フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2011年4月③

2011年04月01日 | しゃちょ日記

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 2011年4月19日(火)/その664◇スペイン映画情報

 パセオ本誌にこの夏公開のスペイン映画のプレビュー記事掲載をと、
 配給会社の広報担当者から依頼があった。

 月刊パセオはフラメンコだけでスペースが目一杯だが、
 日刊パセオ(ウェブ)ならえーかもよ、と編集部・小倉に振った。
 まあこのオレも、30歳前後は広告取りを兼ねて
 毎日五件くらいは取材に駆け回ってたわけだから、
 若いおめえもせいぜい汗水たらして来たらえーよとゆーわけだ。
 
 と、しゃちょコミュに早速トピが立っている。
 ま、公演忘備録を翌朝未明にアップする業界最速ランナーなので、
 やるんじゃねーかとは思ってはいたが。

 『スペイン映画情報』
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=61682156&comment_count=1&comm_id=1563685

 ぐらのその第一回目のプレビュー記事を読んで、その映画を観たいと思った。
 てゆーか、ぐらに内緒でおれが行ってくるんだったよ。
 

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 2011年4月20日(水)/その665◇パセオフラメンコ5月号

 4/20発売の月刊パセオフラメンコ5月号。

 A表紙は、ご存知アントニオ・カナーレス!
 グラン・アントニオ、アントニオ・ガデスに続く
 三人目のアントニオである。
 竜巻の如く旋風を撒き散らした彼のアルテは、
 年月を経るごとに飾りを捨て、その核に近づいてゆく。
 
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 B表紙および『心と技をつなぐもの④』は、人気カンタオール石塚隆充!
 意外とゆーか、はたまた当然とゆーか、その心は「完全コピー」だった。
 今月パセオ編集部入りした小倉泉弥の、ライターとしての本格デビュー作。
 
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 本国スペインでも読めない高純度読み物、中谷伸一の『フラメンコの美学』。
 その第9回は、急逝したカンテの巨匠エンリケ・モレンテ「燃え尽きる前に」。
 その半年前に行なったスペイン現地ルポ&インタビューは極めて秀逸。
 また、同じくスペイン在住ライター東敬子が「エンリケ・モレンテ/自由を歌う声」で、
 マエストロを哀悼する。

 さて、今月号からレギュラー連載に昇格した『フラメンコ公演忘備録』。
 『フラメンコ最前線』のレギュラー枠に加え、本文8ページの拡大バージョンで、
 ぐらやみゅしゃやヒデノリが大暴れする。

 『バル de ぱせお』にはユカリーヌ(藤原由香里)が再登場し、
 濱田吾愛(←吟遊)『物語で読む~フラメンコ入門』のブックレビュー。
 そのリアル繊細な分析力に注目の上、ぜひ本編ご一読を! 
    
 つーことで、おもろくて肥やしになるパセオ創りのために、
 ガチでホメたりケナす、キャッチボールはこつらまで。
 いただいたご感想は無断で本誌に掲載したり、
 日刊パセオやしゃちょ日記に戴っけることも普通なので、
 又スペースの都合で一部カットさせて戴くこともあるので、
 あらかじめ、そのつもりでよろしくねっ!
 なお、本誌掲載分については、
 掲載誌&ヨランダ・フラメンコ手ぬぐいを進呈!

 ちなみに今月号では、執筆者としての私の出番が実に少ない。
 忘備録4本と、しゃちょ日記を半ページだけだ。
 しかも、専門誌にしては珍しく、
 そこだけは読まなくてもいいページになっているところが実におめでたい。
 
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 2011年4月21日(木)/その666◇コラヘ~フラメンコの時代

 日本フラメンコ協会有志企画/チャリティ・フラメンコライブ
 [2011年4月15日~17日(全3回)/東京・恵比寿・サラ・アンダルーサ]


