作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 働かないサラリーマン (5) 】

2006-10-27 17:04:09 | 12 幼き日々のこと


課長の椅子に座っただけで、俺は管理職とうそぶき、
何もしない手合いならゴマンと居るから一々取上げて
いたらキリがない。

ボクは計5人の課長に仕えたことになるが、3人目の
加古(仮名です、名前をつけないと書きにくい)と
いうのは、マニラ帰りの遊び人だったが、ボクが合繊
原料部に拾われて、産業資材の国内担当で営業デビュー
を果たした時に課長に昇格した。

およそ客先周りなんてしたことがない。マニラ駐在が
昇格とはいえ国内担当課に廻されたのが不満でしよう
がない。

よき時代で、会社は有名ゴルフ場の会員権を多数持って
いる。それを古手の課長以上の者に名義を与えるのだが、
コイツも加古川ゴルフ倶楽部の名義をもらった。

メーカーの誰彼に電話連絡をとり、ゴルフに誘う。
住んでいるのは西宮市の社宅。バスと電車を乗り継いで
加古川まで往復しているのに、会社が車馬賃という明治
時代に通用したような経費名目で、タクシー代として
数千円を稼ぐ。月にすると2~3万円になる。入社6年
目のボクの給料が2万円台だった時代だから、これは
大きい。もちろんゴルフ代は会社経費。

課長になれば、接待費の枠が与えられる。平社員には
一円も与えられない。それを使ってもっぱら社内の仲間
で北新地のバーに行く。
伝票にはボクの取引先とボクの名前が書かれ、手前は
印鑑を押すだけ。会社は伝票に従ってバーに支払う。

そんなことは知らなかった。
経理から「キミ遊びすぎちゃうか、そんなに大切な得意先
があるのか」と聞かれ、何のことか分からなかった。

真相を知ってボクは怒った。
仕事はしないで何時も机に向ってるだけ。それは良い。
なまじ出来の悪いのが働くフリをすると、こっちが迷惑
する。いっそ、遊んでいてくれ。
しかしボクの全く知らない店で勝手に遊び、ボクの遊興費
として処理するとは何事か。

ボクが国内から輸出に転じたとき、加古は仙台の次長として
飛ばされた。以来年賀状の行き来もないし、消息も知らない。
課長になって、ボクの過去の課長たちがボクを如何に評して
いたかを知る機会があった。加古はボクを評していわく。

「その奔放なること、さながら暴れ馬の如し。調教不可能」




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