カマロン慕情 ④
カマロン十八歳、パコ・デ・ルシア二十一歳。
フラメンコの超天才が互いにスパークする世紀の傑作『コラボレーション』である。
フラメンコの「伝統の結晶」と「革新の原点」という目映いまでの光が、このディスクには熱く深く刻まれている。
フラメンコに関わる人たちの中で、この名作の影響を受けなかった人は、おそらく一人としていないだろう。
若き日の逢坂剛はこれを聴いて、居ても立ってもおられずにスペインに旅立ったという。
若き日の私も、居ても立ってもおられずに、結局横になり懸命にゴロゴロ転がったという。
実力とか貧富の差とかは、多分このへんから生じるのだろう。
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人類に遺されたカマロンの名唱の数々は、聴く者すべてに愛と希望を与えずにはおかない永遠の輝きを放ちつづける。
壮絶なプレッシャーと闘いながら、天才クリエイターとしての使命をまっとうしたカマロン四十一年(1950~92年)の生涯。
ふと、ジェームズ・ディーン、赤木圭一郎、大場政夫、尾崎豊らの凛とした面影を連想することもある。
みな私が大好きなヒーローたちだ。
それは「共感」ではなく「憧れ」という落差なのだが、いつの間にやら、その「落差」を素直に受け入れることのできる年齢に達した自分に驚いたりもする。
そして、カマロン逝去から十四年が経つ。
しかし、その実感はまったくない。
なぜかと云えば、パセオ(会社)でカマロンの歌声が響かない日などまずないし、こうして休日ともなれば朝一番からデュエットしたりするわけで、一年365日、彼の存在しない日などはなきに等しいからである。
五つ年上のカマロンだが、いまでは私の九つ年下ということになる。だがいつまで経っても、私にとってのカマロンが永遠の兄貴分であることに変わりはない。
『カマロン/生きよう』(POLYGRAM/1984年)
年がら年中ドジを踏んじゃあタメ息をつく私に、ご近所のあんちゃんのような親しげな眼差しを向けながら、私の内なるカマロンは、あの独特なシャガレ声でこうつぶやく。
「手間ひま惜しまねえで機嫌よくやりゃあ、それでいいんだ」……と。
そんなこんなで、休日の夕暮れは、カマロンとともに家路へと向かうのだ。
[夕暮れの神田川]
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