 このままでは危ないと誰もが感じていた漠然たる不安が、
 悲惨極まりない天災という形で現実になった。
 あの3月11日を境に日本は変わった。
 私の周囲でもガラリ様相は変わった。
 それでもまだチャッカリ世間にブラ下がろうと右往左往する者。
 重き荷を自ら背負い遠き道を歩んでゆく覚悟を決めた者。
 後者に目覚める者が主流となる。
 そんな時代になったと思うことに決めた。

 「東北地方太平洋沖地震」被災者支援活動に
 日本フラメンコ協会は始動し、協会有志の呼び掛けから、
 ㈱イベリアから会場提供されたサラ・アンダルーサにおいて、
 連続3日間の義援ライブが開催された。
 総入場者数は383名、総額93万円に達した義援金は
 すべて日本赤十字社を通じて寄贈された。
 総勢34名の豪華出演ラインナップは以下の通りである。

[バイレ]
 浅見純子、阿部碧里、市川幸子、伊部康子、今枝友加、井山直子、
 入交恒子、太田マキ、影山奈緒子、鍜地陽子、河野睦、河内さおり、
 小島慶子、小林泰子、島村香、鈴木眞澄、チャチャ手塚、藤井かおる、
 山室弘美、山本将光、屋良有子、吉田久美子

[カンテ]
 有田圭輔、伊集院史朗、織田洋美、川島桂子、瀧本正信

[ギター]
 小原正裕、金田豊、小林亮、鈴木淳弘、高橋紀博、
 長谷川暖、山崎まさし

 私が観たのは初日金曜。
 「心と技」の半日取材を終え、
 この連載の相棒(写真家・大森有起)とともに
 武蔵野ロケから会場の恵比寿に直行する。
 「みんな何か、いつもと違う気合いの入り方なんです」。
 会場で顔を合わせた出演のバイレ鍜地陽子が超然と笑う。
 皆ほとんどぶっつけ本番。
 何かが起こってくれそうなゾクゾク感。
 果たしてもの凄いことになった。

 超満員の客席の異様な興奮の中、第一ラウンドが始まる。
 運営幹事の名カンタオーラ川島桂子は伴唱でも冒頭から飛ばしまくる。
 華麗なるベクトル、劇場向きの遠達性を持った河野睦のアレグリアス。
 鉄火で愛らしく図太い貫禄、清冽な重量感漂う鍜地陽子のソレア。
 この日はピックを使わぬギター小原正裕の
 伸びのびダイナミックにギタリスティックの究極を鳴らすド迫力。
 しっとり端正な浅見純子のタラント。
 ギター長谷川暖の斬新な和声に耳を奪われる。
 強烈なメッセージ性、ストイックな粋とツネリがびんびん効いた、
 笑わない山室弘美の純白のアレグリアス。
 目を閉じればスペイン人カンテが聞こえてくる、
 年季とドスがフラメンコの核心を貫く瀧本正信の分厚い踊り歌。
 一部終了時、すぐ横で全力熱唱するロッカメンコ有田圭輔の肩を
 大御所・瀧本がポンと叩いてねぎらう場面が印象的。

 すでにステージと一体となった客席のエキサイティング状況が、
 休憩を挟んで第二ラウンドに突入する。
 ムイ・ヒターナの重たい看板を軽々と背負いきった小林泰子のソレア・ポル・ブレリア。
 すべてが自然に懐かしく、愛敬のにじみ出る影山奈緒子のタンゴ。
 スタイリッシュな気品と均整に充ち満ちながら、
 鋭く透明なペソでその深遠に切り込む入交恒子のソレア。
 60を越えても衰えを知らない高橋紀博のギターがバイレに安心と冒険を与える。
 と、ここまでの気合い漲る7ヌメロで、すでに客席の高揚は沸騰点に達している。
 う~~~ん、何て凄えフラメンコたちなんだろう!

