作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

歴史・エッセイ・小説・時事ニュース・・・なんでもござれのブログです。どうぞよろしく。

【 失業者時代 (6) 】

2006-10-27 17:11:26 | 12 幼き日々のこと


このシリーズ、1~5ですべて書き終えたつもりが、
重要なことを書き漏らしていた。

ウイーンに居たボクを矢の催促で呼び返した常務は、
ボクがハンブルグに派遣された時の部次長で、その
数ヶ月前までは直属の課長だった。

ボクは都合6名の課長に仕えたが、最も尊敬できた
課長が、その常務でもあった。

帰国して突然指示された内容が、先輩のクビ獲りと
あって、驚愕が怒りに変わり「じゃあボクが辞める」と
なったんです。

一度は二人だけで、当時のボクの受けた衝撃や、常務
の抱えていた苦悩などを、お互いが分かっていた筈
だけに、腹蔵なく話し合いたいと思っていた。

その常務も今年故人になった。

最後に逢ったのは、会社の旧友会(OBの会)で、
百名を越す多くの出席者だったから、会の間は姿を
見なかった。
今日は欠席だと思っていたら、解散後うしろから肩を
叩かれ「よっ、真ちゃん」。

それだけだったが、退社以来長い間わだかまっていた
ナニモノかが、消えた自分に気がついた。




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【 失業者時代 (5) 】

2006-10-27 17:10:32 | 12 幼き日々のこと


池田の職安ではずいぶんと面白い経験をした。

例の男が「もっと聞き出してやろう」って顔で
待っている。

「その後その彼女とはどうなりました」

「オンナは強いです。ボクがクビと決まったら、
貴方はどなたでしょうって態度に」

しおれて見せると相手はもう嬉しくてしょうがない。

「ところで、どこか仕事を探しに行きましたか。
ここはあくまで仕事をする気があるのに、見つからない
人にだけ保険金を出すのです。どこのどんな会社に
就職活動をしたか、ここに書いてください」

