作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 備後の人 】

2008-05-24 19:56:14 | 02 華麗な生活

新幹線の山陽線に三原駅というのがある。
駅の真裏にある三原城址は、毛利の知将として
名高い小早川隆景の居城の址である。

この城址のすぐ北側の高台に、赤尾という家があり、
そこがボクの母のもう一人の叔父がいた所である。
生前ボクはこの叔父と、ただ一度しかハナシをする
機会がなかった。それが心残りである。

母の実家、すなわちボクの祖父は晩年こそ好事家
として知られ、検索でも出てくるが、本来は歯科医で
その兄もまた歯科医であったし、子供ができぬため
弟の下の男の子を分捕って後を継がせた、祖父の兄
もまた歯科医であった。
赤尾家は歯科医の一家だったことになる。

祖父とその兄の兄弟は、そのうち歯科医をやめてしまい、
協力して国産第一号となる、歯科医用のセメント類の
製造に乗り出す。
兄がもっぱら技術と製造面を受け持ち、祖父が営業を
やったらしい。「赤尾セメント」は売れに売れて、市場を
朝鮮半島の全域から満州にも広げたらしい。

三人姉弟だった母が長女で、その後に叔父が二人。
その弟が中学生のころに、母から見て弟から従弟に
戸籍が変わったわけ。
ボクがまだ三歳か四歳のころにあっているが、そのころ
叔父は大阪歯科大の前身である大阪歯科医専の学生
だった。幼児のボクとハナシがはずんだわけがない。

ハンブルグへの駐在が決まり、ボクは愛媛にある祖父の
墓に参り、瀬戸内海を尾道に渡って三原に行った。
その夜はホテルに泊まった。
夜の繁華街に出て、赤尾という歯科医を知りませんかと
店のオヤジさんに聞いた。
「赤尾先生なら、いつもこの辺で飲んでるよ」と言って
何軒かに電話をしてくれたが、その夜は会えなかった。
翌朝電話をしたら、すぐ来いと言われタクシーで行った。
昨夜はどこに泊まったかを聞かれホテルの名を告げたら
なぜウチに来なかったかと叱られた。

叔母に当たる人とはそれが初対面であったし、従妹にも
初めて顔を合わせた。
この家のことが、長くボクの記憶にあった。
離れの位置が違うように思うと言ったら、お前は記憶が良い
と誉められた。立て直す時に位置を反対側に変えたという。

ヨーロッパに二度赴任して、何千人といる全社員の中で
個人別なら間違いなく最高の利益を挙げているうちに、
叔父との再会はならず、あの日が一生のただ一日で終わった。




                       パパゲーノ

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