作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 旧満州国の首都新京争奪戦 】

2012-09-26 10:02:50 | 02 華麗な生活

対日戦争の間、一時的に停戦していた、中華民国(蒋介石)と、
中国共産党(毛沢東)は、日本の敗戦により内戦を再開し、
最後には共産党が揚子江も渡って、全中国(シナ全土)を版図
におさめ、蒋介石の中華民国は、台湾に逃げ込んで今日に至る。

日本の敗戦は昭和20年8月15日であるが、ポッダム宣言の受諾
近しと知ったスターリンのソ連軍が、事前の9日に満州との国境を
越えて侵入を開始し、それまで空襲とも関係がなかった別天地、
満州国はパニックに襲われた。

昨日新京時代の同窓会があり、共産軍に包囲された新京市が
孤立し昭和24年に至って陥落するのだが、留用されて残留した
日本人800名が辿った苛酷な運命は、病弱者・幼児をはじめ
およそ500名が、餓死に追いやられ、中国内戦の犠牲者となった。

そこで「チャーズ」を詳しく語りたい。
この中国語をダイレクトに表す日本語は無い。
使われた漢字も、日本では使用されていない。

「チャーズ」は、官憲が作った関所・監視所を表す中国語である。
ボクは新京駅から南下する旧満鉄の次の駅、「南新京駅」から
昭和21年6月に、無蓋貨車で引揚げの途についたのだったが、
ボクが住んでいた地域から、当時のボクが足を踏み入れた事が
なかった南方に、広大な敷地の満州映画、略して満映があって、
敗戦後ピストル自殺した、甘粕大尉が社長を勤める満映は第二の
満州国政府と呼ばれていた。

その満州映画の線路寄りに、国府軍側の「チャーズ」があり、
そこの関門を越えて逃げる市民は、国府でもなく共産軍の統治も
無い真空地帯で、食糧の配給もなく数週間から数十日を、餓死者
の死体の山に囲まれながら、共産軍側の「チャーズ」が開くのを
待っていたと言うのである。

ここでは何十万人単位の餓死者、病死者が出たとされる。
詳しくは山崎豊子『大地の子』上巻に書かれているが、この描写
には盗作の訴訟があり、訴えたのも我が同窓の女性である。




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