用紙を渡された。

三菱重工業、三井造船と二社を書き返したら、目を丸く
して、

「これはどういう意味ですか」

「いや、両者とも辞めるんだったらウチに来ないかと」

相手はあっけにとられて、ボクの姿を上から下まで。

次の時には、ホンコン・ナイロン企業、社長として
と書き込んで渡した。本当に余社長から、事業全部を
引き受けてくれないかと要請があったから。

その次には、ドイツ・ドクターグランデル社と書いた。
日本総代理店の社長としてと。

職安の男は、もう何も言わなかった。




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【 失業者時代 (4) 】

2006-10-27 17:09:42 | 12 幼き日々のこと


考えてみたら「辞表」というものを出してなかった。

そんなもん出さんと「早よう辞めさせ。退職金は1億
に負けといてやる」と喚いていたのですから、人事部
も困り果てたと思う。

しかし「辞表」は書くべきだった。

「一身上の都合により」なんて誰が書くものか。

好きな重役、皆追い出してTACじゃなかったCAT。

猫が銀行の操り人形の会社なんかに居られるか。

オレ様は「アイ・ドントノウ・ヒム」なんだ。
それが名誉だ。

そうハッキリと退職理由を書いてやればよかった。
惜しいことをした。そう思います、本心から。


正式にクビになったつもりでいたのに、社内報には
「依願退職された」と書いてあると聞き、人事部長
に電話して、

「なんで、ハッキリ、クビにしてやったと書かんのや」
と怒鳴りあげたった。まともな商社マンじゃなかったな。


ともかく天下晴れて失業者になったから、失業保険
貰おうかと職安に出かけていった。

職安は阪急線の池田にあり、すぐに退職金が出るわけ
じゃなく、就職希望者として登録をさせられた。

係りの職員が、ボクを哀れむような目で、好奇心も
隠し切れない目もして、いろいろと尋ねる。

面白いから、こっちも芝居をする。

「なんでまた、こんな良い会社を辞めたんですか」

「実はこれで会社を辞める羽目に」と、小指を立てて
見せる。

職員は身体を乗り出し、「誰かまずい相手ですか」

「社長が口説きに口説いて振られたとウワサの有った」

「へ~え、それで社長の圧力でも・・・」

「よっぽど悔しかったんでしょうネ」

「それで、これからどうします。ここには貴方の希望に
適う仕事は無いと思いますよ」

「そうでしょうね」と肩を落とし、しょんぼりして見せる。

どんな連中が仕事を探し、どんな仕事の求人があるのか
閲覧できる場所で調べていたら、先ほどの職員が仲間を
集めて、盛んにボクのことを話している様子だった。
仲間の連中がチラチラとこっちを盗み見するから分かるんだ。




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【 失業者時代 (3) 】

2006-10-27 17:08:55 | 12 幼き日々のこと


時々は会社に出かけて行った。

退職金を早く出せと督促するために。

人事部の応接室には盗聴器が仕掛けられ、
それを武内が聴くのだとのウワサがあったから、
その部屋へ連れて行けと、部屋を物色し、
ここだと決めて、大声で武内が聞いたら卒倒しそうな
罵詈雑言を吐いた。まるでガキですわ。

「どこまで出た。1億は覚悟したか」

「無茶言わんでくださいよ。私は所詮将棋の駒ですから」

年上の人事部長が泣きそうに言う。

「武内が盗聴してんだろう、泣き声出したら後で叱られ
まっせ。いま日本石油の株が動意づいている。早う1億
出してくれ。日石株投資に間に合わん」

後で見事に騙される、一年先輩で会社を辞めた男と事務所
を開き、いつでも会社を起こす態勢を整えた。

結局翌年の5月4日、ゴールデン・ウイークのさなかに
ボクの退職処理の全部が整えられ「切腹の儀」完了。

流石に1億には程遠い額が提示されたが、ボクはまだ
44才で定年には遠く及ばず、しかもボクが勝手に辞める
わけで、規定通りなら5百万も出ない。
ボクも冗談で億と言ってたわけで、正規の定年者に近い
額に否やはなかった。

会社が設営していた「適確年金」を全額前倒しにさせた。
「オレが辞めるんだぞ。あと誰が稼ぐんだ」とうそぶいて。

向こう十年間「生活支援金」を出すという。月に十○万円。

まあ勤続22年には過大といっていい金額になった。

一日も早く独立したかった。




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【 失業者時代 (2) 】

2006-10-27 17:07:53 | 12 幼き日々のこと


この頃会社全体が暗くて重苦しい雰囲気に包まれて
いたのには、重大な特殊事情があり、それはメイン
バンクの発言力が強大になるとともに、社長人事に
クチを出し、いち早く東大閥を利用してその銀行に
取り入ることに成功した、武内というアホーが社長
の椅子に座り、人望厚かった機械部門統括の専務が
社外に出されてしまったこと。

豊臣政権で加藤清正が追放されて、嫌われ者の石田
三成が首座に着いたに等しい人事。

武内のアダ名が「アイ・ノウ・ヒム」。
ここらを書きすぎると、目下連載中の小説が書きにく
くなるんだがまあいいでしょう。

武内が専務になってすぐ、社内にTACという言葉
が流れた。帝大・アメリカ・コットンの頭文字を並べ
たもので、要するに武内にとって、旧帝大、米国駐在
経験者、棉花部出身の者だけが信頼に足るとする、
極端な差別主義です。

帝大はホンネは東大なんだけど、それじゃ数が足りな
いから京大・阪大などの旧帝国大学の卒業者を集めて
本来社内では各校が派閥につながると遠慮していた
学閥を「東棉学士会」と称し、それに自ら米国東棉社
社長の経歴を生かして、ニューヨークはじめアメリカ
各地の駐在経験者、己が歩んだ棉花部。
この三者を集めて会社の中枢を握る。

ウイーン・東欧に出張して来る者の多くは機械部門で、
上記の三者に入らない者が多い。
言ってやった、TACだと?並び替えてみろ、CATだ。
キャット、猫じゃないか。

