作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 コーチがインフルエンザ 】

2011-01-31 10:05:54 | 02 華麗な生活


この寒い日曜日を、どうしようかと思っていたら、
クラブから電話でMコーチが流感で休みだと
通知があったから、寒気の中で凍える心配が
消えた。ボクはまだ流感に罹ったことがない
からどれほど辛いものかが分かっていない。

透析クリニックでも、早くから流感予防のワクチン
を注射してくれるから、それも効いているんだろう。

いつの間にか透析患者生活も14年と4ヵ月。
上には30年選手もいるが、ボクも立派な中堅だ。

透析患者が最も苦しむこと。尿が出なくなるから
飲み水の制限がある。砂漠の旅人と言った人が
いたが、言い得て妙である。

長い事テニスに打ち込んだから、身体が代謝力
を付けたのか、ボクはあまり気にしなくても良い。
珈琲が好きで、一日二杯は欠かせない。
それに味噌汁も飲むしポタージュは大好きだから
出たら遠慮はしない。それでも他の患者のように
透析の度に3リットル以上も除水をするなんて事
はない。常に2リットル以下で済んでいる。

かなり幸せな部類の透析患者だろう。
同窓会なんかで席を立ちトイレに通う連中を
不便な身体だなとからかう余裕がある。

最初からそうではなかった。睡眠薬を何日分
貯めれば楽に死ねるのかと真剣に計算したり
していた。
透析の機械も薬品も良いものが開発された
から新入りの時にさんざん聞かされた怖い
事が起きない。幸せなことだ。

暫くぶりに新たな小説を書き上げた。
すぐには本にしない。ある新聞社の募集に
応じる。
どうせ当選はしないだろうから、外れてから
出版を考えようかな。
一時は脳細胞がかなりイカレて、執筆どころ
ではなかった。ブログを書きながら文章作り
を重ねた末に、中編小説が書けた。

50年前の独身寮生活を題材にした。小説の
中に66年前の少年初期も懐古談の形で出て
くる。
満州国にソ連軍が侵入してきた混乱の時期に
何があったか、その頃の記憶を辿って書いた
のだ。

日本敗戦の二週間前に死んだ母を看取った
のはボクだけだった。
父はその時、軍隊に駆り出され居場所も不明
だった。

ボクは11歳になったばかり。4歳の弟の手を
引き300キロばかり南に逃げた。二人は孤児
であった。
頼る人もない、しかも敗戦時の異郷でのことだ。
今の日を生きていることを不思議に思う。




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