細川の名誉欲のために、都民のための都知事選挙が迷走の果てに
漸く告示日を迎えた。いくら綺麗事を並べて誤魔化そうとしても、巧みに
他候補との公開論戦の場から逃れるのに成功したとしか見えないのが、
細川の「殿」としての人間的な限界なのだろう。
秋田の県知事、佐竹から「大名としての値打ちなら我が家の方が上だ」と
唱えたのは正しいと思える。足利幕府で重用された細川だが、応仁の乱
で山名と対立する一方の将にはなるが、領国の一つ阿波の家臣三好家
に倒されて京都を守る地位をも奪われる。
信長の亡きあとを秀吉・家康の時代を生き抜き、忠興の功を家康に高く
評価されて、関ヶ原の後当初は福岡を、更には熊本を与えられて大名に
成ったのがおおよそ400年の昔だが、源氏の八幡太郎の弟、新羅三郎
を祖とする佐竹家の700年には及ばないと言う訳だ。
おとなしく湯河原の奥で土をいじり焼物作りの余生を送っておれば良いもの
を。この際だせいぜい総理時代に汚名をあげた佐川急便献金問題を、
若い世代にも知ってもらおう。
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