武内がヌカしたらしい。海外店の長はよろしくTAC
で固めるべしと。リシャッフルするんだと。
「アイ・ノウ・ヒム」だけしか信頼できない情けない
ヤツ武内。トーメンを潰したA級戦犯の第一号。

いずれ小説で徹底的に叩きます。

後のハナシになるが、こやつの葬式は哀れだったらしい。
ボク?ボクが行くわけ無いじゃないか。

亡くなった奥さんの後釜に据えた銀座の二流クラブの
冴えない女。それに怒った二人の息子たちは、オヤジ
に愛想つけ没交渉。肝心の女は武内が死病に取り付かれ
たと見るや、獲るべき物を獲って、ハイ、サヨウナラ。

こんなアホーが社長になって、社内に積極的に閥を作り、
それで全社の意気が上がるわけがない。ろくな死に方
出来なくて当然。

ボクは時間が余るほどあるから、シンガポールに行き、
スリランカも訪れ、ヨーロッパまで足を伸ばした。
何かを輸入販売する小さな会社を起こすつもりだったから。




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【 失業者時代 (1) 】

2006-10-27 17:06:37 | 12 幼き日々のこと


1988年ウイーン。

2年間に92回も東欧圏に出張した効果が出てきて、
ユーゴ、ハンガリー、ブルガリヤ、ポーランド、
ルーマニヤなどの公団や企業(ユーゴには公団がない)
から、それまでは殆ど無かった大型案件の引き合いが
出てきて、本社プラント輸出部を中心に出張者も増え、
重工業関係のメーカーの技術者も大勢やってきて、
社内でも存在の知られなかった東欧にライトが当たって
まさに席のあたたまる暇もなかったそのころ。

本社からの出張者がもたらすニュースの内容が暗く
なっていった。まだリストラとは言わなかったが、
副本部長の机が無くなって、当の副本部長が困惑した
とか、50代に達してラインから外れている「副」や
「次」の肩書きの人たちが軒並み「肩叩き」の憂き目
にあっていると。

東欧7カ国・6事務所を束ねる東欧支配人のボクは
まだ44才だった。

ブダペストで開催された、日本ーハンガリー経済交流
委員会の日本側代表メンバーの一員としてブダ城での
会議に出席中のボクに、3月末までになんとしてでも
帰国しろとの本社繊維担当常務からの、矢のような
催促。

政府委員の立場上、途中退場は不本意だったが、急遽
帰国したボクを待っていたのは、常務からの信じられ
ない特命事項。
「繊維部門に退職を迫られている50代が6~7人。
かれ等が持っている対外的なポストの全部を引き受け、
6~7人が居残る理由を奪ってしまえ」

あまりのことに絶句したボク。首切り浅衛門をヤレって
か。ジョーダンじゃない。そんな非人情なことが出来る
わけがない。会社がそんなに苦しいのなら、ボクが辞め
ましょうで常務が慌て、大勢の慰留を受けたがオトコが
いったん辞めると発言したからには辞める。

ウイーンに出張でくる連中から注意せよと言われていた。
ラインの長で、ちょっとでもキズがある者や弱い感じの
者が、ラインを外れて肩叩きの対象となる者たちから、
そのポストを狙われていると。特に海外店の長たちは
抗弁の機会を持たないから「狙われやすい。あること無
いこと捏造されてスキャンダルの主にされる」。

