対日戦争の間、一時的に停戦していた、中華民国(蒋介石)と、
中国共産党(毛沢東)は、日本の敗戦により内戦を再開し、
最後には共産党が揚子江も渡って、全中国(シナ全土)を版図
におさめ、蒋介石の中華民国は、台湾に逃げ込んで今日に至る。
日本の敗戦は昭和20年8月15日であるが、ポッダム宣言の受諾
近しと知ったスターリンのソ連軍が、事前の9日に満州との国境を
越えて侵入を開始し、それまで空襲とも関係がなかった別天地、
満州国はパニックに襲われた。
昨日新京時代の同窓会があり、共産軍に包囲された新京市が
孤立し昭和24年に至って陥落するのだが、留用されて残留した
日本人800名が辿った苛酷な運命は、病弱者・幼児をはじめ
およそ500名が、餓死に追いやられ、中国内戦の犠牲者となった。
そこで「チャーズ」を詳しく語りたい。
この中国語をダイレクトに表す日本語は無い。
使われた漢字も、日本では使用されていない。
「チャーズ」は、官憲が作った関所・監視所を表す中国語である。
ボクは新京駅から南下する旧満鉄の次の駅、「南新京駅」から
昭和21年6月に、無蓋貨車で引揚げの途についたのだったが、
ボクが住んでいた地域から、当時のボクが足を踏み入れた事が
なかった南方に、広大な敷地の満州映画、略して満映があって、
敗戦後ピストル自殺した、甘粕大尉が社長を勤める満映は第二の
満州国政府と呼ばれていた。
その満州映画の線路寄りに、国府軍側の「チャーズ」があり、
そこの関門を越えて逃げる市民は、国府でもなく共産軍の統治も
無い真空地帯で、食糧の配給もなく数週間から数十日を、餓死者
の死体の山に囲まれながら、共産軍側の「チャーズ」が開くのを
待っていたと言うのである。
ここでは何十万人単位の餓死者、病死者が出たとされる。
詳しくは山崎豊子『大地の子』上巻に書かれているが、この描写
には盗作の訴訟があり、訴えたのも我が同窓の女性である。
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