作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 ヨシオさんとエイコさん 】

2008-04-06 16:54:00 | 02 華麗な生活

あっという間に今年も四月になった。
昨年十月に初めての小説を世に出し、続けさまに
計四冊を書いたのが意外な反響を得て、その分
逢うべき人が増えたりで、多忙を増している。

つい先日の四月三日に、初めてマイカーで泉北
ニュータウンに行った。
こんな時、ここ六甲アイランドから発する湾岸
高速道路がモノを言う。
最後に多少の道迷いがあったのだが、集合の場所
である、泉北鉄道の駅まで一時間十分で着いた。
桃山台という団地を抜けて駅前ロータリーに達したが、
季節柄桃ではなく桜がまさに見ごろであった。

ボクはどうやら早く着きすぎたようであった。
前夜京都に住むカンちゃんから「なるべく早めに」
と言われたから、出発を三十分早めたのが、
そのまんまの結果となったのだ。

ヨシオさんに、到着した旨を電話で告げた。
日差しもあり好天なのだが、意外に風がまだ冷たい。
やがてヨシオさんがタクシーで来られ、電車で
カンちゃんとヒーちゃんが着いた。
ボクのクルマに全員が乗り、ヨシオさんのお宅に
伺った。
エイコさんの姿がそこに見えなかった。が、
玄関に彼女の履きなれた靴があった。
彼女はボクたち、淡路島の三原高校同期の、
女性軍のリーダー的な存在で、ヒーちゃんと
共に同期生の求心力になっていた。
昨年の四月の例会にも、元気な姿を見せてくれていた。
その直後の二十九日に、突如姿を消して、未だに
戻っていない。

家の中はどこを見ても、今にも「ゴメン、お待たせして」
と彼女が現われるかの様を保っていた。
画才に恵まれた人だと、知ってはいたが、これほどの
腕かと目を見張る作品が多く、壁のいたる場所を
占めていた。
俳諧の道でも相当な地位にあったと知った。

ヨシオさんは、彼女の写真が微笑む傍らの位牌の
戒名について述べてはくれたが、ボクらがお線香を
あげるまでは有難うと言われ、続けて出そうとした
「御霊前」は拒否された。
「そんなものを頂いたらエイコが悲しみます。
永久の別れには早過ぎます」
彼女への愛に充ちたお言葉に、ボクらは逆らえなかった。
同時に彼女は幸福な結婚生活を送ってきたのだと強く
思った。

ご位牌にはヨシオさんご自身のものも添えられており、
生前に戒名を取ることは、決して不自然ではないと
言われた。
ヒーちゃんが「千の風のCDを忘れてきた」と言った。
ヨシオさんは右手を横に振って、「千の風は要りません、
彼女はここに居ますから」と、ご自分のハートを指された。
ボクはそれを目に、激しく感動していた。



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