作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 肥後の加藤が来るならば(歴史エッセイ135話) 】

2014-02-28 18:38:12 | 05 歴史エッセイ

島津藩では士気高揚のために幕末までも歌われた歌が残され、

その歌詞がタイトルの「肥後の加藤が来るならば」であったと聞いた事がある。


関が原に西軍として加わり、島津勢が少数であることに、軽侮を露わにした

石田三成の指図を無視して、合戦の間は一発の弾丸も撃たず、ただ己の陣地

を守り抜き、合戦の勝敗が明らかになった後に、前に向かって、すなわち徳川の

本陣を襲うかに見せて、家康の肝を冷やさせた上で、多くの将兵を失いながら、

鈴鹿を超えて海路で薩摩に帰りついた薩摩藩では、以後も徳川の仮想敵国を通し

遂に幕末を迎えるにいたった。


その薩摩藩での歌われ続けた歌のことである。肥後の加藤とは、もちろん清正の

ことである。清正は死ぬまで豊臣を主君として仰ぎ、特に遺児秀頼を支え続けて

いたが、徳川の謀略で毒殺されたとの説が多く、清正の死後加藤の家は潰された。


加藤の後には、福岡から細川が移住してくるが、そんなことに関わらず、薩摩では

肥後の加藤と歌われ続け、誰も肥後の細川なんて認めては居なかった。


細川が熊本に入部の際にも、行列の先頭には清正に関わる物を掲げて領民の

了解を得る苦労をしたようである。


いまの熊本人も誇りするのは加藤清正であり、熊本城であって、細川の名を出す人に

会ったことがない。

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