作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 失業者時代 (1) 】

2006-10-27 17:06:37 | 12 幼き日々のこと


1988年ウイーン。

2年間に92回も東欧圏に出張した効果が出てきて、
ユーゴ、ハンガリー、ブルガリヤ、ポーランド、
ルーマニヤなどの公団や企業(ユーゴには公団がない)
から、それまでは殆ど無かった大型案件の引き合いが
出てきて、本社プラント輸出部を中心に出張者も増え、
重工業関係のメーカーの技術者も大勢やってきて、
社内でも存在の知られなかった東欧にライトが当たって
まさに席のあたたまる暇もなかったそのころ。

本社からの出張者がもたらすニュースの内容が暗く
なっていった。まだリストラとは言わなかったが、
副本部長の机が無くなって、当の副本部長が困惑した
とか、50代に達してラインから外れている「副」や
「次」の肩書きの人たちが軒並み「肩叩き」の憂き目
にあっていると。

東欧7カ国・6事務所を束ねる東欧支配人のボクは
まだ44才だった。

ブダペストで開催された、日本ーハンガリー経済交流
委員会の日本側代表メンバーの一員としてブダ城での
会議に出席中のボクに、3月末までになんとしてでも
帰国しろとの本社繊維担当常務からの、矢のような
催促。

政府委員の立場上、途中退場は不本意だったが、急遽
帰国したボクを待っていたのは、常務からの信じられ
ない特命事項。
「繊維部門に退職を迫られている50代が6~7人。
かれ等が持っている対外的なポストの全部を引き受け、
6~7人が居残る理由を奪ってしまえ」

あまりのことに絶句したボク。首切り浅衛門をヤレって
か。ジョーダンじゃない。そんな非人情なことが出来る
わけがない。会社がそんなに苦しいのなら、ボクが辞め
ましょうで常務が慌て、大勢の慰留を受けたがオトコが
いったん辞めると発言したからには辞める。

ウイーンに出張でくる連中から注意せよと言われていた。
ラインの長で、ちょっとでもキズがある者や弱い感じの
者が、ラインを外れて肩叩きの対象となる者たちから、
そのポストを狙われていると。特に海外店の長たちは
抗弁の機会を持たないから「狙われやすい。あること無
いこと捏造されてスキャンダルの主にされる」。

ボクは「ウイーン在住のオンナの子たちに人気があるから
格好の狙い目となる」らしく、特にテラスケと皆が呼ぶ男
がボクのオンナ偏のウワサを撒き散らしていると。

北の新地の高級クラブで、ボクの慰留に努めていた常務
が口を滑らせたから、ボクの退社決意がより強固なもの
になりました。

このハナシはまだ殆ど書いていない。どうしても弁解じ
みるから、それが嫌だから。

テラスケ発信のウワサによれば、ボクはウイーン在住の
音楽をはじめ諸々の分野で勉強中のオンナの子たちに、
めっぽうモテルらしく、社宅には始終オンナの子が出入り
して、さながらハーレムの如しとのこと。ホントにそうな
ら願ってもない幸せなオトコなんだけど、殆ど毎週いつ
落ちてもオカシクはないソ連製のガタガタの飛行機に命
を預け、身を賭して会社のために尽くしている者に、それ
が常務の言うことですか。どうぞ何でも言うてくれ。はい
はい分かりました。火の無いところにケムリはたたんとも
言う。李下に冠を正さず、瓜田に履を直さずとも。じゃあ
そうなんでしょう、仕事そっちのけでウイーンの夜を優雅
に過ごしていたんでしょうよ。李(スモモ)も瓜もタップリ
いただきました。どうせ辞めるんだから、クビにする理由が
増えて結構ですね。

火の無いところたぁ何だ! 大いに燃え上がった。火だ!
火だ! モンク無かろう。

で、早く退職金払っておくれ。2~3億と言いたいとこだが
まぁ1億で手を打つからと、常務も人事部長も唖然とさせ
て、折から国会では商社各社のダーティビジネス暴かれて
日商の海部氏が証人尋問でサインするのに手が震えたと、
話題になったそんな頃だったから、「規定の退職金じゃ黙る
ヤツじゃないし、ハラ括って居直られたらどうしよう」

ラチあかんから「当分会社には来ないからな」。一年以上
遊んで暮らした。ちゃんと給料もボーナスももらいながら。

ここら辺りから実質的な失業者になっていた。
毎日ポケットにメモとゴルフ場にある短い鉛筆入れて、
デパート、専門店街、スーパーまで、物価調べて歩き周り
どんなものを輸入すれば需要に結びつくかを研究していた。




                                       パパゲーノ


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