ボクは「ウイーン在住のオンナの子たちに人気があるから
格好の狙い目となる」らしく、特にテラスケと皆が呼ぶ男
がボクのオンナ偏のウワサを撒き散らしていると。

北の新地の高級クラブで、ボクの慰留に努めていた常務
が口を滑らせたから、ボクの退社決意がより強固なもの
になりました。

このハナシはまだ殆ど書いていない。どうしても弁解じ
みるから、それが嫌だから。

テラスケ発信のウワサによれば、ボクはウイーン在住の
音楽をはじめ諸々の分野で勉強中のオンナの子たちに、
めっぽうモテルらしく、社宅には始終オンナの子が出入り
して、さながらハーレムの如しとのこと。ホントにそうな
ら願ってもない幸せなオトコなんだけど、殆ど毎週いつ
落ちてもオカシクはないソ連製のガタガタの飛行機に命
を預け、身を賭して会社のために尽くしている者に、それ
が常務の言うことですか。どうぞ何でも言うてくれ。はい
はい分かりました。火の無いところにケムリはたたんとも
言う。李下に冠を正さず、瓜田に履を直さずとも。じゃあ
そうなんでしょう、仕事そっちのけでウイーンの夜を優雅
に過ごしていたんでしょうよ。李(スモモ)も瓜もタップリ
いただきました。どうせ辞めるんだから、クビにする理由が
増えて結構ですね。

火の無いところたぁ何だ! 大いに燃え上がった。火だ!
火だ! モンク無かろう。

で、早く退職金払っておくれ。2~3億と言いたいとこだが
まぁ1億で手を打つからと、常務も人事部長も唖然とさせ
て、折から国会では商社各社のダーティビジネス暴かれて
日商の海部氏が証人尋問でサインするのに手が震えたと、
話題になったそんな頃だったから、「規定の退職金じゃ黙る
ヤツじゃないし、ハラ括って居直られたらどうしよう」

ラチあかんから「当分会社には来ないからな」。一年以上
遊んで暮らした。ちゃんと給料もボーナスももらいながら。

ここら辺りから実質的な失業者になっていた。
毎日ポケットにメモとゴルフ場にある短い鉛筆入れて、
デパート、専門店街、スーパーまで、物価調べて歩き周り
どんなものを輸入すれば需要に結びつくかを研究していた。




                                       パパゲーノ


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【 働かないサラリーマン (6) 】

2006-10-27 17:05:44 | 12 幼き日々のこと


加古課長が頼りないと思ったのか、課長代理
が置かれることになり岡山というのがやって
きた。岡山支店で綿糸を地場の織屋に売って
いたオトコだから、仮名が岡山。

こいつの得意技は「仮出張」。
役人みたいに、行ってもいない所への堂々たる
仮出張じゃなく、行くことはいく。というより
出発することは出発する。

例えば高知県の漁網メーカーに出張したことに
して、岡山時代に馴染みになった芸者が居る
瀬戸内辺りの温泉宿に泊まり、そこから高知県
に電話で話しをすませ、岡山周辺と高知県との
間の交通費を浮かせるという、なんとも気の毒
になるようなセコい仮出張。

温泉宿での掛りを、高知県の漁網メーカー接待
の形に変えるから、そうセコくも無いのも。

新入社員がお供して、付き合えといわれ、後で
怖くなり課長に「おそれながら」と全部話した。

課長の加古が怒ったが、加古だって似たような
もんだと岡山が開き直る。岡山は仙台支店に飛ば
された。
しばらくして加古も仙台支店に飛ばされるんだけど
かの地でご両人は仲良くやれたのか、それとも
お互いそっぽを向いて過ごしたのか、どっちにせよ
真似をしたくない人生ですなぁ~。


このシリーズ、もうキリがないからここで絶筆。




                                       パパゲーノ


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【 働かないサラリーマン (5) 】

2006-10-27 17:04:09 | 12 幼き日々のこと


課長の椅子に座っただけで、俺は管理職とうそぶき、
何もしない手合いならゴマンと居るから一々取上げて
いたらキリがない。

ボクは計5人の課長に仕えたことになるが、3人目の
加古(仮名です、名前をつけないと書きにくい)と
いうのは、マニラ帰りの遊び人だったが、ボクが合繊
原料部に拾われて、産業資材の国内担当で営業デビュー
を果たした時に課長に昇格した。

およそ客先周りなんてしたことがない。マニラ駐在が
昇格とはいえ国内担当課に廻されたのが不満でしよう
がない。

よき時代で、会社は有名ゴルフ場の会員権を多数持って
いる。それを古手の課長以上の者に名義を与えるのだが、
コイツも加古川ゴルフ倶楽部の名義をもらった。

メーカーの誰彼に電話連絡をとり、ゴルフに誘う。
住んでいるのは西宮市の社宅。バスと電車を乗り継いで
加古川まで往復しているのに、会社が車馬賃という明治
時代に通用したような経費名目で、タクシー代として
数千円を稼ぐ。月にすると2~3万円になる。入社6年
目のボクの給料が2万円台だった時代だから、これは
大きい。もちろんゴルフ代は会社経費。