 そして大トリは鈴木眞澄。
 あれっ。出だしからいつもと違う。
 この25年で20回以上は見ている彼女のアレグリアス。
 カディスの明るい潮風のようなグラシアが、
 いつもの幾倍もの好ましさで豊かに軽やかに薫ってくる。
 凛として暖かな、果てしない大きさと深さが協働する希望に溢れるエネルギー。
 よく動く若い技巧ではなく、
 アルテに奉仕するための必要最小限の心と技をつなぐ魔法。
 ああ、何という腰の座った優雅なひらめき!
 これまで私の観てきた彼女の全ヌメロの中で、間違いなくダントツの出来映え。
 ひゃー、やってくれるもんだねえ~! と、
 ラスト追い込みにかかる瞬間、心優しい聖母の如き表情から突如笑みが消える。
 うっ......。彼女は怒っている。
 彼女の心根を知る者には即座にわかった。
 天災人災に対し彼女は本気で怒っている。
 そして、被災者を魂の奥底から悼んでいる。
 だが、それらは怨みではない。
 それはフラメンコで云うところの「コラヘ」だった。
 やり場のない怒りと哀しみを自ら引き受け立ち向かう。
 一切の雑念を交えず、そのとき鈴木眞澄はフラメンコの霊感とひとつになった。
 脳髄から心臓にかけてざあッと鳥肌が駆け抜ける。
 そしてマミさんは、怒りと哀悼を同時に浄化させながら
 この奇跡のアレグリアスを舞い終えた。
 それは祈りだった。
 超満員で酸欠状態の客席に爆裂する大喝采!
 ラスト30秒、無意識のうちに客席は鈴木眞澄とともに祈っていたのだ。

 運営幹事でもある彼女はすぐさまマイクを取り、
 涙を呑み込みながらメンバー紹介をすませ、
 気丈に来場者からの義援金に感謝を述べた。
 まるで古典映画の名シーンのような私の中のドゥエンデはずうっと続いていた。
 金では買えないこういう瞬間がポーンと出てくるフラメンコを誇りに想った。
 平静時も混乱時も手抜きなく全力で生きるフラメンコが、
 日本の復興に大いに貢献できる時代に突入したことを臆面なく実感してもいいと思った。
 入場時に奮発した最後の万札が、
 何百倍か有り難い記憶となって心のデータバンクに蓄積された。


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 2011年4月22日(金)/その667◇到達点じゃなくて

 スーちゃんこと、田中好子さんが他界した。

 ほぼ同期、私よりひとつ年下で、
 同じ東京東部の出身だったから、
 昔から妙に親近感があった。

 映画『黒い雨』で、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を
 受賞したのが1989年。
 誠実さのにじみ出る好感度な女優だった。

 同期の親しい仲間がバタバタ入院する時期でもあったので、
 さあ、そろそろお前も準備しておけよ、
 と云うつぶやきが内側から聞こえてくる。

 ずいぶん前から準備だけはしているつもりだが、
 いざとなればウロウロうろたえるに違いない。
 こわいものはこわい。それはそれでいいと思う。

 私にだって、生きてるうちにこうなりたいという
 強い到達目標は幾つかあるが、
 それに優先する大切なヴィジョンを、ほぼ毎日想う。
 パセオ4月号しゃちょ対談で、若い今枝友加はこう述べている。
 
 
 私はずっと進化していたいな。
 到達点じゃなくて、
 死ぬまで進化しつづけてることが唯一の目標。
 そういうプロセスの途中なら、
 いつ死んでも悔いはないっていう自信だけはあるから。


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 2011年4月23日(土)/その668◇幕府愛

 ひとまわり年下の地元呑み友サトル。

 小学校の卒業アルバムは、卒業生全員の座右の銘を掲載する
 なかなかに粋な企画だったと云う。

 だが、さすがに小学6年生では、
 座右の銘を自分で見つけることは難しいため、
 おっかねえ担任の先生が、それぞれの性格にふさわしい内容を
 考えてくれたのだと云う。
 けしからんイタズラ小僧のサトルに、先生は云った。

 「おまえは『楽あれば苦あり』にしなさい」

 らくあればくあり。
 そう口頭で教えられたサトルは、
 初めて聞いたその格言を、わけわからんまま記入提出し、
 それはそのまま卒業アルバムに印刷された。
 

 「楽あれ、幕府あり」


 おいサトル、おめえは新選組かよっ


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