作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 1960年代の日本人はまだワインを飲まなかった 】

2012-05-25 18:32:10 | 02 華麗な生活

ボクが最初に海外駐在を命じられたには、1968年のことだった。
ハンブルグの水道水は硬水で、新しいヤカンで湯を沸かしたら、
たった一週間で、ヤカンの底にべってり石灰分が貯まり、削っても
取れない。

あれを見たら水道水は飲む気がしなくなる。
現に酒飲み連中は、軒並み結石に悩まされていた。
飲料水には、フランスからのエビアンが愛用されていたが、薬局で買う
ものであった。スーパーなどが出来て、飲料水を置くようになったのは、
数年後のことである。

日本人駐在員は、昼飯からビールを飲むのが当たり前で、ワインは滅多に
見なかった。居た場所が、ウィン畑の無いハンブルグであったかもしれない。

当時、流通革命の旗手としてもてはやされた、スーパーの社長が居て、
その四弟に当たる専務が、ヨーロッパのチェーン・レストランの研究にと
欧州各国を巡り、なぜかボクが居た商社が、その人の面倒を見ることに
なった。スイスにも行くとのことだが、ボクが居た商社にはスイスには支店は
おろか、駐在員事務所もなかった。

そこで赴任したばかりの、ボクがスイス一週間の度のお供を命じられた。
チューリヒで出迎え、ジュネーブで見送る。大スーパーの専務さんは、
最後のジュネーブの夜を、ジュネーブで最も豪華なレストランを、ボクへの
お礼の心算で奢ると言われた。
レマン湖の噴水を目の前にする、豪華なレストランの窓際の席に案内され、
最初の海鮮料理には白ワインを、後から出てくるビーフ料理には赤のワインが
供された。

その時代、日本ではまだワインを飲む習慣が定着していない。
ドイツに行って数ヶ月が経っていたから、白ワインなら飲んだことはある。
だが赤ワインは始めての体験だった。
テイスティングの儀式がある。専務さんは「オレはワインの飲み方を知らん」と
ボクにテイスティングの役を押し付けてきた。

一口ふくんで、おや、オカシイなと思った。「冷たくないじゃないか?」
曖昧にうなずき、改めて専務さんと同伴された秘書の方にも、赤ワインが
注がれた。二度目のカンパイとなり、専務さんが顔をしかめた。
「このワイン冷えてませんな」。やっぱそうだよな。

ギャルソンと呼んだボクの席に、ソムリエがやって来た。
「このワイン、冷やし方が足らんように思うのだが」
定めし名のあるソムリエであったろう。思いきり、バカにされた。

「あなたのお国では、どういう飲み方をなさるのか存じませんが、当地では
前もって栓を抜き、室温に合わせてお飲み頂いております」

ここは正直に降参しよう。
実はまだ日本ではワインを食事に飲む習慣がない。ついてはワインの作法を
教えて欲しい。

これが良かったようで、赤と白の飲みわけから始まり、グラスの形の違いと
理由など、懇切丁寧に教えてもらった。
まだ30歳代の前半だったし、早々と降参したのが良かった。

それからもドイツでは、ワインといえば白と決まったもので、白は冷たいから、
室温にマリッジさせる事とは縁が遠かった。

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