課長になれば、接待費の枠が与えられる。平社員には
一円も与えられない。それを使ってもっぱら社内の仲間
で北新地のバーに行く。
伝票にはボクの取引先とボクの名前が書かれ、手前は
印鑑を押すだけ。会社は伝票に従ってバーに支払う。

そんなことは知らなかった。
経理から「キミ遊びすぎちゃうか、そんなに大切な得意先
があるのか」と聞かれ、何のことか分からなかった。

真相を知ってボクは怒った。
仕事はしないで何時も机に向ってるだけ。それは良い。
なまじ出来の悪いのが働くフリをすると、こっちが迷惑
する。いっそ、遊んでいてくれ。
しかしボクの全く知らない店で勝手に遊び、ボクの遊興費
として処理するとは何事か。

ボクが国内から輸出に転じたとき、加古は仙台の次長として
飛ばされた。以来年賀状の行き来もないし、消息も知らない。
課長になって、ボクの過去の課長たちがボクを如何に評して
いたかを知る機会があった。加古はボクを評していわく。

「その奔放なること、さながら暴れ馬の如し。調教不可能」




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【 働かないサラリーマン (4) 】

2006-10-27 17:03:22 | 12 幼き日々のこと


商社マンに限ったことじゃないと思うけど、
部課長、支店長、駐在員主席なんて役職者は、
あくまで前線部隊長であったり、中隊長、小隊長と
して先頭に立って戦うのが本分のはず。

それを「管理職」の言葉に酔い、部下を管理するだけで
仕事をしている気になっていた手合いがゴマンといた。

ハンブルグ赴任の半年前に、ヨーロッパ・南アフリカ
40日の出張に出たのだが、ヨハネスブルグの所長が
典型的な管理職に徹したオトコで、繊維を任せた現地
エイジェントとの食事ぐらいが仕事。

鉱業・食糧などは「俺は素人だから」と関与しない。
南アフリカとの貿易高は、鉱業・食糧が圧倒的な
シェアを占めるのだから、出身部課の如何を問わず
大いに関心を持って勉強し、会社の代表としての任務
を果たすのが当然。最初から投げ出しているんじゃ、
そんなオトコ駐在させる必要もないし、そんなオトコを
所長として派遣する人事に大問題がある。

ボクがハンブルグの業務を終えて本社に帰り課長の椅子
に座っていたとき、カレも任務を解かれて繊維部門の
閑職に甘んじていた。

ある朝、ボクの席に来て、ちょっとお茶をと誘うから
喫茶店について行きました。

「えらいこっちゃ」

「何が?」

「ハンブルグへ行けってよ」

「そりゃ、えらいこってすな」

「えっ? そんなにえらいとこか」

「あそこには奴隷もいないし、召使もいませんぜ」

若いときからアジア・アフリカの後進国ばかりに駐在し、
身の回りから何から他人に命じてやらせてきた人に、
ドイツ人が使えるか?

無理に決まってる。支店長=管理職に徹底するんだろう。
そう思い、一年後に出張したら、ボクの得意先に付いて
行きたいと言う。
同行を同意したら喜んで付いてきたが、どの会社に行って
も「初めまして」と名刺を出す。一年間何もしていなかった
ことが歴然。

管理職意識で赴任地でのうのうと遊んでいるヤツ。そんなのが
多かったから、会社名が消えてなくなる結果となったのです。




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【 働かないサラリーマン (3) 】

2006-10-27 17:02:29 | 12 幼き日々のこと


ウイーンの前任者も仕事をしないことでは人後に
落ちぬ怠け者であった。

東欧を見据えてウイーンに事務所を構える諸外国
の新任者に取り入り、あたかも東欧ビジネスの
専門家をよそおい、現地採用の長として高給を貪る。
そんな一人マイヤーに、業務一切を任せきりウイーン
に居座って、オペラだコンサートだと優雅な夜を
過ごす。

