作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 あの日あの時(9) 】

2010-01-25 15:20:00 | 02 華麗な生活


積水ハウスの社員たちが言ったように、
人工島六甲アイランドは同じ東灘区に
所属していながら、ケガ人一人も出す
ことのない別天地であった。

本山中町の別宅?の様子が見たくなって、
唯一残った六甲大橋を使って本土側に
渡ったのが、震災から一週間経った時
であった。
御影・魚崎には酒造工場が多い。屋根を
支える柱が少ない建て方だから、被害が
激しいように見えた。

地元で十二間道路と呼ばれている道に
マイカーを進めて行ったのだが、歩行者が
通るべき道には建物の残骸が溢れ、
人々は車道に充ちていた。

地元民よりも、身寄りを心配して駆けつけ
たり、ボランテイアで集まってきた人たちの
方が多いように見えた。どちらにせよ、
そんな場所にマイカーを乗り入れたのは、
大きな間違いであった。
まさに後悔先に立たずであった。
目にする惨憺たる光景は、想像していた
のを遥かに越えるもので、倒壊した家々の
跡と思える場所に多くの花が捧げられていた。

ようやく摂津本山駅のロータリーまで
辿り着き、そこにクルマを停めて、歩いて
我が家の様子を見に行った。
駅に近い邸宅の殆どが、塀が倒れ
蔵も壊れて、むき出しになっていた。
界隈の木造住宅は全部が崩壊したと
言って過言ではなかった。いや、
コンクリートの建物だって、全体が
倒れ掛かって電信柱に寄りかかって
いたり、一階が潰れて二階が一階に
なっていたりした。

我が家は遠目には無事に建って
いたが、近づいて見ると赤い紙が
張られていた。赤紙は全壊を意味して
いた。外壁をつぶさにチェックしたら、
亀裂が走っていたし、一階のガレージの
中の柱が折れていた。

このマンションは五階建てで、元はと
いえば、当時は戦後最大の倒産と
言われた建材会社の社長が隠し
持った屋敷を、デベロッパーと等価
交換した代物であった。最上階の
五階全部が倒産社長の住居となり、
四階から下を売り出した物件。
その中の最大の部屋を購入
したのであった。

近所で火災が発生したが、幸い
類焼を免れたが、各戸に備えられて
いた消火器はすべて近所の火災に
使用されたと聞いた。
住民は全員がいったん退去を
命じられ、かなりの距離がある
本山第一小学校に避難したんだと。
着替える暇もなく、パジャマ姿に
裸足にスリッパといった有様
だったらしい。
ボク等はそこに帰らず、人工島の
方に行っていたから、助かったのだった。
カギを開けた時の驚きといったらなかった。
残してあったドイツ製の家具の
全部が壊れていた。
頑丈な材料で出来ていたのが
逆に仇になった。

ガラス類は電球にいたるまで、
すべて微塵と化していた。
到底手を付ける気になれず、再び
カギを掛けてその場を去った。
ピロティと呼んでいた中庭には
活断層が走っていた。
地震直撃の衝撃が最も凄かった
場所のひとつであっただろう。

若しあの夜に本山に帰っていたら、
家族の誰かが、あるいは全員が
死ぬなり大怪我を負ったことであった。

            パパゲーノ

                          

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