラか
云いたいことを、オブラートに包むように不明瞭に云う。
云いたいことを、ビブラートで震えながらはっきり云う。
まあ、どちらか云えば、後者で伝えるようにしている。
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2012年6月17日(日)/その1080◇矛盾はかゆい
「天網恢恢(てんもうかいかい)疎にして漏らさず」
天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、
悪人を網の目から漏らすことはない。
悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ。
おしなべて世の中はそうあって欲しいと思うが、
自分については必ずしもそうあって欲しくないという矛盾。
出来れば私の良い部分だけ、密にして漏らさず伝わって欲しいが、
惜しくも良い部分はわずかのみで、
しかもそれは沢山の悪い部分に支えられているという光と影のコラボ。
ああ、かいかいと背中を掻きつつ、
まあ出来るところは一本化してみるかと、重たい腰をあげてみる。
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2012年6月18日(月)/その1081◇宮野ひろみロケ
9月号しゃちょ対談に登場する宮野ひろみ。
十代で新人公演奨励賞を二度受賞したツワモノである。
久々にカラッと晴天の先週木曜はその野外ロケ。
「青空の広がる野ッ原と大きな木」。
そんな彼女のリクエストから、
私の自宅の庭(一般には代々木公園と呼ばれている)を選んだ。
噴水近くのその中央広場は、彼女の希望にピッタシだ。
カメラマンはおなじみ北澤壯太。
7月号の北澤写真館(ロッカメンコ/森田志保/タカ・イ・ジン)と
伴奏者の視点(鈴木尚)のクオリティは早くも業界で大評判だ。
デビューの頃は高校生だったひろみちゃんも、三十半ばの大人の女性となった。
モデルさんのような美貌に、真っ白なブラウスにジーンズの凛々しい出で立ち。
あの鋭く冴えたバイレを踊るわけでもないポートレイト撮影なので、
フラメンコの踊り手って気づく人間は、まずいないだろう。
なのに、往き交う人々の熱い視線を集めてしまう不思議なオーラ。
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2012年6月19日(火)/その1082◇たまねぎ
むけば何か出て来そうな気配がある。
むいてみると、意外とそうでもない。
だが、涙と甘みと、そこそこの食感がある。
それだけでも充分だが、調理次第でさらに旨みを増す。
まるで人生みたい。
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2012年6月20日(水)/その1083◇快い絶望
「どのあたりから聴いたらいいでしょう?」
編集部・小倉青年がそう問う。
いよいよバッハに向き合う心境となったらしい。
「何か知ってるバッハはあんのか?」
「シャコンヌなら、ギター編曲版で知ってます」
ならばと、原曲のヴァイオリン独奏を薦める。
人類史上最高峰の音楽と称されることの多いバッハのシャコンヌ。
様々な楽器・編曲で盛んに演奏される過激な名曲だが、
表面上はイヤになるほどとっつき辛い。
信頼出来る先輩たちからそんな伝説を聞きつけ、
とりあえず、来る日も来る日もシャコンヌを聴き続けた高校時代。
ああ、そーゆーことかあ!と、
その魅力と凄みを感覚でつかむのに三ヶ月かかった。
顔はともかくも音楽的感性は非凡な小倉なので、
それぞれ個性的な代表的名盤を、二つ並行して聴くことを薦める。
峻厳に突き詰めるクレーメル盤と、ロマンティックに歌い尽くすパールマン盤。
まあ、乱暴にフラメンコで例えるなら、
同じ曲をパコ・デ・ルシアとビセンテ・アミーゴで聴き比べるようなものだが、
余分な先入観なしに、作品を冷静に俯瞰するのに極めて有効なアプローチではある。
「コレですよね?」
翌朝、早速にそれらCDを仕込んできた小倉。
何だか極悪非道の道に、前途ある若者を引っぱり込むような後ろめたい気分。
シャコンヌの心を知ってしまった四十年前のあの感触がよみがえる。
普通の勤め人は無理だと悟ってしまった、あの快い絶望感がよみがえる。
普通の勤め人は無理だと悟ってしまった、あの快い絶望感がよみがえる。
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2012年6月21日(木)/その1084◇バランス・メーター
この身に何が大切か?
人によってまるで違うだろうし、
自分のそういうのってのはなかなか分からなくて、
手遅れの年齢になって、ようやくそれが視えてきたりする。
私のケースでは、それは「笑い」だったと今は分析できる。
小学校入学以前の落語や漫才あたりを起点に、
劇場や映画やテレビの喜劇やお笑いに夢中になったり、
図書館で世界各国のジョーク集を読み漁ったり、
いわゆるユーモアなるものにとり憑かれていたようだ。
むろん当時は「笑う」意味などわからない。
むしろ、こんなことで笑ってる場合かと焦っていた。
笑うことの絶対的な価値というのは、
ひと通りの感情をとことん経験し尽くさない限り、
なかなか視えてはこない。
笑いは光に似ている。
日々の暮らしの中の何でもない瞬間、
そういう光の中にサクッと身を任せることで心の暗部は照らされ、
そのバランス状況を容易にチェック出来たりする。
とりわけ今は、他人さまと一緒になって自分を笑うことが楽しいが、
そういうネタが尽きないことに呆れ返ったり、
あるいは、その果てしない伸びしろに安堵したりする。
やはり、笑いは光に似ている。
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