ろくに商売も無いウイーンに足を延ばす社員も居ない
し、役員で偶にやってくるのは「森の都」「音楽の都」
を訪れるのが目的の、ダラ幹に限られる。

ダラ幹の一人、棉花部出身で業務部長の職にある江川
が観光旅行気分でやってきた。こんなとき普段は遊ん
でいるヤツがハッスルする。空港出迎えから始まって
社宅での接待、オペラへのお供、あげくホテルの部屋
まで行って「常務、今日はお疲れでございました。
ワタシは多少マッサージの心得がございますので、
足なと腰なとお揉みしましょうか」

すまんな、頼もうかとなり、ここぞとばかりに汗を
かいての奉仕に努める。翌朝早く妻に作らせた和食の
弁当を「毎日ホテルの朝食ではお飽きになったでしょう」

思わぬ握り飯をほうばりながら、江川は魔法瓶入りの
味噌汁を飲む。

帰国後、ウイーンのあいつは見所があると海外統括部
に伝える。海外統括の西部長は、そやつがゴマすりに
長けただけの、仕事は全くしないヤツと承知しており
早く更迭したいのだが、常務の一人が絶賛するから手が
下せないでいる。

江川が子会社に出向となって、漸く更迭となり、ボク
が後任に選ばれたのです。

ウイーンにはボクの大の顧客がある。オーストリー専売
公社がそれ。 だからウイーンには度々出張で行っていた。

名前がない と話を進めるのに不便だから、そやつを
「若ハゲ」と 呼ぶことにします。

若ハゲはオートマ運転しかできない。オーストリーには
オートマの普及がなく、マニュアル操作のクルマしか
無い。そこで若ハゲがやったこと。ベンツの高級車を
セカンドで発進しそのままセカンドで走行する。つまり
ギヤをセカンドに固定してオートマ化して使ったわけ。

何年もそんな使い方をされたから、馬力が出なくなって
いる。坂道なんか喘いで喘いで、かぶと虫と呼ぶワーゲン
にも抜かれる始末。

社有車を私物化したあげく壊してしまった。

マイヤーにはドクターの称号があるが、単に大学を出た
というだけのこと。

赴任早々全スタッフを集め宣言した。

「私は若ハゲの後任で来たのではない。全く新たなる
任務を帯びて東欧全域の支配人として新たに着任した」

「先ほど見たら、マイヤーがソファに寝転び一人の女子
社員に何事か言いつけていた。後で何だと聞いたら出張の
精算をさせていた。それを若ハゲが黙って見ていた。
これからマイヤーのことをドクターの尊称で呼ぶことを
禁止する。ヤツは単なる大学出身、それも入学が容易な
イタリヤの大学だ。ドクターの称号はドイツ・オーストリー
で通用しない。今日を持ってヤツの個人的な計算の手伝い
をすることも禁止す」

おい、マイヤー。いま聞こえた通りだと宣告してやったら
怒りで顔を真っ赤にして出て行き、それから一度も出社
しなくなった。

若ハゲにも通告した。東欧の各事務所には一人で行く。
あんたの同行は断る。どうせ何もしていないのに、帰国
報告のためだけの同行なんて無駄なことだ。海外統括部
の承諾は得ている。クルマのことでは総務部に訴える。
あんたから損害賠償を取るべく進言する。

引継ぎは一切要らない。そのファイルも中身が空っぽだ。
全部あんたの机の未決のカゴに入ったままじゃないか。
いったい何時から放置してるんだ。

それから社宅も引き継がない。家主との解約はあんたが
やってくれ。いいか自分でやれよ。スタッフを使うこと
は許さない。

この若ハゲはボクが入社二年目で受渡に飛ばされた時の
北米担当で、当時から常に貧乏ゆすりをしているダメな
ヤツだった。

ウイーンを去るに当たり、どうしても行きたい所がある
と言う。どこだと聞いたらポーランドのグダニスクだと。
元ドイツ海軍基地があったダンケルクだ。

勝手にしろと言ってやった。若ハゲはボクより4年先輩
の神戸大学。




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【 働かないサラリーマン (2) 】

2006-10-27 17:01:39 | 12 幼き日々のこと


かく言うボクだって最後の一年二ヶ月ぐらいは、
只で給料・ボーナス貰ってました。

ウイーンから呼び戻されて、50代の先輩数名の
業界お付き合いの仕事をみんな取上げろ。
そうすれば連中は会社に居残る理由がなくなる。

それがボクの仕事と聞いてカッとなった。

会社がそこまで苦しいのなら、じゃボクが辞めましょう。

驚いた常務が翻意を促した。
「誰がキミに辞めろといった。キミはまだ40前半
 じゃないか。帰国以後さしあたりの仕事として、
 日本商工会議所とか日本貿易会の委員会とか、
 そうした任務についてくれと言っただけじゃないか」

「辞めろって言われたのと同じことでしょう。あの人たち
 皆ボクの先輩ですよ。ゴルフ教えてくれた人。飲みに
 連れて言ってくれた人。そんな先輩の足を引っ張る
 非人情なことボクにはできません。辞めるしかない」

いろんな人が常務の命令か依頼か知らないが、ボクの慰留
にやってきた。過半は頼まれたから仕方なく来たと顔に
描いてあった。

数人は本気で慰留してくれました。ボクもぐらっときたこと
何度かあります。

後に専務まで昇格した第1本部長は、ボクの手を取り
「友達じゃないか」と涙をこぼし、ボクも泣きました。
だけどオトコがいったんクチにしたこと引っ込めるワケ
には行かない。

常務は意地でも辞めさせんという。ボクはオトコだと
突っぱねる。

じゃあ会社には来ませんからと、トータル14ヶ月出社しな
かったが、給料はちゃんと振り込まれ続けた。
あれは立派にサボタージュでした。

ボーナスも2回もらった。「査定はお気に召さないでしょうが」
と人事部長の添え書きがあった。

今思い出したがボクは結局「辞表」を出していません。




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【 働かないサラリーマン (1) 】

2006-10-27 16:56:17 | 12 幼き日々のこと


大家族主義と終身雇用制、それが日本式経営と
良いことのように喧伝されていた時代。

どこの会社にも窓際に座っていて副か次のつく肩書き
を持つ人々がいました。

ボクが新入社員として配属された毛麻部にも、
部長の他に副部長2名、次長も2名いました。

毛麻部は何て読むのって聞かれたから、ここでお答えを。
字の通り、羊毛とその製品、毛織物・毛糸の国内と輸出。
プラス麻類の輸入を担当する部。

当時「関西五棉」と称された、東棉・日綿・江商・丸紅・
伊藤忠の各社には毛麻部がありました。ケアサブと呼ぶ。

さてボクの部のエライさんたちだけど、二人の副部長と
次長の一人は、それぞれ課長兼務だから仕事がある。

残る一人の次長は仕事が無いのか、毎日ボクを観察して
文句を付ける。

靴を磨いていない。

ネクタイが汚れている。一本しか無いのか。

髪に油っけがない。分け目がハッキリしない。

メガネが曇ってる。

毎日シャツを替えろ。

おまえなぁ~、他に仕事ないのかよ。

ボクが嫌いなのかと思えば、そうでもないらしく、
5年ほど経ったら、頻繁に見合い話を持ってくる。

それも多くは社内の、ボクが先刻承知の娘たち。

○○課の○○って子、知ってるか。あの子は○○会社
の常務の次女で、あの通りの美人だ。どうだい?

どういう意味ですか?

いや、キミの結婚相手にいいんじゃないかと。

同じようなことを相手にも言ってるらしく、
顔をあわせるとポッと赤くなる。
ついこの間まで、西宮寮にやってきてはテニス教えろ
と言っていた子が、モノを言わなくなった。

そんなことが5~6回ありました。

会社環境がだんだん厳しくなって、窓際オジサンの席
がなくなり、やがて肩叩きという言葉が流行り、それでも
最初のころは子会社が用意されていた。

役職者だけじゃなく、ヒラリーマンも、窓も電話もない
牢屋みたいな一室に押し込められるようになった。

立派な名前の一室。「人事開発室」

30代半ばで、ここに放り込まれ、60才の定年まで
居座ったオトコが居た。

たいていは一年もたたずに諦めて退社する。

20年以上、孤独に耐え抜いて給料もらい続け、ボーナス
も額は少なかったろうが。

もちろん仕事なんか与えられない。
あそこまで行くと尊敬の対象になる。

♪サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだって
 気楽なバカ声で唄っていたのが居ったなぁ~。




                                       パパゲーノ

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【 社保庁改革一歩前進 】

2006-10-27 14:29:38 | 04 時事ニュース


安倍新政権による、改革はどんどん進んでいる。

社会保険事務所の職員が非公務員となることが
決まったことも大前進である。

今後の具体的な業務の振り分けとか、これから
という部分が残っているのは、あれだけのデタラメ
組織にメスをいれるのだから当然で、ともかく
職員達が公務員の立場を放棄させられることが
決まっただけでも素晴しいことである。


                 パパゲーノ


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【 おめでとう北海道ファイターズ 】

2006-10-27 13:39:45 | 02 華麗な生活


昨夜は止まり木の上で夢を語っていたから、
試合は見なかった。4-1で優勝を決めた
ことは聞こえてきた。

普段はあまり見ない選手のだれそれ、みんな
歓喜のビール掛けはTVで見た。

新庄が言った。
「マンガみたいなストーリー、出来すぎ」

少年の心を持ち続け、常に夢を見て、その夢を
果たしてきた新庄。カレは本当に少年なのだ。
それも18才や19才の「少年A」じゃなく、
もっとあどけない15才未満の少年。

日本一どころか優勝の味も知らなかった中で、
稲葉だけが4度目の日本一。その稲葉が森本
との争いに勝ってMVP。ナインも納得する
だろう。ヴェテランが新庄のパーフォーマンス
に嫌な顔も見せず積極的に協力したんだから。

自分の目で見ていないゲームの内容は語れない。

心からお祝いを述べたい。おめでとうファイターズ。

小笠原は北海道のサムライの地位を守り続けて
くれ。ハム会社は大金を惜しむな。札幌ドーム
を満杯にしたのは選手達なんだから。

新庄少年よ、夢を大切に!

パパゲーノも負けちゃいないから。


                 パパゲーノ

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【 ホテルバー「テラ」を応援 】

2006-10-27 13:38:06 | 02 華麗な生活


ボクにとって貴重な憩いの空間「テラ」に昨夜も
若い仲間を集めて「夢物語」。

人間はいくつになっても夢を描き、それを現実の
ものに仕上げていく、それを忘れちゃ進歩が止まる。

いつの間にか、人が変わったように自信が迸り出る
ようになった、本当はまだ若い黒ウイングに、前回
約束してボクのブログに書き込んだら、なんと1千
を越えるアクセス。

このホテル、ごく最近まで、とんでもない会社が
オーナーだった。親会社の方ばかり見ている典型的
な出向社員ども。

そいつ等が、たちの悪いインターネット屋に引っ
かかり、莫大な設営費用と、あとあと続く管理費用
を払わされている。そいつが作ったホームページが
役に立たん証拠にはいくら検索しても
「ホテルバー・テラ」は見当たらなかった。

それが今ではGoogle検索でトップに出てくる。

関連する記事も入れたらアクセスの総数は4000
にもなる。それらの関連記事も、すべて第1ページ
に登場する。

このホテルには日本料理も中華も最上階の
展望レストランもステーキハウスもと、いろいろな
食事どころがあるけれど、宣伝がいまいちだから、
普段の日の夜なんかガラ空きの日が多い。

新総支配人は「テラ」のネット上のビフォアー・
アフターを知っているんだろうか。知らんとしたら
怠慢だし、組織が官僚化して、情報が流れていない
としか評価できない。


                 パパゲーノ

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